元従軍慰安婦証言の信憑性

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あちこちで話題になっているので、知っている人も多いとは思いますが私も記録しておきます。
 


【慰安婦問題】 フランスで響いた絶叫「日本は謝れ」〜仏決議案採択のため、議員と政府の協力ひきだしていく[09/20]
 
1 :蚯蚓φ ★:2013/09/20(金) 23:12:59.02 ID:???
http://img.sbs.co.kr/newimg/news/20130919/200690872.jpg
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2013/09/18/PYH2013091801620008100_P2.jpg
http://img.yonhapnews.co.kr/photo/yna/YH/2013/09/19/PYH2013091900020008100_P2.jpg
▲写真は別ソース(SBSニュ−スと聯合ニュース)

[アジア経済]「私たちは日本軍の奴隷だった」秋夕(チュソク)連休が始まった18日。雨が降るフラ
ンス、パリのシャイヨー宮前で韓国ハルモニの声が鳴り響いた。韓国語を理解できないヨーロッパ
人と観光客の注目を少しの間でもつかむため、老駆を導いてフランスまで渡ってきたハルモニの
執念は広場を越えて全世界に広まった。

去る1992年1月8日、駐韓日本大使館前で始まった慰安婦被害ハルモニらの水曜集会がフラン
スでも開かれた。20年以上続いてきた水曜集会は日本を含む米国、台湾、インドネシアなどで行
われたことはあるがフランスで開かれたのは今回が初めてだ。

慰安婦被害ハルモニらを代表して証言者になったキム・ボクトン、ハルモニ(88)は「朝鮮戦争当時
日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。
日本が誤りを悔いて慰安婦被害者の問
題を解決できるように助けて」と話した。

集会には韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)関係者とフランス女性団体、海外同胞など100人
余りが参加した。ソーシャルネットワークサービス(SNS)でもハルモニらを応援して参加を促す文が
広がった。ツイッターID@SPA*****、@acc*****など市民らは「歴史的なフランス、パリ水曜集会
が開かれた。一日も早く日本の謝罪を受けられるよう願う」と応援文を掲載した。

集会に先立ちハルモニら会ったフランス女性団体代表らは「共同宣言と共にフランス上下院決議
採択のため議員と政府の協力を引き出す」という立場を伝えた。挺隊協関係者は「フランス女性お
よび人権団体を通じて国連とヨーロッパ連帯会議などに被害状況をもっと多く知らせられるよう協
力を要請して問題解決に向けた共同対応に、一層積極的に乗り出す予定。今回の集会が慰安婦
問題など戦時性暴行被害者の人権回復を達成するための基礎になることを期待する」と話した。
(後略)

社会文化部イ・ヘヨン記者

ソース:アジア経済(韓国語) フランスで鳴り響いた絶叫・・"日本は謝りなさい"
http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?idxno=2013092012432151429

関連スレ:【慰安婦】従軍慰安婦の水曜集会、フランスのパリで初めて開催へ[09/18]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1379491912/


 
ネコミ
 
「朝鮮戦争当時 日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。
 
ということですが、さて、朝鮮戦争はいつから始まったのでしょう?
 

朝鮮戦争 - Wikipedia

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう、1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)は、
成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の
間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって
勃発した国際紛争。


日本の終戦は1945年。
1950年に日本軍は存在しません。
社会文化部イ・ヘヨン記者は記事を書いていておかしいと思わないのか?
 
皆忘先生 の記事で紹介されていた動画です。
非常によく出来ています。
 
中国、韓国制作の歴史ものはいつも日本軍が悪いという感じにもっていかれます。
平和を愛する人達は疑うことをしりません。
日本が悪いといわれると大喜びで本気にします。
でも、この話はどこまでが本当なのでしょう?
どこが本当でどこが作り話なのでしょう?
悪いのは誰?
クイズだと思って見てください。
 
この動画はチョン・ソウンさんの証言を元に作られています。
Herstory-Japanese
 
 
動画を見たら考えてみよう。
 
2:15秒
>数日して村長が訪ねてきて言うには「千人針をつくる日本の工場で2年か2年半働けばいい、そうすれば・・・父は開放される。
 
日本に千人針工場なんてあったでしょうか?
ま、千人針工場はともかく。
ここで、チョン・ソウンさんの証言が本当なら、彼女を騙して慰安婦として売り飛ばしたのは朝鮮人の村長だということです。
 
4:05秒
>震えがとまらなかった。15歳。
 
14歳で騙され、インドネシアに着いた時に15歳になっていた。。・・・ということは、チョン・ソウンさんが生まれたのが1924年だから、15歳になっていたこの年は1938年ごろということになる。1938年は昭和13年になる。日本が(オランダ領)インドネシアに侵攻したのは昭和17年、2月ころ。
 
つまり、チョン・ソウンさんは日本軍がいないインドネシアで日本軍の慰安婦にさせられていたことになる。
 
8:19秒
>先に入った連中は殺された。
8:40秒〜
>その韓国人兵士が手紙をたくしたんだよ。連合軍宛に・・・それで連合軍が攻撃してきたってわけ・・・。
 
そうすると連合軍は日本兵が防空壕の中で慰安婦数人を殺害したことを知っていることになる。
インドネシアでは白馬事件(スマラン事件)が有名です。首謀者は死刑になりました。
 
チョン・ソウンさんの話が本当なら当然、この時の日本兵達は戦犯として裁かれたはずですが、そんな記録があるのでしょうか?「日本兵が慰安婦を防空壕で殺し、その日本兵が戦犯として裁かれた」という話をご存知の方はぜひ教えて下さい。

今度は動画の元になったと思われるチョン・ソウンさんの証言です。
 
 
出典:私は「慰安婦」ではない(アジアの声 第11集)、「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」実行委員会、東方出版、1997年(全文)
(供出を拒んで投獄された父)
http://blog.goo.ne.jp/andoro-n/d/20070916
文字制限で抜粋
(工場で働けば父親を釈放してやる)
数日して、区長がまた家に来ましたので、私は針の仕事がとても上手でしたので、区長は今度は、「お嬢さんは針の仕事がとても上手だから、日本の千人針工場に行って働かないか」と言うのです。「お嬢さんがその工場に行って働けば、お父さんはすぐ自由の身になりますよ」。そう言われました。
 母は猛反対しました。当時の朝鮮はとても保守的でしたから、若い娘が町に出て仕事をすることなど想像も出来ない時代でした。母はほんとうに、すごく反対したのです。でも私は母を説得しました。父が早く釈放されるためには仕方がないことだからと。そしてとうとう母の承諾を得ました。私は区長に会い、「工場に行って働きます」と言い、工場に行くとその日で父が自由になるということをもう一度確かめますと、区長は「その通りだ」と答えました。
区長について、港町釜山に着きました。釜山から私は船に乗せられ、そして日本の下関に着いたのです。下関に着くと大きな倉庫に入れられましたが、中に入って、私はびっくりしました。数え切れないくらい大勢の少女たちがいたのです。中にはなんと十二歳の少女までいました。日本人の監視員が二人、ずっと見張っていました。食事のたびに、配給されるのは海苔巻きのおむすびが一個だけです。でも、私はとても怖かったために、、三日間何も喉を通りませんでした。三日経って、お腹が空いてやっとおむすびを食べることが出来ました。
毎日のように、次々とたくさんの若い娘が倉庫に運ばれてきました。そしてある日、私が住んでいた村の村長の娘までが連れて来られました。倉庫で一か月か一か月半くらい待たされたと思います。倉庫の中では名前もなく、いつも番号で呼ばれました。私はある日呼び出され、そして、他の少女たちとともにとても大きな船に乗せられました。
 
(アヘン注射を打たれ続け)
アジアのあちこちの港町を通り、船が最後に着いたところは、ジャカルタからそれほど離れていないスマランというところでした。そこに降りた若い娘は、全部で23人でした。そして降りるとすぐ、私たちは病院に連れて行かれました。そこで私は強姦されました。3日間、下腹部からずうっと血が出ました。
私たちはすぐ日本の軍人の性の相手をさせられました。朝7時から夜の8時まで軍人がやってきました。1日数十人の兵士の相手をさせられました。あまりの痛みで座ることも立つことも出来ませんでした。気絶する時さえありました。あまりの苦痛に私は軍医に痛いと訴えました。そうしたら注射を打たれました。その注射は不思議なくらいよく効いたのです。土曜や日曜、兵士が大勢押しかける日には、1日5本も打たれて、私はほとんど昏睡状態で軍人達の相手をさせられました。それはアヘンの注射だったのです。
昼間は兵士がやってきて、夜は将校が来ました。次々に相手をさせられ気絶したりすると、水をかけられ、意識が戻ると又相手をさせられました。そして将校はとても乱暴でした。彼らはいつも軍刀を抜いて私たちを脅し半分にからかい、そして軍刀の先で私たちの体をあちこち刺しました。私の体は今でもそのときの傷跡だらけです。私の顔にも傷跡がたくさんあります。そして私の首には日本刀の先で刺された大きな傷跡があります。50年たった今も生々しく残っています。
 それだけではなく、彼らは煙草の火を私の体に押しつけました。その火傷跡もあちこちにあります。何よりひどかったのは彼らは私を眠らせませんでした。過酷な生活で疲れ果てていつも睡眠不足でしたが、彼らは私が眠り込みそうになると刀の先で刺したり、眠ることを絶対許してくれませんでした。
耐えられなくなり、私は自殺を決心しました。熱帯地方ですから蚊が多くマラリアが流行していました。高熱によく効く薬を私は軍医に嘘をついて毎日1粒ずつもらいました。そして40粒がたまった時、私はそれを一気に飲み下しました。3日間気を失ったままでしたが、死にきれませんでした。後で他の少女から聞いた話では私は口からたくさん血を吐いたそうです。
 
(皆殺しにしようとした日本軍)
スマランには朝鮮から徴兵されてきた同胞の軍人もたくさんいました。彼らの言葉だけが唯一の慰めでした。「日本はもうすぐ負ける。死ぬなら朝鮮に帰り着いてそれから死のう。もうちょっと待て」苦しみながら私はそう思いました。あなた達日本の軍人は私の体は犯すことは出来ても、私の精神は絶対に犯すことは出来ない。と、そして日本は本当に負けたのです。
日本の軍人の中にもいい人はいました。その方のことは福岡からきた「伊藤」という人としか知りませんが、彼は日本が負けたとき、生き残っていた私たち「慰安婦」を防空壕に閉じこめてそのまま生き埋めにしてしまおうという日本軍の計画を、朝鮮人の兵士にこっそりうち明けたのです。それを知った朝鮮人兵士たちは手紙を書いて、2日に1度やってくるインドネシア人洗濯婦にそれを託し、早く連合軍に伝えるよう頼みました。そのおかげで私たちは帰ってくることができました。けれど同じ船で連れてこられた23人のうち、14人が死んでしまい9人しか帰ることは出来ませんでした。
シンガポールの収容所に着きました。でもその収容所には下関から船に乗ったとき、あれほどたくさんの少女達が乗っていたのに、それに比べるとほんのわずかな数しかいませんでした。みんな慰安所で死んだのでしょう。そして私たちは船がなかった為、収容所で1年くらい待たされました。それからやっと船が来て韓国に帰ることが出来たのです。
 
(他国の軍人のために身を売る娘はいない)
やっと故郷に帰ってきました。家は廃墟になっていました。自由になれるはずだった父は牢獄で亡くなり、母は自ら命を絶ったのです。そして日本人が勝手に私の家を使って、戦争が終わるとそのまま放って日本に帰ったのです。近所の人達は戻ってきた私に優しくしてくれました。でも私はアヘン中毒になっていました、私は苦しみながら考えました。日本人が私の体を犯し続けるために使った薬のために、なぜ振り回されなければならないのか?私は決心しました、アヘンを絶とうと。しかし7ヶ月という長い期間がかかりました、しばらくはその人がどういう人であろうが、男の人を見るだけで、たまりませんでした。(後略)


ネコミ
では考えてみましょう。
 
そして軍刀の先で私たちの体をあちこち刺しました。私の体は今でもそのときの傷跡だらけです。私の顔にも傷跡がたくさんあります。そして私の首には日本刀の先で刺された大きな傷跡があります。50年たった今も生々しく残っています。
それだけではなく、彼らは煙草の火を私の体に押しつけました。その火傷跡もあちこちにあります。
 
否定も出来ないですが、50年たっても消えないキズがあちこちにある?
 
朝7時から夜の8時まで軍人がやってきました。
>過酷な生活で疲れ果てていつも睡眠不足でしたが、彼らは私が眠り込みそうになると刀の先で刺したり、眠ることを絶対許してくれませんでした。
 
疲れるとは思いますが、夜の8時から翌日の7時まで(11時間)は休憩だったのでは?
 
そこに降りた若い娘は、全部で23人でした。・・・1日数十人の兵士の相手をさせられました。
 
Wikipediaの証言によると、「1日平均50人、週末には1日100人の相手をさせられた」と言っている。
すると若い娘が23人で、週末に一人100人の相手をしていたというのが本当なら、日本兵は週末1日だけで2300人が慰安所に来たことになる。平日は一人で50人の相手をしているわけだから23人で1150人。それが6日間なら6900人。7日間ののべ人数の合計は9200人。
 
日本兵は軍票とはいえ慰安婦にお金を払っていた。
もし、チョン・ソウンさんの証言のように日本兵が軍刀を振り回すような乱暴をしていたなら、お金を払ったりしただろうか?
 
日本人が私の体を犯し続けるために使った薬のために、なぜ振り回されなければならないのか?私は決心しました、アヘンを絶とうと。
 
軍医が慰安婦にアヘンを打った話は始めて聞いた。それに1日5本も打たれたということは軍医は付きっきりで慰安所にいたのだろうか?慰安婦の仕事は朝7時から夜8時ということは2、3時間に一回アヘンの注射を打たれた?
 
 
ここからは私の想像です。
チョンさんの証言は全部作り話という人もいますが、それにしてはリアルなので慰安婦になったのは本当だと考えます。イヤな日本兵と優しい日本兵がいたという証言は本当でしょう。
チョン・ソウンさんが「14、5歳で慰安婦にさせられた」は間違い。本当は19歳か20歳で慰安婦になった。慰安婦になった理由は証言のとおりかもしれないし違うかもしれない。
アヘンを打たれた話は作り話。日本軍の慰安婦殺害も作り話。当然、連合国への通報の話も作り話。
 
ただ、戦場での慰安婦が楽しいはずはない。そこは同情する。
慰安婦をやめて朝鮮に帰っても本当はまわりから冷たくされて寂しかったのではないだろうか?
晩年、元従軍慰安婦としてまわりから優しくされて、チョンさんにとっては幸せの時間だったかもしれない。
 
ま、なんにしても当時の法律や考え方を無視して、今の道徳や価値基準をもちだし過去を裁くのは良くない。
 
 
 
沖縄タイムス社説[元「慰安婦」証言]「私の存在が証拠です」
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ef16e08ed1d1cc5b4c8a9cdc59baa481
 
尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。

 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、
8年間、「慰安婦」を強いられた。

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。

 日本政府は1993年の河野洋平官房長官談話で「お詫(わ)びと反省」を表明。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと旧日本軍の関与と強制性を認めている。

 だが、第1次安倍内閣は2007年、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。橋下氏の強制連行はなかったとの発言はこれに基づくものだ。

 そもそも強制かどうかに関係なく、公党の代表が現在の時点に立って「当時は必要だった」と公言すること自体許されないことだ。

    ■    ■

 当事者の証言は証拠である。史資料と比べ価値が低いわけではない。オーラル・ヒストリー(口述史資料)を重要視する学会の動向を見れば明らかだ。


ネコミの感想。
金福童(キムボクトン)さん(87)
 
ということは金福童(キムボクトン)さんが生まれたのは昭和元年かその翌年ということになる。(日本とは年齢の数え方が違う)
 
金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。
 
ということは昭和14年か15年に軍に連れて行かれたということになる。
 
問題はこれ↓
8年間、「慰安婦」を強いられた。
仮に昭和14年に慰安婦にさせられたとしたら金さんは昭和22年まで慰安婦をしていたことになる。
さて、金さんは誰を相手に慰安婦をしていたんだろうか?
 
たぶん、ツッコミが入った段階で「慰安婦をしていたのは6年でした」と言い換えるんだろうな・・・。
 
 当事者の証言は証拠である。史資料と比べ価値が低いわけではない。オーラル・ヒストリー(口述史資料)を重要視する学会の動向を見れば明らかだ。
 
証言のウラを取ろうとせず、言うことを何でも鵜呑みにしているこんな学会は必要ない。

 
追記
あちこちで他の皆さんがツッコミを入れています。
こちらが詳しいのでご覧下さい。
 
chuka さんのブログ
慰安婦は語る:日本軍の性奴隷達による証言
 
その記事の中に元慰安婦,、文玉珠=ムン・オクジュさんの証言が紹介されている。
 
chukaさんは「慰安婦は性奴隷でお金をほとんど受け取っていなかった」という考えのようですが、私は違います。そこでchukaさんが紹介しているムン・オクジュさんの証言を調べてみたいと思います。
 
以下、オクジュさんの証言。 赤文字に注意して下さい。


 普段からオクジュ女史は将来のことを見越してせっせと貯金にはげんでいたらしい。彼女の話では、慰安婦仲間のようにタイの市場でキムチの材料となるものをみつけてきたり、口にあわない安南米よりわざわざ値のはる別国産の米を買い求めることもなくひたすら無駄使いを避け倹約にはげんだということです。

その1
せっせと貯金にはげんでいたらしい。
 お金を受け取っていないとしたら貯金はできない。
 
その2
慰安婦仲間のようにタイの市場でキムチの材料となるものをみつけてきたり
 オクジュさんの慰安婦仲間はタイの市場に行く自由があった。
 次にキムチの材料を買ったということはキムチを作る時間と余裕があったと思われる。
 
その3
口にあわない安南米よりわざわざ値のはる別国産の米を買い求めることもなく
 オクジュさんの慰安婦仲間はわざわざ値のはる米を買えるお金持ちだったようだ。オクジュさんはそういうことはしないで倹約に励み、2年3ヶ月で約3万円を稼いだ。
 更に故郷の大邱に5000円を送金している。
他の資料から、くわしく言うと。
玉珠=ムン・オクジュ女史の貯金の合計金額は26145円だった。
 
以下は月給の比較です。
慰安婦 1000円〜2000円(アメリカ軍の調書)
総理大臣 800円(東条英機)
ちなみにこれは、当時、家一件が5000円で買えた時代です。
わずか2年3ヶ月で家が5件も購入できる報酬を得た人が、果たして「性奴隷」なのでしょうか?
 
「外出も許されず、お金ももらえず、毎日、日本軍に性奴隷にされていた」と言っている人たち(慰安婦)が、故郷に家1件買えるお金を送り、市場に買い物に行き、普通の人より高い米を買い、たまにキムチなどを作って食べていた。
 
それでも慰安婦は性奴隷なの?
アメリカではこういう人は普通「売春婦」というのではないですか?
私は慰安婦の人達の一人の証言が二転三転するのを調べて、「日本兵にむりやり連れて行かれた」というのが、どこまで本当なのかを調べようとしたが、ある先生によると慰安婦の証言が「つじつまがあわないのはPTSDによる心の傷でありあたりまえ」のことである、とのことである。
 
 
精神科医がみた「癒し」から抜粋します。
 
>しかし、PTSDは、その外傷の記憶が、ゆがんで記憶されたために起こる「苦痛」なのである。このようにゆがめられた記憶(つまりPTSD)は、持続的に人を苦しめ、その被害は実に継続性に生じるのである
 
>私が関わっている中国人の元「従軍慰安婦」の方々は、その二回の調査の末、驚くべきことにPTSDの診断基準を(DSMーIV)すべて満たしていることがわかった。
 
>結果は全然でていないけれど、日本の裁判所までいって、ある人からは「まとまりない」「つじつまが合わない」などといわれながらも、自分の物語として語ったときに、外傷性記憶は追悼されていくのである。
 
実は「つじつまが合わない」ことこそ、外傷性記憶の特徴で、PTSDに非常に見られる有効な所見であるのに、それを指して「だからこの被害の事実は不透明 だ」とする一部の人々の誤った理解、PTSDのメカニズムについての無知さにはあきれるものがあるが、それを圧して尚、「自分の物語り」を完成させてあげ ることの有効性(回復の過程における)を、私はまざまざと見たのであった
 


ある人がこの記事についてこのように述べていました。
 
>これについて話が多少変化して行くのは、外傷性記憶の特徴であるという指摘が精神科医によってなされている。
>最初はあやふやな部分が、話したりする内にだんだん、確かな話となり、心の傷の治癒につながるという話だ。
 
「だから慰安婦の話がつじつまが合わなくても本当の話だ」と言いたいらしい。
 
これは矛盾していないだろうか?
>>これについて話が多少変化して行くのは、外傷性記憶の特徴
 
そうであるなら、「業者にだまされて連れていかれた」話がいつのまにか「日本兵に連れていかれた」話に変化したり、「朝鮮人に騙されて」という話が「日本人に騙されて」に変化することも当然考えられる。
 
つまり、先生の言うように慰安婦がPTSDの「外傷性記憶」症状を示していたというのであれば、その慰安婦の証言は「話が多少変化していった」後かもしれず、全く信頼できる証言ではないということになる。
 
信頼できる証言でないなら、なぜ「外傷性記憶」の慰安婦の証言を本当だと言い切れるのだろうか?

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