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今の家へ引っ越してきた20年前。それは雪が降る寒い日でした。 |
猫の間
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平成22年10月末、「リラ」が20年の生涯を静かに閉じました。 |
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さあ、猫のまねをしましょう。 |
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3月17日(2010年)、栃木県にある東芝ライテック鹿沼工場での白熱電球製造が終了となりました。これは2008年に経済産業省から発表された白熱電球製造販売中止計画を受けたもので、今後その他の会社でも2012年までにその方向に進むそうです。ノスタルジック的には寂しい感じもしますが、白熱電球が無くなっても特に困る事は無いようにも思えます。 あれっ、ノスタルジック的には寂しい……? 白熱球は我が家においてはまだまだ現役です。玄関、廊下、便所、細工場、黄色っぽい光に包まれています。実家のリビングも調光式で白熱電球を使っています。(あれはLED電球でも使えるのかな?) 全くノスタルジックになりません。 そんな我が家の廊下は玄関から始まって台所の所で左へ曲がって進み細工場として使っている部屋入り口チョイ奥まで続いています。そしてそのどん詰まりが猫トイレ置き場です。 廊下の照明は曲がり角のところに60ワットの白熱電球が1つ。窓はありません。ですから猫トイレ付近は昼なお暗い洞窟の奥みたいな感じになっています。 いや、みたいではありません。まったくもって洞窟の奥なのです。 そもそも、我が家は北を除く三方を杉林に囲まれていて日当たりがとてつもなく悪く、日が低い時期、秋の彼岸から春の彼岸くらいまでは庭に日が当たりません。そんな日影屋において廊下の採光は、北向き台所の窓から入って来る光のうちのそこで消費されてしまったかすかな残りが更にすりガラスで弱められて届くだけ。夏の力いっぱい太陽が降り注いでいる時は幾分明るいのですが、冬ともなれば昼でも真っ暗。台所に明かりが点いていてもほとんど足しにはならず、この廊下で何かしようとしたら60ワットに頼らざるを得ないのです。 もっとも、廊下ですので何かすると言っても主な事は歩くだけ。だから明かりは60ワットで十分なのですが、一日一回の主ではない作業の時がちょっと困りもの。暗くて仕事になりません。そこで作業灯として廊下の最奥に20ワット蛍光灯を一本ぶら下げてあるのです。 その作業とは猫トイレの掃除です。 使う方の猫にとっては暗くて人気もなく静かで落ち着ける最良の場所となっているのでしょうが、始末する方の人にとっては最悪の場所。本来は朝晩や使用直後などまめに掃除してやらなくてはならない物だそうですが、朝は忙しくてとてもそんな余裕はなく、昼は不在、という事で掃除は一日一回夕方のみとなってしまっています。最近はこれがちょっと怖い状態に……。 さてと、そんな暗い暗い猫トイレ。夜間や冬場の朝などはそれこそ真っ暗です。そんな所でも猫たちはしっかりと用を足しています。 猫は暗い所でも目が見えると言われていますが、真の暗闇、一切の光がない状態では物を見る事は不可能です。さすがの猫でも。 そんな時猫はどうするのでしょう。そう、ヒゲを使うのです。 我が家の猫トイレの場合でも真っ暗な時にはヒゲを使ってその場所を探り当てて用を足しているのです。その様はまず廊下の壁に片方のヒゲを当ててトレースしながらつまずきそうな障害物を警戒しつつおっかなびっくりそろそろと進み、前足がコツンとトイレに当たったら中に入って、トレースしていたヒゲを今度はトイレ容器に当てて中央の場所を探り当てると用を足し、その付近をカリカリと砂掛けしたらまた壁を探りヒゲトレースをしながら戻ってきます。 なんて事してはいません。 人には暗闇であっても猫たちには見える明るさなのでしょう。スタタタタとトイレに向かいあっさり到着するとさっさと用を済ませてまたスタタタタと帰ってくるのです。(むろんその様子は見えないのですが、雰囲気はそうです) 猫の目は実にうまく出来ているそうで、光を感じる網膜の裏に反射板があって、一度網膜で感じた光をそこに反射させて再度網膜を通過させて認識する。つまり光を二倍に増幅して見ているのです。猫の目がきらりと光る時があるのはこの反射した光が見える時なのですね。 ではなぜこのような仕組みになっているのか。 それは猫が夜行性だからなのです。 でも、ウチの猫たちは夜になるとクークー寝ています。「まめてつ」なんかガーガー寝ています。 「まめてつ」は人気者。夜になると無理やり子供たちがペッドへ連れて行ってしまいます。そして夜中になると騒ぎ出して子供たちの安眠を妨害して楽しむという事はなく、朝までガーガー。子供に聞いても夜中に騒ぐ事は全くないそうです。(ちなみに私が一緒に寝ようと連れていくと「イヤー、イヤー」と鳴き、そのうち「ハー」とため息をつくので、諦めたかと手を緩めるとダーッと逃げていってしまいます。なんで?) 他の猫たちもそうです。 寒い時期だと「はな」はSAIさんのベッドにもぐり込んで来て朝までクー。「リラ」も以前は私のベッドに来ていましたが寄る年なみで上がれなくなったのか冬でもこたつ脇で朝までスー。 以前我が家にいた猫たちも皆夜になると騒ぎ出して、という事は無く、朝までスヤスヤ。人が起き出すと初めて目を覚まして後をついてまわり、「ごはーん、朝ごはんちょーだーい」と騒いで、お腹が満たされたところで、「外行くー。外、外。」と人に戸を開けさせて出掛けて行くのでした。もちろん辺りはすっかり明るくなっています。 昼間、私たちが不在の時、猫たちがどの様に過ごしているかは解りません。しかし、休日私たちが在宅中においては、朝食後のパトロールから帰って来るとウツラウツラ、もしくはボー。 そして昼ごろまた「仕事があります」と出掛けて行って、あっさり片づけて帰ってきてウツラウツラ、ボー。の繰り返し。 平日、皆が出掛けるまでに朝のパトロールから戻って来られなかった時は一日中外で暮らす事になります。でもその間中活動していたかは疑問。大抵は私たちが帰宅し玄関のカギを開けているとその足元にいて一番に家に入ります。 夕食後も「今日は寄り合い」とか言って出掛けて行きますが、さほど重要な話し合いは無いようで大抵はすぐに帰ってきます。時には会議が踊ってしまったか、ただ単に踊り狂っていたかで私たちの就寝に帰りが間に合わない時もありますが、そんな時も一晩中踊っていた訳ではなく、早々に引き揚げて軒下で寝ていたようで、朝、カーテンを開けると窓の外にたたずんでいたりします。 かように猫たちは昼でも夜でも出掛けて行きます。で、総じて言える事は「猫は夜行性ではなく、昼夜構わずオールマイティー」という事ではないでしょうか。おそらく我が家の猫たちに限った事ではないでしょう。 寝たい時に寝る。食べたい時に食べる。出掛けたい時に出掛ける。それが夜でも昼でも構わない。地球が回転しているから昼と夜があるんだって?それで1回まわれば1日で、1日は24時間で1年は365日だって?そんなの僕らにはなんて関係ないよ。一生のうちの半分は明るくて半分は暗いだけ。 と、猫たちが言っているかどうかはいざ知らず、猫の目のもう一つの構造からしてもオールマイティーと言えるのではないでしょうか。 もう1つの構造とは瞳孔が丸になったり針になったりする事です。 ご存じの通り、猫の目は明るい所では針になって、暗い所では丸になります。でも完全に夜行性であるのならば昼の明るい所で針になる必要はありません。だって完全夜行性なら昼は寝ていて針目は必要なく、夜用の丸目だけあればいいはずですから。 我が家の猫たちが居間でくつろいでいる時はほぼそれは卵形で午後4時、時たま、夏場で外に強い日差しが射しているなどは、瓜形で午後二時になっています。トイレなどの暗い所では丸で午前6時。針の正午はまずありません。 ちょっと?な表現ですね。 実はこれは江戸時代に書かれた、和訓栞によるものです。瞳孔の変化で時間を知る、という物ですね。この方式が現役でしたら我が家は大抵午後4時頃で、たまに3時のおやつは食べられるけどお昼ごはんはありません。朝ごはんはトイレでね。となってしまいます。 猫瞳の針小丸大は、特別な場合を除いて、明るさに関係する物なのでどうもこの時を知る方法は眉唾ものですね。と言うよりなんだか全く当てになりません。 それなのに戦国時代では織田信長とか島津義弘などが戦場に猫を連れて行って時刻を調べていたそうです。はたしてこんないい加減なもので時刻が解って戦に勝つ事が出来たのでしょうか。 そう、昔の猫はいつもだらっと同じ様な目をしている事は無く、きりっと時間の経過とともにその目を変化させていたのです。そして、昔の人は猫と同じ自然な時の流れの中で生きていたのです。だから猫の目が時計に使えたのです。 ところが明治以降人の生活は暗闇や夜を明るくする事に力を注ぐようになり、主たる私的生活時間が日没後になるとともに家の中はいつも同じ明るさとなって猫もそれに合わせてしまったのですね。だから今では猫目と時間が一致しないということになってしまったのです。 ちなみに江戸時代では2つの時刻が使われていました。 1つは時刻を十二支で表した辰刻法。 これは1日を12に分けて順に十二支の名を付けたもので一刻は2時間です。しかしそれだけだと大雑把過ぎるので更にそれを一つ、二つ、三つ、四つ、と分けました。「草木も眠る丑三つ刻」はここから来ています。 一方庶民の間では時点法というもう1つの時間が使われていました。 こちらは1日を12に分けるのは同じなのですが、夜明けを明け六つ、日暮れを暮れ六つとして、それぞれの間を六つに分けていました。よって同じ昼間の1時でも日の長い夏場は長くなり、冬場では短い、という季節によってその長さが変わってしまう物でした。そしてその表現は午前0時が九つで八つ、七つ、と進んで、夜明けが六つ、五つ、四つ、そして正午がまた九つで午後も同様に八七六五四と進んで午前0時の九つに。「3時のおやつ」はこの八つから来ています。 先の和訓栞では表現が「六つ丸、四八瓜、五七玉子、九つ針」となっています。つまり庶民的な、季節ごとに変わる時刻を表しています。行燈、提灯、囲炉裏がせいぜいの明かりであった時代、人も猫もお日様という自然の明かりの下でともに同じ時間で生活していました。それがあれよあれよという間にそれこそ猫も目を丸くするような人間の生活の変化。でも猫はオールマイティーなので、人の生活が多少変わってもその能力をもってして何の支障もなく我が道を進んでいっています。 私も猫の目で時刻を知るような生活をしてみたいと思う事もありますが、いっぺん夜なお明るい生活を送ってしまうとなかなか。そういえば最近年のせいか「リラ」がトイレを失敗する事がよくあって、まわりにポロポロとこぼしている事があります。これが60ワットでは廊下の床と同じ色になってしまい油断していると……。作業灯を点ければはっきり見えるのですがそのスイッチはトイレの上。スイッチを手前にするか、白熱灯をLED化して照度を上げるかしなければ。 余談ですが、猫まんがではそのほとんどが丸目。かわいさを表すためなのでしょうがいつも朝ごはんか夕ごはん。お昼ごはんになっているのは化けた時か悪役だけですね。化け猫が出るのは大抵夜。あの針目で見えるのかなー --第43号(平成22年5月22日)-- |
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Lilac。 |





