ネコの道草

83歳のネコブログです。

雑談

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検査入院2日目、今日(5月29日)午前10時より、心臓カテ-テル検査になった。
 
前日(28日)午後より、医師や看護師から、カテ-テル検査手順の説明を受けるが、初めて聞く話ばかりで、少し不安もあり昨夜(28日)は眠りが浅く、朝食、後は只、午前10時の検査開始を待つだけ。看護師が察したのか、絶対安全ですから心配せずにもう少し待ってくださいと言う。
 
私より先の患者の検査が遅れていて、10時20分頃に、車椅子を持って向かえに来るが、「自分で歩いて行けます」と言うと、「帰りが此れに乗らないと一人で帰れない」と言われる。何だか又不安が出る、もうまな板の鯉に成ったような者、逃げる訳にも行かず検査室まで連れて行かれる。
 
医師が3名程で迎えてくれる、上半身裸になり、スライドする狭い台の上に上がって、左手は点滴、上にはレントゲンカメラか?2台程ぶら下がっている、
左側に4台程?のモニター画像が映し出されて居るが、頭を動かさない様にと指示が有り真上しか見る事が出来ない、医師がお互いに声を掛け合っているが、医学用語で解らない。
 
右手のカテ-テルを入れる部位に麻酔注射をするが、そのとき、少し口の中が暖かく感じた、其の後動脈の中へ、カテ-テルを入れて、心臓まで進め、造影剤を流し血管の状態をレントゲン撮影して、調べるのです。
動脈より軟らかく、細いカテ-テルを心臓まで通し、心臓の機能、血行動態、重要な血管の狭さや、詰まって居る所を検査して、心臓の血管が細くなったり、詰まって居たら、後日に治療し入ります。
 
治療は、カテ-テルの先端にバルーン(風船)や、網目状の金属製のチューブ等入れて血管を広げて血流を良くする方法を遣ります。それが出来ない時には、天皇陛下の様な心臓手術に成るのでしょう。
 
普通は30分程掛かる検査ですが、私の場合20分と少し位でした。「心臓には何も異常は見付からなかった」ので、早く検査が終ったらしい。嬉しいお知らせでしたが、反面何故体が時々苦しく成るのか次の原因を調べて貰いたく、続いて入院の継続になりました。
 
何回も採血検査の結果、ナトリウム(Na)、及び、カルシュウム(CL)、が異常に低い事がわかる。
先生の問診で「水分やお茶など、一日にどれ程飲むのか」と聞かれる。
「大体一日で1,8L入り薬缶一杯で足らない位、若しかすると3L位、飲みます」1回の食事で伊藤園の500ml入りお茶2本ぐらいは飲んでいた。その他水分は色々取っていた。
 
「其れは飲みすぎだ、1日700mi以下、朝食200ml、昼食300ml、夕食200ml、薬飲む水分も入れて、制限する事」となった。
 
1回の食事で普通の湯のみに1杯程度、極端にお茶が飲めなくなったが、3日程はお茶飲むのを堪えて我慢が大変だった。現在も其の儘続けて、実行しているが、体調は良くなるようです。
其の他に何も薬や、注射の治療は無い、只それだけ。
 
カテ-テル検査の時に副院長は、「あなたは、お歳召されているからな〜〜」と首を傾けられたが、矢張り、カテ-テル検査は高齢者には少し堪えるようです。
 
此れで体調が回復するなら、有り難いことです。次第に回復に向かっていますが、まだ、野良仕事は遣らず、買い物に出かける程度にして遊んで居る。
 
続はまたの日に。
 

検査入院(1)

昨年12月頃より、時々、体調が悪くなり、軽い仕事はして居たが、時々胸が苦しい様な状態が続いていた。診察の結果「心房細動不整脈」と言う診断でした。
 
4月より、岐阜県笠松町M病院から、循環器内科のS先生が月曜日に診察に来られるようになって、5月7日に、その先生の診察を受ける。
ホルダー心電図をつけて、翌日取り外し、ホルダー心電図検査結果は5月21日に聞きに行くと、
 
「不安定狭心症」かとも思うが、もう少し詳しく調べ様と、言われて、笠松のM病院紹介状を貰い、5月28日に診察に、連れて行ってもらった。
 
まず診察、採血、心電図検査、エコー検査、の結果、心臓の血流が悪い疑いがあり、即日入院に決まる。
 
「天皇陛下の様な心臓手術するのですか」と、おそるおそる尋ねると、明日から検査して見ないと解らないが、その疑いは有りそうの様でした。心臓手術は遣りたくないが、陛下もお元気になられた事を思うと、逃げ出す訳にはいかない。
突然の入院でしたのでその用意も無く、子供達に遠い道のりを何往復も、して貰い入院手続き書類、入院用の必要小間物、運んでもらい、其の日の夕食から、病院食事になった。
 
メニューは、米飯、魚の揚げ煮、インゲン、卵と春雨の炒め物、牛蒡サラダ、果物。
豪華メニュウーの様だが、こんな物です。(写真はこの日の夕食では、有りません)
 
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始めて病院食を食べてみましたが、お世辞にも美味しかったとはいえません。薄味なのか、家の味に慣らされて居るのか、解らないが、仕方無しに、全部食べる様な事にしました。
 
思い返せば、昭和20年前後の食料危機の時には、米の飯を「銀飯」と言い、此れが食べられる事が、最高の幸せで未来の夢でした。
それ以来67年も過ぎると、スッカリ贅沢に慣らされて仕舞い、こんな贅沢を言って居ると、バチが当たるかも知れません。
 
明日「29日」は本格的に検査の日が決まり、午前10時から、左腕へ、点滴打ちながら、カテテールを右手動脈から、通し心臓へ入れ、造影剤を流し込み、心臓血管の詰まりを、撮影する検査です。
 
続きは又後ほどに入れます。
 

桐の木

暫らくご無沙汰していました。その言い訳は、
5月28日に掛かり付け病院からの、紹介状を持って、笠松の循環器内科へ診察に行ったら、心電図、エコー検査、採血、の結果、もうすこし詳しく調べる為に、入院する事になった。
8日間も思わぬ入院になったが、27日の日曜日に撮った桐の花写真、診察が終って帰ってから、ブログ更新しようと思ったのが、それも出来なくなり、少し遅くなったが、昨日退院出来たので入れて置きます。
 
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昔は、桑畑の一角に桐の木が植えてある所を沢山見掛けたが、最近は滅多に桐の木を見掛けなく成ってきた。
私の母も、妹が生まれて、間も無いころに、1本か、2本の桐の苗を植えて居たが、終戦頃の食料不足の時に、麦や雑穀畑に変わり、何時も間にか、消えて無くなった。昔は、何処でも、女の子供が生まれると、結婚する時に桐の箪笥の材料にすると言う事で、植えたそうです。
桐の木は軽くて、湿気を通し難く、高級家具の桐箪笥の材料として、使っていたが最近は、嫁入り道具も、住宅事情も変わって来て、余り購入する様では、有りません、
家具屋には、嫁入りセットとして、桐箪笥も組み込まれている様だが、かなり高価の様です、
家具以外にも、氏神神社祭礼の時に使う、オカメ、市兵衛(ヒョットコ)鼻高、の面や、獅子頭の彫り物にも、使ってある、
又桐材で作った、高級下駄も有るが、最近は和服を着る機会は殆んど無いので、庶民には陰が薄くなって来た。
 
入院検査の話は、又後ほどブログに書き込みます。

うどの収穫

私の幼少の頃から(昭和8年頃)長良川、河端の「桑の木畑」の一角に、藁屑や籾糠を、積んだ所に毎年「うど」が出ていて、祖母達は此の季節に成ると、毎日うどを採ってきて、味噌汁にして食べていた。独特の香りや、味がするので、嫌いだったが、此の季節には此れしか他に食べ物は無いので、仕方なしに食べている内に、今は好んで食べている。
 
何時の頃か、河川改修で堤防の修理をした時、多分母が此処へ移し替えたのだろうが、今も此の場所で、毎年収穫しているが、休耕畑になっていて、草刈管理しているだけで、肥料など入れた事が無いけれど、細い「うど」だが毎年良く採れる。肥料を入れた事が無く大木には、なれないのだが、味は変わらないし、軟らかく、独特の風味があり旨い。
 
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今年は始めて鶏糞を肥料として入れて置いたので、来年も健康で生きていれば「独活の大木」がお目に掛かれるかも?知れません
 
スーパー等で売って居る様な、栽培した真っ直ぐな、太い独活と違い、固い草の枝を通り曲がった物だが、天然の山うどに近い物だろう。
 
うどの記事は3年前にも同じ事を投稿したのを、途中で思い出したので、入れて置きました。見て下さい。
 

朴ノ木

 
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「朴葉」は朴ノ木の葉の事ですが、何処の山でも所所に、生えている広葉樹で、余り群生して生えている場所は知りません。丁度今頃は乳白色の大きな花が咲いています。
 
昔から奥美濃、飛騨地方では、田植え頃になると、チラシ寿司を作り、朴葉に包んで「朴葉寿司」を作ります。又秋になり葉が落ちると、其れを拾ってきて、寒い冬には、其の上に味噌や漬物を乗せて、囲炉裏の炭火で、焼きながら食べます。また朴葉の、良い香りが寿司に移り旨みが増して良くなります。其の上殺菌作用もあるそうです。
今は奥美濃や、飛騨の観光名物料理の一つになっています。
 
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朴ノ木の花は、良い香りを出していますが、家の中へ取り込むと少し香りが強すぎて、お勧めでは、有りません。
 
「朴葉」は昔、「包葉」と書いたそうです。終戦後迄は今の様な、紙皿や、ビニールパックやアルミホイル等の無かった頃には、八百屋でサンマや、魚の切り身、コンニャク等買うと、竹の皮か、朴葉に包んで、藁でくくり、持ち帰りました。そんな事から「包葉」の方が正しい字かも知れません。!!?
 
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少し太い幹なら、製材して、家具の引き出しや、下駄の材として使いました。終戦後の大工見習い始めた頃に、私は家の山で太い朴の木を切り出して、郡上踊り用の下駄にしました。少し反りも付けた、女性用下駄も作り、綺麗な女の人に上げたりすると、お礼に下駄の鼻緒を貰った事が有ります。
 
特定の女の人に差し上げた訳では無いので、次々と欲しい人が現れて何時も下駄作りをしていると、「下駄作りばかりしていては、大工の腕は上がらないから止めろ」と言われて止めて、残った材で、庇の腕の彫刻や「持ち送り板彫刻」一部分の練習用に使った。
年輪が無く均質で、彫り易かったが、其の分腕は上がらなかった。子供の工作用には向いています。
 
朴の木の樹皮は、漢方薬にも、なると言い、皮をむいて乾燥した物が、結構高価な値段で売れました。現在も八幡町で色々の、漢方薬になる樹皮を買っている方が居ます。
 
 

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