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203高地の精神

前の記事の続きになります。

入社して、ほぼ毎日、月曜日から土曜日まで、朝8時から夜の12時ころまで仕事をするというのが続いて10ヶ月が過ぎたころ、この会社の創設者で現在はグループ7社の会長という立場の人が励ましに来るという話があった。

会長という人は70代だっただろうか(記憶があいまい)

会長の話というのは2時間に及んだ。
この話はカセットテープに録音され、その後、同じ話を2回聞かされた。
内容はこんな感じ。
・ この会社の設立まで
・ 他社との戦いに勝つには
・ 今は辛(つら)いが203高地の精神で頑張ってほしい。

特に、「203高地の精神で・・・」に時間が割かれた。
当時、学校で、日露戦争についてはよく教えてもらった記憶がない。当然、20代、30代の若い班長や班長補佐は203高地の話がピンと来ていないようだった。
2才年上の班長補佐のDさんは
「ネコミ、203高地って知ってる?」と聞いてきた。
私は映画の「日本海海戦」や「明治天皇と日露戦争」を見ていたので。少しは知識があった。

私が会長の、この話を聞いたのは1977年ごろ。
日露戦争開戦は1904年、2月。
70代の会長さんにとって日露戦争の203高地の激戦は子供のころによく聞いた話だったのかもしれない。

会社のほとんどの従業員は会長の話に感動した。
強敵ロシア軍は他社、弱小日本軍は自社。
203高地の精神で頑張れば必ず勝てる!!

そして、「みんなで頑張ろう!」となった。

さて、数日後、直径10センチメートルくらいのバッチが従業員全員に配られた。
バッチには「203高地」の文字とそれらしい絵が書いてあった。
会長の「203高地の精神」を常にみんなが持つようにという会社の方針だった。

しかし、このバッチは私たち作業員にはかなりジャマだった。
そうでなくても名札と品質管理(だったかな?)のバッチを胸につけているのに、さらに直径10センチもある円形のバッチはジャマ以外になんの役にも立たなかった。

数ヶ月後。
仕事が落ち着き、少しは定時で帰れる日がやってくることになるのだが・・・。

それにしても、みんな(日露戦争)203高地で、どれだけの人達が死んでいったか知っていたのだろうか?もちろん会長は命を懸けて働けと言ったわけではない。「そういう精神を持って」、と言ったのだ。

すごくおおざっぱに調べると。
日露戦争でのロシア軍は約50万人。戦死約3万人。
対する日本軍は約30万人。戦死約8万人。

1977年ごろの私たち日本人はまだ、戦士の気持ちで仕事をしていたのかもしれない。辛(つら)い時には「戦場の兵隊さんより、自分ははるかにマシだ」と自分に言い聞かせたこともあった。

みんなが命をかけて国を守ろうとした時代があった。
みんなで命をかけて(?)会社を守ろうとした時もあった。
あのころはあれで良かったように思う。

時代は変わった。
従業員が会社の為に、なんてのは今、どれだけあるのやら。
でも、時々は思い出そう。
203高地の話を・・・。

会長の話から2,3年後に公開された映画「203高地」

(ラスト3秒くらいではじまるので最初から見て下さい)

ラストで、家族から心配されながら出てきたロシア兵の若者と、恋人を置いて出てきた若い日本兵が戦う場面がある。なんともやるせない。

戦争が終わって、豆腐屋さんが突撃ラッパではなく豆腐のラッパを吹く場面はホッとする。

閉じる コメント(4)

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203高地は英語では203 meter hill、203メートルの丘でした。

2018/11/12(月) 午後 9:56 [ TJ Adventure ]

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私は5年前と10年前の2度、大連に行ったついでに203高地に行っていますが、中国人の観光客に申し訳なくて顔があげられませんでした。日本とロシア、よそさまの国でバンバンやったのですから。どちらが勝っても中国には関係ない。

会社のために頑張る、会社が儲かれば社員のためになる、うーん、この場合はなんとも言えませんね。しかし身体をこわせば元も子もない。

2018/11/13(火) 午後 5:46 [ madonna ]

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TJ Adventureさん

なるほど、それで203高地と呼んでいたんですか。
日露戦争がなければ、日本人にとってそれほど興味のあるところではなかったかもしれませんね。

2018/11/14(水) 午前 2:47 [ ネコミ ]

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madonnaさん

たしかに日本とロシアのケンカを中国でやっていたら中国は迷惑だったでしょうね。

当時はアジア、アフリカのほとんどの国が白人たちに植民地にされていました。中国(清国)もドイツ、フランス、イギリス、ロシア、そして日本が狙っていました。

日本は国防のため、(という言いわけ?、)朝鮮半島そして清国を白人たちだけに取られたくなかったのでしょう。もし、シベリア鉄道が清国、朝鮮にまで延びてきたら、次は日本があぶない。

当時(今も?)は世界がしっちゃかめっちゃかの時代だったのだと思います。

2018/11/14(水) 午前 6:15 [ ネコミ ]


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