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左手に連なる山々を眺めながら進んでいた列車は高崎を出るとおもむろにその山を目指す向きに進路を変えて車窓には険しい風景が迫ってきます。「間もなく横川です。4分停車します」と車内放送が流れると、それまでそんな車窓には一切目もくれずおしゃべりしていたおばちゃんやクールに雑誌などを読んでいたサラリーマンなども急にソワソワして、列車がホームに差し掛かる頃にはデッキへゾロゾロ。その目の前を一礼する人たちの姿が通り過ぎて行きます。列車が停車しドアが開くと人々は一斉にその頭を下げていた人たちの元へ。やがてその人だかりの中からひとり二人と抜けだしてきて席に戻り、喧騒をさばき終えた人たちにまた一礼の見送りを受ける頃には列車内に釜飯のにおいが漂い始めるのでした。 |
焼物の間
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栃木県宇都宮市にレオン自動機という会社があります。なんだか自動車部品を作っている会社の様な名前ですが、実は大福などを作る機械を製造している会社です。 |
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一日くらい陰干し ж44ж モロクロ まずはご注意です。 今回は前半に化学記号やらなんやらがごちゃごちゃ書かれていますので、それらが苦手または面倒という方は後半からお読みください。 (と、書くと前半は水増しの為に書いた、と言っているようなものですね……。) 大谷津砂 40.0 鼠石灰 12.0 釜戸長石 6.0 芦沼石 16.0 酸化コバルト 0.8 酸化クロム 0.8 酸化第二鉄 2.4 それぞれの成分は ゼーゲル式にすると と、何やらいっぱい書きましたが、これは黒釉の調合例とその構成物の成分そしてそれをゼーゲル式で表したものです。(計算あってるかな) ちなみに大谷津砂とは栃木県市貝町で産出される物で比較的低温で溶けて透明になり、そもそもはやはり益子特有釉薬「並白」の増量剤として使われ出しました。 (「並白」の調合は、大谷津砂 60・鼠石灰 20・寺山白土 10・福島長石 10です。) 鼠石灰は岐阜県産。赤坂石灰とも言われます。主成分は炭酸カルシウム、釉薬を溶かしやすくする働きがあります。 釜戸長石も岐阜県産。ケイ酸が多いのが特徴で白濁釉薬に使われる場合が多いです。 芦沼石は益子産。見た目は大谷石みたいなものですが鉄分を多く含みます。この石だけを使った釉薬が益子柿釉です。 酸化コバルトは日本では採れません(採れるのかな?)。少量でも効き目抜群で青の発色剤として使われますが大量に使うと黒。ただしとても高いのでこれだけで黒を求めるのはとても贅沢です。 酸化クロムも全て輸入品。緑色の発色剤です。 酸化第二鉄はいわゆる赤さび。そもそもの鉄はやはり輸入に頼ってはいるものの、赤さびはその辺にごろごろ。叩き落として擦って粉にして使います。は、昔の話。今は純度の高い製品が簡単に手に入ります。鉄はオールマイティー発色剤。濃さ焼き方で赤、茶、青、黒など様々な色が出せます。 ちなみに大谷石の主な成分は で、芦沼石と比べると鉄分が少なくなっています。 という具合に黒釉を作るのは大変なのです。私もいつも苦労しています。あれこれ微妙に混ぜなければなりませんからね。 というのはうそ。私の黒釉はもっと単純明快。そのレシピは 芦沼石50% 洗い落とし50% です。 益子の伝統釉薬は柿釉、糠白釉、青磁釉、並白釉、黒釉です。 いずれも益子で古くから使われている釉薬で、柿釉は単純に芦沼石だけ、糠白釉は主に籾柄の灰、青磁釉は糠白釉に酸化銅を混ぜたもの、並白釉は石灰を使った透明釉、と、近隣で入手できる材料を使った釉薬です。青磁釉に使われる酸化銅は近代技術的な物に思われそうですが、銅を使った品物は更に古くからあって釉薬に使っていたのはその錆。鉄同様焼いて黒錆になったところを叩き落として薬研で擦って。もっと簡単なら胴に発生した緑青を使って。 さて、黒釉。 昔々はコバルトとかクロムとかの精製技術が発達していませんでしたから使えるはずもありません。でもそれが取り出せるようになる前から黒釉はあったのです。では何を使っていたのか。 そう、答えは芦沼石です。 芦沼石はそのまま焼くと橙色の柿釉です。ただし、この色を出すためにはぽってりと厚く施釉しなければなりません。また、下地に薄い並白を掛けもします。 でも、芦沼石を粉にしたものを(赤粉と呼ばれます)そのまま使うと厚く施釉する事が出来ません。厚みがあると乾いた時ひび割れしてはがれてしまうのです。だからといって薄く掛けると赤紫っぽい色になります。そこで赤粉を一度素焼きの温度で焼いてやります。するとあら不思議、ぼってり厚く掛ける事が出来る様になるのです。 でもちょっと厚みの加減を失敗したり、下地の並白が指跡などで厚く掛かっている部分があったり、柄杓掛けの時同じ場所に流し続けてその部分の釉厚が薄くなってしまうと柿釉の発色にはならず黒になってしまうのです。 そう益子の黒釉はこの現象を利用した物なのです。ただし黒とは言っても綺麗な黒ではなくちょっと気の抜けたような透明感がある黒です。 柿釉の発色はそれに多く含まれている鉄が表面で結晶化する事による発色です。ですから柿釉の掛かった品物の表面を削るとその下は漆黒の世界です。つまり柿釉を表面に鉄が結晶しない程度に薄めてやればいい。それが元々の益子黒釉です。 薄めるには土灰(雑木を燃やした灰。昔はかまどや囲炉裏で簡単に手に入りました)を混ぜました。 おっ、私の黒釉と同じですね。おっと偉そうな言い方になってしまいました。私が昔ながらのまねをしているのです。 ただし今では土灰が高価なものになってしまいましたので洗い落しを使っています。洗い落としとは施釉時に高台に付いた釉薬をふき取ったものを溜めておいたもの。様々な釉薬をふき取った物なのでその内容はぐちゃぐちゃのブレンドです。大手の窯元ではそれが大量にあるので大部分は捨ててしまう事に。それをもらってきて再利用。う〜ん、経済的。 さてその黒ですが、やはりあれこれ研究の結果色々科学薬品を加えた黒とは微妙に、いや明らかにその色合いが違います。 えっ、黒色は黒であって他に色が違う黒があるのかって?。 はい、あります。 そもそも、黒色とは何でしょう。 黒色とは全て、もしくは無し、です。 色という物はその色をしているのではなく、その色以外の光を吸収してその色の光だけを反射する事によりその色に見えるのです。 解りにくい表現ですね。つまり赤い物は太陽の七色の光のうち大部分は吸収してしまうけれど赤い光だけは反射するのでその光が目に届く事により赤い物に見えるのです。黄色い物は黄色い光だけ、緑色の物は緑の光だけを反射するから黄、緑に見えるのです。 この赤、黄、青は色の三原色と呼ばれます。正確にはマゼンタ、イエロー、シアンです。おっ、プリンターのインクの色ですね。 この三原色以外の中間色はそれぞれを混ぜ合わせる事で表現されます。反射する光の量をそれぞれの顔料で微妙に打ち消す事によって中間色を出すのです。そして三原色全てを混ぜると全ての光を吸収してしまう事になり光が目に届かない、それが黒です。(ただしプリンターのインクは透明度が高いため純粋な黒にならないので別に黒のインクを用意しなければならないそうです) 三原色にはもう1つ、光の三原色というのがあります。こちらは赤、緑、青で、それぞれの光そのものの事です。洋風(?)に書くとR、G、B。そう、こちらはパソコンやテレビの画面です。パソコンではこの光を出すポッチが1つずつの3個1組で1ドット。それがいっぱい集まって1つの画面になります。で、色を表現する時はそのドットのR、G、Bの明るさを256段階で調整してやります。ですので表せる色の数はその組み合わせとなりますので256×256×256色(暇な人は計算してみてください。どこかで見た事がある数字になるはずです。ちなみに大昔のパソコンはこの色調段階調整が無く点灯or消灯だけだったので中間色を出すのが大変でした。)。で、1個も点灯していない、つまり光が無い状態が黒です。 おっと話がだいぶ逸れてしまいました。とにかく色々な材料を組み合わせて苦労して作り上げた黒は実に綺麗です。漆黒でありながらそのフラットな表面は艶光して瑞々しく、まさに濡烏。そこに柿釉を流したものはほれぼれするほどの秀逸品です。 また、この黒の表面を平滑ではなくプツブツにした柚子肌黒もしっとりとしていてとても綺麗。 一方私の黒は暗黒色。それなりに艶はありますがぽってりした感じ。でも私は好きですよ。 古くから益子にある黒はこの暗黒色がもう少しぽてっとした感じ。早く言えば野暮ったい黒。元々そういう色なのか私の様な黒が経年変化したのかは解りません。 ただし、益子古黒は色ムラが少ないように思えます。 秀逸黒や私黒は釉厚が薄いと憲法黒茶ぽい色になってしまいます。ところが益子古黒はそういった事も無く指跡などもしっかり黒。施釉技術がすごかったのか、今はもう採れない八木岡石(真岡産出)を使っていたからなのか。 いずれにせよ黒は厚く施釉しなければ出ない色です。しかし、薄く施釉する事で綺麗な発色をする黒もあります。 それは黒マット。いわゆる呂色です。 黒マットに関しては市販の調合済みの物を使っていますが、厚く掛けると紫黒ぼくなってしまいます。だからと言って薄すぎると黒鳶な感じになってしまいますが。これを酸化焼成すると良い黒になります。ただ私黒は酸化焼成すると黒紅の金属結晶がポツポツと出来てしまいますので一緒に焼けないのがネックですが。 単純でありそうで何かと難しい黒。窯出しの時思っていた通りの黒が出た時は本当にほっとし、予想以上の物が出来た時は大いに感動物なのです。 <p> え〜と、あと日本古来の黒を表す色には何があったかなー。 それにしても古来日本人の色を表す感覚には凄いものがあって、私みたいに黒だったら黒と黒マット2種類だけで失敗したら茶色くなっちゃったとかギラついちゃったなんて表現しか出来ないのとは大違い。 と、思っていたけどやはりそれは特別な人たちだけだったのかな。 私たちは普通緑色の物も青いと表現します。それはその昔日本には色の表現が4色しかなかったからだとか。 それは、昼の白、夜の黒、血の赤、それ以外の青。 だから緑色の物も青いと言っちゃう。つい最近までは黄色も青いと表現する地方もあったとか。するとそこでは信号の色も青青赤? 「い」を付けて形容詞になるのも白い、黒い、赤い、青い、だけで緑い、黄いとは言わず緑の、黄色の、となるのもその名残だとか。 はい、もちろん私も特別な人たちではなく昔ながらの普通日本人です。 --第44号(平成24年1月8日)-- |
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ではなぜ、その明かりを白熱電球で、とこだわるのでしょうか。 まず第一は慣れです。ずーと白熱電球でやってきているのでなんだか変えたくない、というのが本音です。変えると作風まで変わってしまいそうなそんな気がして。 それに移動式という点があげられます。 白熱電球であれば付属装置はソケットだけ。それが蛍光灯だと安定器等々の付属機器が大きく結果全体が大きくなって移動式には向かないのです。電球型蛍光灯も以前は大きくて移動式にはちょと不向きでした。 それと色合い。やはり白熱電球の色は柔らかくて好きです。それに焼物において作品の色は焼きあがって初めて出る物なので極端に言えば制作中は凹凸や顔料系釉薬の濃淡が解ればそれこそ白黒の世界でも構わないのです。だから細工場の明かりの色は好みの色で良しとなります。で、私の好きな色は白熱電球の色。 また蛍光灯は目が疲れると昔から言われています。(昔だけ言われていたのかな?) それは蛍光灯がずっと点灯しているのではなく高速で点滅しているからです。関東地方以東なら一秒間に100回、関西なら120回。交流電気だからですね。しかし、白熱電球ならばやはり電気的には交流なので点滅してはいますがフィラメントの赤熱による発光なので電流が切れても余熱で光っていて光が消える前に次の電気が来ます。だからボワーッと点きっぱなし。点滅はせずよって目の疲れも軽減されるとか。 それに蛍光灯は長期間使っているとだんだん暗くなってきてそのうち点滅が激しくなりやがて点いたり消えたりとなかなかスパッとは寿命を迎えません。これが原因で多少イライラしながらも、まだ点いているから、とついつい交換を先延ばしして結果目が疲れるばかり。 一方白熱電球は古くなってもさほど明るさが変わることなくある日突然スパッ。時には最後にバシッ!!とひと光。うーん、潔くていいですねー。 まあ、結局は何となくの習慣で使い続けているだけで変えてしまえばそれまで何でしょうけど。とにかくより明るいに越したことは無いでしょう。明るすぎるのも問題ですが。 焼き物において、より明るくなってほしい、というものがもう一つあります。それは窯焚きの時です。 これは窯場が明るくなって欲しいというものではありません。確かに窯づめの時は明るい方が良いのですが、いざ窯に火を入れたならば窯場はどちらかと言えば暗い方が良いのです。 窯焚きはその火の加減を見ながら行います。ですからまわりが明るすぎると火が解りにくくなります。また炉内雰囲気調整でも色見穴から噴き出す炎の大きさを見て判断しますので―たとえば還元焼成の時は炎の長さがどのくらいとか、酸化焼成の時は炎が出るか出ないかぎりぎりくらいくらいとかです。―まわりが明るいとそれはやりにくい物となります。 私の場合はその雰囲気調整が重要な頃合いが夜になるようにします。具体的には朝5時ごろ窯に点火すると雰囲気調整が重要な1000度くらいは日没後になり窯場は十分に暗くなってくれます。 しかし、いつもその時間に点火出来るとは限らず、時には昼日中燦々と太陽が照る時間帯になってしまう事もあります。 そのような時は色見穴をふさいでいる蓋をちょっとだけ開けて蓋に炎が当たるようにして判断したりとやはりちょっと大変です。 その頃になると窯の中は赤熱していて真っ赤になった品物がはっきりと見えます。しかし、これはまだまだです。その後温度計上は上がっていってもそれではと覗いた窯の中がはっきり見えるとがっかりなのです。 窯焚きでは500度くらいになると品物は赤く光りはじめます。ガス窯などではこのくらいの温度までは簡単に上がってしまうので、気づけば色づいていた、という事がほとんどなのですが、登り窯などの薪窯ではここまで行くのが一苦労。何しろそこまで3日くらいかかりますから。 皆さんは夜明けの瞬間をご覧になった事があるでしょうか。 それを見るのは海、それもまわりに全く明かりがない夜行フェリーなどがいいです。 夜の海は真っ暗です。それこそ海と空の区別がつきません。 やがてふと東の空を見ると目の高さに糸の様な何となく赤い筋が見えます。しかし、それをよく見ようとすると闇に溶けてしまって、あれっ、気のせい?、となります。 一度目をそらして十分に暗闇に目を慣らしてから見るとやはり赤い筋の様なものが見えます。 それを繰り返していくうちに赤い筋は目をそらさなくても見える確かな糸となり、紐となってその上の漆黒の部分の色が薄くなっていきます。 それと同じ物が登り窯焼成の時に見られます。 「色づいたんじゃないか?」 「いや、まだだろう」 「ほら大中火前の壁、色づいてないか?」 「おお、確かに」 この瞬間は窯焚きの最初の喜びです。 そして温度は徐々に上がり窯の中の品物がはっきり見える様になります。 1200度、品物は白熱して来ます。輝く品物が見えます。表面はだいぶテラテラした感じ。釉薬が溶けてきています。ゼーゲルコーン(窯内温度を知る為の物)が見えます。 でもこれではまだなのです。 更に温度を上げます。やがて窯の中は白輝して正視するのが難しくなります。はっきり見えていた品物もゼーゲルも何処にあるのか解らなくなります。 見ているだけでも辛い窯の中をじっと見つめ続けます。やがてなんとかその輝く光に目がいくらか慣れてゼーゲルが何となく見えます。 「8番半倒!」 「9番は?!」 「まだ!」 「よし!大くぺ!」 「どうだ!」 「まだ落ちません!見えません!」 「あっ、8番完倒! 9番10%!」 白く白く光り輝く炎の中で焼き物が生まれます。 --第43号(平成22年5月22日)-- |
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3月17日(2010年)、栃木県にある東芝ライテック鹿沼工場での白熱電球製造が終了となりました。これは2008年に経済産業省から発表された白熱電球製造販売中止計画を受けたもので、今後その他の会社でも2012年までにその方向に進むそうです。ノスタルジック的には寂しい感じもしますが、白熱電球が無くなっても特に困る事は無いようにも思えます。 あれっ、ノスタルジック的には寂しい……? 白熱球は我が家においてはまだまだ現役です。玄関、廊下、便所、細工場、黄色っぽい光に包まれています。実家のリビングも調光式で白熱電球を使っています。(あれはLED電球でも使えるのかな?) 全くノスタルジックになりません。 あっ、1つだけありました。ノスタルジック。 両親の実家は共に兼業農家ではありましたが祖父が毎日の農事を行う事が出来たので田んぼに畑そしてニワトリとしっかり農業をやっていました。父の実家では養蚕もやっていて夏休みに訪れると庭いっぱいに屋根を張ってその下に台を置き桑の葉が敷き詰められて白い虫がウゾウゾ。頻繁な桑の葉の取り換えや、カイコを狙ってくるスズメバチの追い払い、大きくなった物を繭作り用のまぶしに移したり(ボール紙を組んだ団地みたいなものがメインでしたが藁で編んだものも使ってました)、繭をもらって帰って箱に入れておくとガがかえってそのうち卵をポロポロ生んだり。いやー懐かしいなー。 おっと違った、白熱電球のノスタルジック。 母の実家を訪れたらひよこを購入したばかり、という時がありました。箱の中でピヨピヨピヨピヨと騒ぎたてるたくさんのひよこ。陶器製の水やりにそして暖房用の裸電球。 さほど寒い時期ではなかった覚えがありますが照明を兼ねた(真っ暗だと餌が食べられませんので)その電球はとても暖かそうに見えました。今でもそのようにひよこを飼っているところがあるのかなー。 さて、我が家。玄関、廊下、便所はLED化してもさして差し障りは無いように思えます。いや、早々にLED化した方が経済的にもお得なのでしょうが何となくそのまま。と言うよりも積極的にそのまま。だって白熱電球は100円でお釣りがくる値段で買えるんですから。 長い目で見ればお得なのでしょうがいまひとつ実感がわきません。電球型蛍光灯を付けた事もあるにはあるのですがすぐにダメになって白熱電球に戻しました。色合いの違和感も大きかったですし。 違和感と言えば最近お祭りの夜店の明かりが蛍光灯もしくはLED化されて白明るくなる傾向にあるようです。でもあれもやっぱり白熱電球の色が似合いますよね。売られている品々、特に小麦粉系の物はあの黄色っぽい明かりの方が美味しそうに見えます。でもLED化されて省エネが進みお祭り会場から発電機の音が無くなってくれれば嬉しいかも。人によってはあれこそお祭りの音と感じる人もあるでしょうが、私にとっては煩わしいだけの音。会話に支障が出るほどの音が無くなってお囃子と人々のざわめきだけになったお祭りはどんなに素晴らしい事か。ちなみに発電機が登場する以前の夜店の明かりはカーバイトだったそうで、とてもいい雰囲気だったとの事。LED化よりもそっちに戻してもらった方がいーなー。 おっと、また話がそれてしまいました。 何となく積極的に白熱電球の我が家ですが、細工場の明かりだけは何となくではなく確信犯的積極に白熱電球です。 細工場の天井に付いている明かりは蛍光灯です。でもこちらは部屋をとりあえず明るくするどちらかと言えばサブに当たる照明。メインは長いコードを引っ張ってぶら下げられている60ワット白熱電球です。 焼き物の細工場もやはり明るいにこしたことはありません。しかし、だからと言って細工場に直射日光を入れる事は不可です。乾燥前の品物に直射日光が当たると偏乾きになって変形するなどの悪影響がありますから。 ですので細工場は北側だけに窓があるのが理想です。やむなく南側に窓を付けた場合は下屋を伸ばして直射日光が入らないようにしたり障子などで遮光しなければなりません。 が、やはり暗いんです。日没後や天気が悪い日、そして我が家の様な日影屋。 部屋全体の明かりは天井中央。ろくろや細工台は窓際にあります。すると当然外からの明かりがなければ手元は部屋照明の作りだす自分の影になってしまいます。これでは仕事になりません。そこで手元電球の登場です。 これをろくろ上などに蛍光灯を固定している人もありますが、私は白熱電球。それも固定はせずにコードでぶら下げているだけ。ろくろの上にはそれをひっかける位置調整可能支持装置と細工台の上には二つのコード固定式支持装置(実は装置なんて立派なものではなくて横に伸ばした棒と天井からぶら下げた紐の先に針金フックを付けたもの)。高さはひっかけるコードの位置をずらすことで調節します。 位置調整が出来るようになっているのは作っている品物や作業内容によって光を当てる位置を変えたいからです。 たとえばろくろ水引きの時は作品全体の形、大きさを把握しやすいように電球を少し高めの真上にもっていきます。手元は少々影になりますが制作に支障はありません。 これが削りの時は低めの少し手前に電球を移動します。削りは高台部分のみの作業になりますのでピンポイント的に手元に光があたり、かつ凹凸が解りやすいように低くするのです。 細工台の場合もそうです。土練り(この時はあまり使いませんが)や取って付けなどの細工、絵付け、それぞれで見合った位置と高さに変えています。 しかも電球が移動式であるならばろくろと細工台それぞれに明かりを付ける必要がありません。仕事をしているのは私一人。一度に二つの場所での作業はできません。よってそれぞれの作業の時にそこへ電球を移せばよく、余計な設備投資が不要なのです。(そんな大げさなものではありませんが) |







