ネコの道草

83歳のネコブログです。

雑談

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

秋の味覚

今日は暑くも無く、寒くも無く、気温は22度ほどで過ごしやすい日であった。
長い間休耕して居る畑の草刈に行く。かってはこの畑も栗の木が植えてあり、良く栗拾いも出来たが、昭和60年代後半頃から、栗玉蜂と言う害虫に付かれて、葉が枯れると、翌年は芽も出なくなり、徐徐に衰弱していき、家の栗の木は全部枯れて無くなってしまった。
 
写真の栗の木は、隣家の所有ですが、以前は家と同じ栗が植えて有ったが、辛うじて2本程残って居る。草刈休憩して眺めて居ると、奥さんが栗拾いに来られて、拾った半分程をおすそ別けして貰った。まだあまり落ちて居ないが、青いイガが沢山付いている。
 
イメージ 1
イメージ 2
 
イメージ 3
 イメージ 4 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
私の子供の頃から昭和20年代までは、山にも栗の大木が沢山あり、栗の実も沢山拾えたし、又建築資材としても、良く使われた。耐腐性に冨み、土台材、風呂場の流し板、屋根葺き板、等等、其の他鉄道線路の枕木等も栗の木が、使われていて、枕木買売専門の商人もいた。
 
又栗の花は咲いている期間が、長いので、養蜂業者の蜂蜜を取る樹木としても、利用されていた。初夏6月頃から枝先にモールの様な雄花をつけて、特有の臭いがしていた。
栗の花、蜂蜜は微かに、栗の渋い味がして居たが、養蜂業者も此れを最後に次の栗林へ移動していった。
昭和の終わり頃には、栗玉蜂の被害で、殆どの山から、栗の木は姿を消してしまった。
 

難解なパソコン

9月11日私のブログ「食の祭典in郡上」の投稿少し前から、インターネットの立ち上がりが、遅くなって来た。
 
其の後、何回も、「システムの回復」を遣って見たが、一向に直らない。写真の多く入ったブログの閲覧は、立ち上がる迄に、3分〜4分程掛かる。「ウインドーズ7」なら、もう少し早くても良いではないか、本屋へ行って指南書を立ち読みして見るが、難しくてとても理解出来るものが無く、ブログの投稿を少しの間やめていた。(ネタも無かったが)
 
18日の日曜日に子供が家へ帰ってきたので、早速見て貰う。暫らくすると、直ったらしくサクサクと立ち上げて居るようだ。何処を如何したのか、私には解らないが、モデムの方だとも言うが、取り遇えず元通り気持ちよく動くようになった。
 
子供が仕事に帰って行った翌日にも喜んで朝早く、インターネットを立ち上げると、「アドオンを無効にする事で 閲覧の速度を上げますと言う表示が出ていたので、「はい」をクリックしてしまった。 さあ大変な事になった、開いたネットの上の欄にある、ツールバーが無くなってしまった。
 
「お気に入り」欄も無いので、ブログの閲覧も、投稿も出来なくなった。元に戻す方法が解らないが、ツールバーの復活を試みて居ると、画面右上に、ハウス、星、ギヤーのマークの内の、星マーク(アイコン)がある、其れをクリックすると、「お気に入り」欄が出てきた、此れで何とか閲覧とブログ投稿が出来るようになった。後期高齢者には、何と難解な代物か?
 
ツールバーとは、大工の道具箱の様なものですか!? 大工はその仕事の時に必要な道具だけあればよいが、その仕事に使わない要らない物まで広げては居ないから!? 何となくそんな気がする。
 
今日は台風15号の接近で朝から雨降り、脳外科の定期健診日で出掛けたが、途中から戻ってきた、各地で交通止や、災害発生して居るので、病院へ行くのを取り止めて明日に。
写真天気予報
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
昭和34年9月26日は、伊勢湾台風の有った厄日、我が家の周辺でも大きな災害があった、
国鉄越美南線と、其れに平行して走っている国道156号線が、各地でズタズタに流失した日です。暫らくは、生活用品の流入が止まったが、現在の様にガスも上水道も下水道、其れに電話、車も無かった時代で、自分の交通手段は、全てが徒歩か自転車。食料は自給自足時代でしたから、今の様に苦痛はアマリ感じなかった。
昭和34年の災害写真 川の水が引いた2日程後の写真です。
 
イメージ 3
 現在よりも川幅も狭くて、国道も鉄道もいたる所で、寸断されました。

食の祭典in郡上

8日の稲刈生籾30K入り袋を運んでいたら、腰が痛み出した。今日は少し楽になったので、ピオへ、買い物序で、腰を曲げながら、大和庁舎会場へ行って見る。
 
「食の祭典、郡上」では今年で3回目を開いていますが、岐阜県の近隣県、北陸や三重県からも合わせて、今年の出店は36店舗と言う事です。
其の他、隣の福井県大野市から、軽トラに取れたて野菜を満載して来て、販売、49店舗程の出店が有るような、事でした。
 
(出店団体)
イメージ 1
 
ご当地グルメの「食の国取り合戦」と言う事で、参戦7団体が腕を競い合い参戦者の料理の中で最も投票の多かった店が、今年のグランプリーを決めます。
 
参戦者7団体は、既に予選を通過して、選ばれて夫々地域の代表で出ていますので、其れを選ぶのは、今日のお客の割り箸の数で決めます。
参戦参加店代表7店舗のメニュー
 
イメージ 2
 イメージ 3
 
大和庁舎特設ステージでは、郡上市明宝の地元芸能「磨墨太鼓」の演奏が始まっている。其れに続いて各地域の芸能や、ステージショー。午後3時には、「国取り合戦、投票結果」発表、閉会式。景品つき飴投げで終了。  
 
イメージ 4
   
試食のテント下は殆んど満員。食券買ってきて、投票待ち構えている人達。
 
イメージ 5
 
此処も行列が出来ているが、其れほど何の人気があるのか、並ぶ事が嫌いな私は無視
 
イメージ 6
 
三重県志摩市和具の郷土料理「てこね寿司」かつおの刺身とご飯を手で混ぜて地元の漁師が作っていたものだ、と呼び込みがあったので、買ってきた。昼飯はてこね寿司のご馳走、   試食であるから一個だけ、2人で分け合って、ピオで買った別の商品と比べて見る。
 
イメージ 7
イメージ 8
 
早く帰ったので投票結果はどう成ったか、私は無関心
 

稲刈り

9月5日まで、降っていた雨も止み、今日で晴天続き3日目、稲刈絶好のチャンス日和、老人会の友人に稲刈お願いして置いたら、今日来てくれた。乾燥機も空きが出来て、朝9時より稲刈りを初めて貰う。今年は各地で地震や、台風、大雨、の被害が多く有る年ですが、幸い私の地区では、4日の大雨で少し稲が倒伏しただけで、何とか無事収穫出来そう。
 
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 4
 
昨日午後から、各地区で一斉に稲刈が始まる。みんな夫々最新式のコンバインを駆使して、大型機械を使い、傍から見ていると、らくそうに、稲刈して居る、家もこんな機械が来てくれると、少し位倒伏した稲も楽に刈れるな〜〜と思っていると、家へも、2条刈りですが、最新の機械を持ってきてくれた。
 
(写真の3条刈りは他所の田んぼです)
イメージ 5
イメージ 6
 
家の田んぼの稲刈、今年初めて使うのだという。2条刈りですが、昨年新車で新調したと言うが、値段聞いたが高かったと言うだけで、値段教えてくれない。
牽引車に載せてやってきた、此れも(牽引車)まだ新しい。
 
イメージ 7
 
家の田んぼの稲刈り、少し位倒伏していても起こして刈っていく、私は見ているだけ、全部稲、刈取って遣ってくれた。
 
イメージ 8
イメージ 9
イメージ 10
 
午前中で終った。乾燥機へ生籾を運んで、投入、明朝乾燥出来ると言う、そのまま保管して、米の入用時に籾摺りして、精米すれば、すべてOK
 
イメージ 11
 
今日午後5時頃には、この地区全部稲刈終って居た。昔の手刈りの時代では、考えられない位早い。
 
はさ掛けから、脱穀まで、秋の取り入れ、幾日も掛かり遣っていた事が夢のようです。
みんなこの夢の様な事も金が掛かり過ぎて、どうして採算合わせるか、悩みの種です。
 
イメージ 3
 
各地で災害続きですが、何とか無事で災害も無く、収穫出来たことは、まず感謝です。
郡上では、今夜から、明日午前中小雨と予報が出ている、勤め人は土曜日、日曜日を、稲刈予定して居るようだが、田んぼが乾燥していないと、大型機械は入れないから、晴れてくれと祈るより、方法が無い。幾ら機械化が進んでも、天気だけは人の力ではどにも成らない、
 

家庭菜園

毎日午後の涼しくなった頃に、雨が降ってくる。大根の種を蒔く予定で居るが、天気は思うようには成らない。  天気の良い乾いた日を待っていたが、今日は朝の内にコマメで畦立てをするが、まだ土が湿っていて、思うように機械が前に進めない、無理に何とか畦の形は出来たが、2人切の世帯でこんなに大根作って、誰が食うのか。
「沢庵和尚」に処分を頼むか、草畑にするよりは良いので、種を蒔いて見る。
 
イメージ 1
 
宮重大根の種と、玉葱の種を用意するが、玉葱は苗床を作り、移植する。
 
イメージ 2
 
まだオクラが、花も咲いていて、次々に収穫出きるが、家では消費し切れない。
 
イメージ 3
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナンバン各種色々、色付いた物から収穫、取り敢えず天日干し、
 
イメージ 5
イメージ 6
イメージ 7
イメージ 8
 
トマトもまだまだ採れそう、小粒の品種だが一口サイズで、結構旨い、2人の生活では、持て余しですが、天の恵みは有り難いです。
 
イメージ 9
 
此の畑は何が作ってあるか、解った人は居りますか、見た所サツマイモですが、ピンポン正解
草畑では有りません。レッキとした転作農地です。これでもサツマイモは採れます。鳴門金時です。
 
イメージ 10
 
終戦後には、このサツマイモで食料難を切り抜けたのです。何処の家庭でも政府から、強制割り当てで、サツマイモまで供出割当てがあり、残った芋つる迄食べて居ました。戦後66年スッカリ忘れています。
 

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事