焼物の間

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 左手に連なる山々を眺めながら進んでいた列車は高崎を出るとおもむろにその山を目指す向きに進路を変えて車窓には険しい風景が迫ってきます。「間もなく横川です。4分停車します」と車内放送が流れると、それまでそんな車窓には一切目もくれずおしゃべりしていたおばちゃんやクールに雑誌などを読んでいたサラリーマンなども急にソワソワして、列車がホームに差し掛かる頃にはデッキへゾロゾロ。その目の前を一礼する人たちの姿が通り過ぎて行きます。列車が停車しドアが開くと人々は一斉にその頭を下げていた人たちの元へ。やがてその人だかりの中からひとり二人と抜けだしてきて席に戻り、喧騒をさばき終えた人たちにまた一礼の見送りを受ける頃には列車内に釜飯のにおいが漂い始めるのでした。
 最盛期には1日に1万個も売れたという、ご存じ信越本線横川駅の「峠の釜めし」。
 この弁当が1日1万個売れたのであればその容器の釜も1日に1万個作らなければなりません。なにしろほとんどが使い捨てですからね。
 その作り方は前回も紹介しましたが、石膏型による自動成形で形状、質量ともに皆同じ。粗製乱造ではありません。
 でもそれは現在のお話。昔からそんなにピシッとした物が作られていたのでしょうか。
 釜めしの販売が始まったのは昭和33年です。で、その頃の「釜っこ」(容器の事。釜めしの釜を作っている「つかもと」では愛着を込めて「釜っこ」と呼んでいるそうです)は石膏型こそ使ってはいましたが、ほぼ手作りとも言える機械ろくろによるもので、熟練さんならビシッだったでしょうけれども、そこはそれ、やはり多少のばらつきはあったでしょう。(ローラーマシンと呼ばれる現在の自動成形機が導入されたのは平成7年だそうです)
 また、釜っこの蓋もプレス機による成形だったのですが、その歩留まりもあまり良いものではなかったそうです。(少しでも歪んでいるとだめ。現在は外部委託だそうです。)
 焼成していた窯も現在のようなトンネル窯が(昭和47年頃導入されたそうです)使われる以前は角窯(灯油バーナーによるもの)や登り窯で焼いていたそうで、当然その焼き上がりにもばらつきがあったはずです。
 更に、その頃は大量生産ができなかったために「つかもと」だけでは注文に生産が追い付かず益子の20軒ほどの窯元に製造を行ってもらってしのいでいたそうです。
 そうなるとますます品質の安定は難しそうですね。とても均一製品が作れたとは思えません。そんなものでも良かったのでしょうか。
 実際、近年でも「なんでも良かった」の時代がありました。バブルです。
 その時はとにかくハイクオリティではなくハイクオンティティー でした。とにかくドンドン作れ。
 無論、良いものが出来るように心がけてはいましたが、量に追われてやはり不良品もたくさん出来てしまいます。でもそれで良かったのです。なにせその不良品も売れましたから。
 不良品は捨てずにとっておいて陶器市でたたき売ります。
 そもそも益子の陶器市は軽度の不良品を処分する場としての役割が大だったのです。しかし、バブルの時は違いました。軽度の、思っていた色に出なかったとか、少し歪んでしまった、どころではなく、ひびが入っている、なんていう完全廃棄対象品すら売れたのです。しかも大量に。
 そんなやり方をやっていれば当然つけはやってきます。バブルがはじけた途端に大量の不良品は行き場を失い、安かろう悪かろうのイメージだけが残りました。
 以後それを教訓によりハイクオリティへと方向転換します。極端な所では悪いイメージを払拭するためにそれまで作っていたものをやめて全く新しい物を。だから益子には開陶以来めんめんと受け継がれている物がないのです。
 と書くといかにも最近古くからの物がすたれたようになってしまいますが、実は益子はずいぶんと昔からこれを繰り返しているのです。故事が教訓になっていません。
 その最たるものが明治末期頃の販売不振でしょう。
 益子焼は1853年(黒船が浦賀にやってきた年ですね)に始まります。
 開陶後は東京という大消費地に近かった事もあって発展していき、かめ、すり鉢、土釜、土鍋等の台所用品や輸出用品(花瓶など)、汽車土瓶(明治33年ころから)を大量に生産していました。
 しかし、それにより粗製乱造となり、またガスの普及による台所用品の金属化なども相まって明治末から大正時代になると売り上げは激減。離陶する窯元も多く出ました。
 その時に確固たる方針や対策が打ち出されていればよかったのですが、どうしようとおたおたしているうちに関東大震災が起こりました。
 その後東京が復興してくると失われた器の需要が急増し、同時期に始まった民芸運動によって……。
 おっと、話が今回の物とはずれて来てしまったのでこの続きは別に改めてという事に。
 益子の陶芸メッセへ行くとその展示物の中に第一期粗製乱造時代の物があってそのすさまじさを見る事が出来ます。
 土瓶の縁や胴に焼成時に他の品物とくっついてしまってそれを無理やりはがした跡が残る物や、鉢の中の底に団子状や紐状の粘土がこびりついてしまっている物などなど。
 昔はこんなので良かったのか!?
 釉掛けもだいぶいい加減なものがあります。汽車土瓶など中が無釉だったり、外側も下も方までちゃんと施釉されていなかったり。
 いや、今でもそんな釉掛をしている物があります。それは「釜っこ」
 普通焼き物において無釉となるのは置いた時に接地するわずかな部分だけです。それなのに「釜っこ」はつばより下と縁が無釉となっています。
 これは見ようによっては釜らしい雰囲気を出すための意匠と蓋(無釉)がずれにくくする工夫にも思えます。それとも少しでも掛ける釉薬の量を節約する工夫なのでしょうか。何しろ大量生産ですから1個当たりの節約量はひびたる物でも総量ではかなりの物になります。
 「釜っこ」の場合は中は全て施釉されているので弁当の容器としては別段問題はありませんが、横川から山を登った少し先の小諸で売られている「藤村一膳めし」は「ちょっとね」という代物でした。
 この弁当は大ぶりの飯椀に入れられていたのですが(現在はプラスチック容器)、その底にはドーナツ状の無釉部分。食べているとそこに箸がガリッとして気になる。そんなチマチマと節約しなくとも。
 そんなみみっちく施釉された器たち。実はこれは大量生産独特の物なのです。
 普通焼き物を焼成する時は窯の中に棚をしつらえてそこに1つ1つ並べて焼成します。
 しかし、器というものは中に物を入れる空間がありますので、窯いっぱいに詰めてもその大部分は器内部の空間になってしまいます。これではいかにももったいない。
 そこで考えだされたのが棒積という窯詰方法で、品物を1つ1つ並べるのではなく、数個を重ねて窯詰してしまいます。
 無論普通に施釉したのでは器どうしが接触する所がくっついてしまうのでその部分を無釉とします。「釜っこ」の場合ですと縁と器下部、「藤村一膳めし」だと高台とそれが当たるドーナツ部分。
 鉢の場合は、代表的なのが「紅鉢」と呼ばれるこね鉢で(茶道で言われる紅鉢とは違う物です)これは大小様々なサイズがあるため、大きい物の中に中くらいの物、その中に小さい物とマトリョーシカのようにして窯詰めされます。その際に高台がくっつかないように点々ともしくはドーナツ状に無釉部分を作ってそこに粘土のはま(スペーサー)を咬ませておくのです。
 汽車土瓶はこの両方が使われていて、土瓶の中に小さな湯呑みを入れて蓋をし、その上にまた土瓶を重ねて、というように焼かれます。なので汽車土瓶はキ上の縁が高く蓋がひどく落ち込んでいるような姿をしていますが、これは蓋のつまみが重ねる上の土瓶に当たらないようにするためなのです。
 こうするとチマチマと棚を組む時間の短縮にもなります。
 また、この窯詰も結構豪快で、普通はやってはいけないと言われている窯詰時の隣の品物との接触も平気です。触っているどころか、それこそグシャッと押し込むように窯詰してしまいます。
 でも大丈夫。焼けば品物は収縮するので自然に隣の物とは隙間ができます。もっとも、それは収縮率を計算というか経験上で懸案したうえのグシヤッであってむやみやたらな物ではありません。
 とは言ってもやはり粗製乱造だったのでしょう。上下左右やスペーサーがくっついてしまい、無理やりはがしたり、異物がそのまま残っていたり。
 そしてたまに思う事があります。
 「昔は良かったよなー。こんなのでOKだったんだから。」
 また棒積ではありませんが、「温度を上げすぎて釉薬が棚板(窯の中に組む物)まで流れてしまった物を気にするのが職人で、気にしないのが作家」という話を聞いた事があります。
 でもそれって逆じゃないの?
 職人はくっつこうが流れようがとにかく数で勝負。作家はひとつひとつ質で勝負。
 でもそうやっていたから栄枯盛衰を繰り返してしまったのですよね。
 そんな事を考えていた頃から少しの後、大阪で開発の為に地面をほじくり返していたら大量の汽車土瓶が発見された、というニュースがありました。そして、その出土した品物の画像を見てびっくり。きれいなものばかりなのです。そこは吹田操車場があった場所で以前は大阪を終点とした列車が送られて清掃を受けていた場所です。つまり出土したのは列車の乗客が買い求めた物です。残念ながら益子の物は見当たらずよその産地では粗製乱造ではなかったんだなー、と思ったのでした。
 しかし。
 これらの品物が作られた時期は昭和初期らしく、それは益子が汽車土瓶から手を引いた時期です。この頃には多くの産地で石膏型による泥漿鋳込み製法が採りいれられていて、ろくろ製法だった益子は他の産地の大量生産に太刀打ちできず手を引いたのです。
 つまり他の産地も大量生産をしていたのですから不良品も大量に出たはずです。なのに出土した物はきれいな物ばかり。と、いう事は不良品は流通させなかったという事でそれは生産地で処分されたという事。そして、当時の処分方法はというと、その辺に穴を掘って埋める。
 で、益子にある汽車土瓶を見てみると「○○より出土」とあるではないですか。
 そう、いくら粗製乱造でもメッセに展示されているようなものは益子でも流通はさせておらず、良い品物は全て出荷され益子には捨てられ埋められた不良品しか残っていなかったのです。そんなかつての職人が恥ずかしくって人の目に触れないように埋めた品物を見て、ひびが入った品物すら売れた時代を過ごして「昔は良かった」と言っていたなんて。
 やはり職人は言われた物をビシッと作るだったのですね。成形、施釉、焼成等々それぞれの職人がそれぞれの仕事を成し遂げてこそいい品物が作れるのです。
 でもそれだけじゃだめなんです。言われた物をしっかり作るだけでは……。  

--第46号(平成26年8月18日)--

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ж45ж 手作り

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 栃木県宇都宮市にレオン自動機という会社があります。なんだか自動車部品を作っている会社の様な名前ですが、実は大福などを作る機械を製造している会社です。
 昔、大福は1つ1つ職人さんが手で餡を皮に包んでいました。しかし、それは大変な作業。何とかならないかと1963年にこの作業を機械化させる包餡機を作り出したのがこの会社で、その技術は進みに進んで、いまや作れるのは大福だけでなく、この手の機械の世界シェアはとてつもない物だとか。(細かい数字忘れました)
 そもそも大福は皮(餅米と白玉粉)を適量とって丸めて広げて円状にした物の上に餡をポチッとかドカッとか乗せて皮を引っ張り上げるように包んでてっぺんまで来たらつまんでひねるようにして完全に口を閉じてその部分を下へとひっくり返せば出来上がり。
 一方機械なら皮と餡をセットしてスイッチを入れればポッコンポッコン。大きさ、餡の量も自由自在で全く同じものがポッコンポッコン。
 以前伝え聞いた事ですが、手包みですと最後ひねったところがヘソとして残っているのに対して機械ではそれが無いとの事。だから大福を食べる時に裏側を見てみればそれが手包みか機械かは一目で解るとか。
 もっとも、今は手作りとかにこだわる人がいるので機械でもヘソを作れるようになっているかもしれませんね。
 食品製造の自動化はこれに限らず全ての分野で目を見張るものがあります。
 いや食品だけでなく、多くの製造業でミクロン単位の同じものがポコポコ。自動車部品なんか規格許容誤差が±10μだとか。どうやって作っているんでしょう。
 では焼物の世界ではどうでしょう。
 実は焼物にも機械のこちらに粘土と釉薬をセットしてやれば向う側から完成品が出て来るという完全全自動ラインがあります。
 セットされた粘土は所定の硬度に練られ、規定量の大きさに切られた後、石膏型を利用した成型機で形が作られ、乾燥―素焼きラインに乗せられ、吹き付けもしくは浸しに因る施釉、焼成ライン、完成。
 施釉時に模様や文字を入れるのだってローラー状の印刷機や、丼の内側などの球面はシリコンのブニブニを使って印刷。ライン間の製品移動はロボットアーム。本焼成の棚板も組んじゃう。
 益子にもここまで完全ではありませんが、その製造がライン化されているところがあります。それは「つかもと」の釜っこ製造工場、あの峠の釜めしの釜を作っている工場です。
 その工程は、
 
 ・土練機で練った棒状の粘土を機械にセット。
 ・規定量に粘土が切られる。
 ・それが石膏型に投入され自動成形。
 ・型の上部が外される。(型はつばから下と上の2つから出来ています。)
 ・脱型。
 ・縁を均して積み重ねて乾燥工程へのコンベアに載せ換え。
 ・乾燥したものを1つずつ施釉機にセットして施釉。
 ・3個または5個積み重ねて焼成台車に積みこみ。
 ・トンネル窯へ搬送されて焼成。
 ・窯出しラインにて検品しつつ窯出し。
  
といった流れです。
 「つかもと」の場合はまだ完全なる無人化工場ではなく随所で人の手による作業が行われていますが、成形は完全機械化。そして同じ大きさ、重さの物が次々と作られています。(1日1万2千個)
 一方同窯元ではろくろを使って1つ1つ手作業で焼物を作ってもいます。(も、ではなく、こちらが本来です)
 むろん、施釉も手作業なので、出来上がりは1つ1つが微妙に違う物になります。
 でも、これを「手作りだから仕上がりに違いが出来てしまうのは仕方が無い」と片づけてしまっている訳ではありません。目指しているのは寸分違わぬ全く同じものです。
 しかし、それは本当に大変。
 ろくろ成形時に1回余計に形を整える手を加えただけでも品物が余分に手水(滑りを良くするため手につける水)を吸ってしまって乾燥収縮が大きくなってしまったり、絵付けでもほんのちょっと息継ぎのタイミングがずれただけで筆圧が変わってしまって線の太さ濃さが違ってしまったりします。
 もっとも、世間様ではその微妙な違いを手作りとしてありがたがってくれるので、それに安座してしまって「まあ、いいか」という気持ちが湧いてきてもしまい(私の場合)、かなりバラケタ物を作ってしまって、あとはお客様に好みの物を選んでもらおう、という逃げに走る事もしばしば。
 以前「手作りとは同じものは2つと無い、では陶芸教室。本当の手作りは、同じものは2つと無いが違う物も無い、である」と書いておきながら(いつだったかな)困ったものです。
 かように、手作りが目指すところは完全に同じ物の生産で、それをいともたやすく実現してくれたのが機械成形です。
 その決め手となるのが型。主に石膏型です。
 「つかもと」には手作り工程と自動機械作り工程の他にもう1つ、機械ろくろ成形工程があります。
 これは前者2つと違って見学コースからは外れたところにあります。(隠している訳ではありません。たぶん)
 機械ろくろとは回転台に石膏型をセットして粘土を投入し、備え付けられた刃を押しつけて成形するものです。
 これですと型と刃を交換すれば様々な物が同じ大きさで作れます。
 工程は
 
 ・石膏型を機械にセット。
 ・練った粘土の塊から適量をむしり取って型に投入。
 ・手である程度伸ばして大まかな形にする。
 ・刃を当てて内側を仕上げる。
 ・型からはみ出した余分な土をへらで切り取る。
 ・石膏型ごと機械から外して次の型をセットする。
 
 といった具合です。
 この機械ろくろは手ろくろと自動ろくろの2種類があって、自動ろくろの場合は刃と余分な土を取るへらが機械仕掛けで下がってくるので、手ろくろの様に人力で刃の付いたレバーを押し下げてその力加減で品物の厚みが変わってしまうという事は無いのですが (むろんストッパーが付いていて完全に降ろせば規定の厚さになるようになってはいるのですが、いくら鉄製とは言え力一杯やればレバーがたわみます)、初めに手で荒伸ばしを行わなくてはならないのは同じで、回転している型の中に手を突っ込んでもたもたしているとそこに刃が降りて来てちょっと怖い機械です。
 さて、この機械ろくろで造った品物は機械作りなのでしょうか。
 ちなみに石膏型を使う成形方法には型起こしという物もあって、石膏型に薄く切った粘土板(たたら)を押しつけて板皿などを作る物もあります。これは立派に手作りに分類されています。
 すると、機械ろくろ製品も立派に手作りですよね。確かに自動ろくろではかんじんの部分は自動化されていますが、それ以外は人力で、人の感覚に因るところが多いですから。
 逆に言えば、手作りの代表とも言える職人が扱うろくろ。あれだって石膏型が無いだけで、回転する機械を使う機械作りで手作りではない事になります。
 これらは手作りにおける大量生産の術の1つです。
 さて、この機械ろくろによる成形はこれをやってしまえば形の完成とはいかないのです。
 機械ろくろで造った品物はしばし乾燥させてから脱型します。
 乾燥させるので当然品物は収縮します。
 その時高台部分があまりにもきちっとした形だと壊れてしまいます。
 なので石膏型の高台部分はその立ち上がりが大分緩やかな、つまりいたずらに大きいものとなっています。
 ですから脱型後高台の余計な部分を削る必要があります。
 また、縁も切りっぱなしのとがったものになっていますのでその部分も軽く削るか濡れスポンジを当てて丸くしてやらなければなりません。
 更に、皿や碗の様に縁が広がっているものはこれだけで済みますが、湯呑などで下が膨らんでいるものはいくら乾燥収縮したとしてもスポッと抜く事は出来ません。くびれている部分に膨らんでいる部分が引っ掛かってしまいますからね。
 この様な形の物は割型を使います。
 割型は型を縦にふたつに切った形をしていて、成形時はそれを合わせて1つの型とし、取りだす時はそれを左右にパカッと開きます。
 すると、取りだした品物には型の継ぎ目の縦の筋が付いてしまっています。型が摩耗して来るとその筋はそれに従って太くなります。
 これはやはり削り取らなければなりません。
 この工程は機械ろくろによる成形よりもよほど時間がかかります。人手で言えば、機械ろくろ1人に対して、削り修正2人くらいでないと追いつきません。
 なので、絵付け体験に使う品物では高台部分の削りを省略したり、湯呑でも割型を使う必要のない切立の物にしたりして手間を省きます。
 そして、やたら手作りがもてはやされた頃には(今でもそうかな?)高台の修正削りをする際に高台部分だけでなく胴にも少しかんなを当てて削り目を付けていかにも手作り風にするといった事も行われました。(後に削り目の付いた型も現れました)
 ここまで来れば型ろくろの品物も立派に手作りですね。1つ1つ作るろくろ製品との差はほとんど解らなくなりました。
 技術の進歩は素晴らしいのですが、逆にろくろで綺麗にびしっと揃ったものを作ると「型で造ったのではないか」「面白くない」と言われる様に。
 結果、ろくろはそろえる必要が無くばらついていてOKじゃん、となり、基本技術が衰えてしまうのではないかと心配なのです。
 
 手作りもてはやされ全盛の頃、とある養鶏場で「手作り卵」と看板に書かれていた事がありました。作り物の卵?
 既定の量と大きさにカットされた食材と調味料が届いて、あとはそれを指示通りに煮るなり焼くなりするだけ。手作り料理?
 ホント、手作りって何なのでしょう。


--第45号(平成25年10月3日)--

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ж44ж モロクロ

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一日くらい陰干し


    ж44ж モロクロ


 まずはご注意です。
 今回は前半に化学記号やらなんやらがごちゃごちゃ書かれていますので、それらが苦手または面倒という方は後半からお読みください。
 (と、書くと前半は水増しの為に書いた、と言っているようなものですね……。)

  大谷津砂 40.0
  鼠石灰 12.0
  釜戸長石 6.0
  芦沼石 16.0
  酸化コバルト 0.8
  酸化クロム 0.8
  酸化第二鉄 2.4

それぞれの成分は

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ゼーゲル式にすると

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と、何やらいっぱい書きましたが、これは黒釉の調合例とその構成物の成分そしてそれをゼーゲル式で表したものです。(計算あってるかな)
 ちなみに大谷津砂とは栃木県市貝町で産出される物で比較的低温で溶けて透明になり、そもそもはやはり益子特有釉薬「並白」の増量剤として使われ出しました。 (「並白」の調合は、大谷津砂 60・鼠石灰 20・寺山白土 10・福島長石 10です。)
 鼠石灰は岐阜県産。赤坂石灰とも言われます。主成分は炭酸カルシウム、釉薬を溶かしやすくする働きがあります。
 釜戸長石も岐阜県産。ケイ酸が多いのが特徴で白濁釉薬に使われる場合が多いです。
 芦沼石は益子産。見た目は大谷石みたいなものですが鉄分を多く含みます。この石だけを使った釉薬が益子柿釉です。
 酸化コバルトは日本では採れません(採れるのかな?)。少量でも効き目抜群で青の発色剤として使われますが大量に使うと黒。ただしとても高いのでこれだけで黒を求めるのはとても贅沢です。
 酸化クロムも全て輸入品。緑色の発色剤です。
 酸化第二鉄はいわゆる赤さび。そもそもの鉄はやはり輸入に頼ってはいるものの、赤さびはその辺にごろごろ。叩き落として擦って粉にして使います。は、昔の話。今は純度の高い製品が簡単に手に入ります。鉄はオールマイティー発色剤。濃さ焼き方で赤、茶、青、黒など様々な色が出せます。

 ちなみに大谷石の主な成分は
 
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で、芦沼石と比べると鉄分が少なくなっています。

 という具合に黒釉を作るのは大変なのです。私もいつも苦労しています。あれこれ微妙に混ぜなければなりませんからね。
 というのはうそ。私の黒釉はもっと単純明快。そのレシピは
 芦沼石50%
 洗い落とし50% です。
 益子の伝統釉薬は柿釉、糠白釉、青磁釉、並白釉、黒釉です。
 いずれも益子で古くから使われている釉薬で、柿釉は単純に芦沼石だけ、糠白釉は主に籾柄の灰、青磁釉は糠白釉に酸化銅を混ぜたもの、並白釉は石灰を使った透明釉、と、近隣で入手できる材料を使った釉薬です。青磁釉に使われる酸化銅は近代技術的な物に思われそうですが、銅を使った品物は更に古くからあって釉薬に使っていたのはその錆。鉄同様焼いて黒錆になったところを叩き落として薬研で擦って。もっと簡単なら胴に発生した緑青を使って。
 さて、黒釉。
 昔々はコバルトとかクロムとかの精製技術が発達していませんでしたから使えるはずもありません。でもそれが取り出せるようになる前から黒釉はあったのです。では何を使っていたのか。
 そう、答えは芦沼石です。
 芦沼石はそのまま焼くと橙色の柿釉です。ただし、この色を出すためにはぽってりと厚く施釉しなければなりません。また、下地に薄い並白を掛けもします。
 でも、芦沼石を粉にしたものを(赤粉と呼ばれます)そのまま使うと厚く施釉する事が出来ません。厚みがあると乾いた時ひび割れしてはがれてしまうのです。だからといって薄く掛けると赤紫っぽい色になります。そこで赤粉を一度素焼きの温度で焼いてやります。するとあら不思議、ぼってり厚く掛ける事が出来る様になるのです。
 でもちょっと厚みの加減を失敗したり、下地の並白が指跡などで厚く掛かっている部分があったり、柄杓掛けの時同じ場所に流し続けてその部分の釉厚が薄くなってしまうと柿釉の発色にはならず黒になってしまうのです。
 そう益子の黒釉はこの現象を利用した物なのです。ただし黒とは言っても綺麗な黒ではなくちょっと気の抜けたような透明感がある黒です。
 柿釉の発色はそれに多く含まれている鉄が表面で結晶化する事による発色です。ですから柿釉の掛かった品物の表面を削るとその下は漆黒の世界です。つまり柿釉を表面に鉄が結晶しない程度に薄めてやればいい。それが元々の益子黒釉です。
 薄めるには土灰(雑木を燃やした灰。昔はかまどや囲炉裏で簡単に手に入りました)を混ぜました。
 おっ、私の黒釉と同じですね。おっと偉そうな言い方になってしまいました。私が昔ながらのまねをしているのです。
 ただし今では土灰が高価なものになってしまいましたので洗い落しを使っています。洗い落としとは施釉時に高台に付いた釉薬をふき取ったものを溜めておいたもの。様々な釉薬をふき取った物なのでその内容はぐちゃぐちゃのブレンドです。大手の窯元ではそれが大量にあるので大部分は捨ててしまう事に。それをもらってきて再利用。う〜ん、経済的。
 さてその黒ですが、やはりあれこれ研究の結果色々科学薬品を加えた黒とは微妙に、いや明らかにその色合いが違います。
 えっ、黒色は黒であって他に色が違う黒があるのかって?。
 はい、あります。
 そもそも、黒色とは何でしょう。
 黒色とは全て、もしくは無し、です。
 色という物はその色をしているのではなく、その色以外の光を吸収してその色の光だけを反射する事によりその色に見えるのです。
 解りにくい表現ですね。つまり赤い物は太陽の七色の光のうち大部分は吸収してしまうけれど赤い光だけは反射するのでその光が目に届く事により赤い物に見えるのです。黄色い物は黄色い光だけ、緑色の物は緑の光だけを反射するから黄、緑に見えるのです。
 この赤、黄、青は色の三原色と呼ばれます。正確にはマゼンタ、イエロー、シアンです。おっ、プリンターのインクの色ですね。
 この三原色以外の中間色はそれぞれを混ぜ合わせる事で表現されます。反射する光の量をそれぞれの顔料で微妙に打ち消す事によって中間色を出すのです。そして三原色全てを混ぜると全ての光を吸収してしまう事になり光が目に届かない、それが黒です。(ただしプリンターのインクは透明度が高いため純粋な黒にならないので別に黒のインクを用意しなければならないそうです)
 三原色にはもう1つ、光の三原色というのがあります。こちらは赤、緑、青で、それぞれの光そのものの事です。洋風(?)に書くとR、G、B。そう、こちらはパソコンやテレビの画面です。パソコンではこの光を出すポッチが1つずつの3個1組で1ドット。それがいっぱい集まって1つの画面になります。で、色を表現する時はそのドットのR、G、Bの明るさを256段階で調整してやります。ですので表せる色の数はその組み合わせとなりますので256×256×256色(暇な人は計算してみてください。どこかで見た事がある数字になるはずです。ちなみに大昔のパソコンはこの色調段階調整が無く点灯or消灯だけだったので中間色を出すのが大変でした。)。で、1個も点灯していない、つまり光が無い状態が黒です。
 おっと話がだいぶ逸れてしまいました。とにかく色々な材料を組み合わせて苦労して作り上げた黒は実に綺麗です。漆黒でありながらそのフラットな表面は艶光して瑞々しく、まさに濡烏。そこに柿釉を流したものはほれぼれするほどの秀逸品です。
 また、この黒の表面を平滑ではなくプツブツにした柚子肌黒もしっとりとしていてとても綺麗。
 一方私の黒は暗黒色。それなりに艶はありますがぽってりした感じ。でも私は好きですよ。
 古くから益子にある黒はこの暗黒色がもう少しぽてっとした感じ。早く言えば野暮ったい黒。元々そういう色なのか私の様な黒が経年変化したのかは解りません。
 ただし、益子古黒は色ムラが少ないように思えます。
 秀逸黒や私黒は釉厚が薄いと憲法黒茶ぽい色になってしまいます。ところが益子古黒はそういった事も無く指跡などもしっかり黒。施釉技術がすごかったのか、今はもう採れない八木岡石(真岡産出)を使っていたからなのか。
 いずれにせよ黒は厚く施釉しなければ出ない色です。しかし、薄く施釉する事で綺麗な発色をする黒もあります。
 それは黒マット。いわゆる呂色です。
 黒マットに関しては市販の調合済みの物を使っていますが、厚く掛けると紫黒ぼくなってしまいます。だからと言って薄すぎると黒鳶な感じになってしまいますが。これを酸化焼成すると良い黒になります。ただ私黒は酸化焼成すると黒紅の金属結晶がポツポツと出来てしまいますので一緒に焼けないのがネックですが。
 単純でありそうで何かと難しい黒。窯出しの時思っていた通りの黒が出た時は本当にほっとし、予想以上の物が出来た時は大いに感動物なのです。
<p>
 え〜と、あと日本古来の黒を表す色には何があったかなー。
 それにしても古来日本人の色を表す感覚には凄いものがあって、私みたいに黒だったら黒と黒マット2種類だけで失敗したら茶色くなっちゃったとかギラついちゃったなんて表現しか出来ないのとは大違い。
 と、思っていたけどやはりそれは特別な人たちだけだったのかな。
 私たちは普通緑色の物も青いと表現します。それはその昔日本には色の表現が4色しかなかったからだとか。
 それは、昼の白、夜の黒、血の赤、それ以外の青。
 だから緑色の物も青いと言っちゃう。つい最近までは黄色も青いと表現する地方もあったとか。するとそこでは信号の色も青青赤?
 「い」を付けて形容詞になるのも白い、黒い、赤い、青い、だけで緑い、黄いとは言わず緑の、黄色の、となるのもその名残だとか。
 はい、もちろん私も特別な人たちではなく昔ながらの普通日本人です。



--第44号(平成24年1月8日)--

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ではなぜ、その明かりを白熱電球で、とこだわるのでしょうか。
 まず第一は慣れです。ずーと白熱電球でやってきているのでなんだか変えたくない、というのが本音です。変えると作風まで変わってしまいそうなそんな気がして。
 それに移動式という点があげられます。
 白熱電球であれば付属装置はソケットだけ。それが蛍光灯だと安定器等々の付属機器が大きく結果全体が大きくなって移動式には向かないのです。電球型蛍光灯も以前は大きくて移動式にはちょと不向きでした。
 それと色合い。やはり白熱電球の色は柔らかくて好きです。それに焼物において作品の色は焼きあがって初めて出る物なので極端に言えば制作中は凹凸や顔料系釉薬の濃淡が解ればそれこそ白黒の世界でも構わないのです。だから細工場の明かりの色は好みの色で良しとなります。で、私の好きな色は白熱電球の色。
 また蛍光灯は目が疲れると昔から言われています。(昔だけ言われていたのかな?)
 それは蛍光灯がずっと点灯しているのではなく高速で点滅しているからです。関東地方以東なら一秒間に100回、関西なら120回。交流電気だからですね。しかし、白熱電球ならばやはり電気的には交流なので点滅してはいますがフィラメントの赤熱による発光なので電流が切れても余熱で光っていて光が消える前に次の電気が来ます。だからボワーッと点きっぱなし。点滅はせずよって目の疲れも軽減されるとか。
 それに蛍光灯は長期間使っているとだんだん暗くなってきてそのうち点滅が激しくなりやがて点いたり消えたりとなかなかスパッとは寿命を迎えません。これが原因で多少イライラしながらも、まだ点いているから、とついつい交換を先延ばしして結果目が疲れるばかり。
 一方白熱電球は古くなってもさほど明るさが変わることなくある日突然スパッ。時には最後にバシッ!!とひと光。うーん、潔くていいですねー。
 まあ、結局は何となくの習慣で使い続けているだけで変えてしまえばそれまで何でしょうけど。とにかくより明るいに越したことは無いでしょう。明るすぎるのも問題ですが。
 焼き物において、より明るくなってほしい、というものがもう一つあります。それは窯焚きの時です。
 これは窯場が明るくなって欲しいというものではありません。確かに窯づめの時は明るい方が良いのですが、いざ窯に火を入れたならば窯場はどちらかと言えば暗い方が良いのです。
 窯焚きはその火の加減を見ながら行います。ですからまわりが明るすぎると火が解りにくくなります。また炉内雰囲気調整でも色見穴から噴き出す炎の大きさを見て判断しますので―たとえば還元焼成の時は炎の長さがどのくらいとか、酸化焼成の時は炎が出るか出ないかぎりぎりくらいくらいとかです。―まわりが明るいとそれはやりにくい物となります。
 私の場合はその雰囲気調整が重要な頃合いが夜になるようにします。具体的には朝5時ごろ窯に点火すると雰囲気調整が重要な1000度くらいは日没後になり窯場は十分に暗くなってくれます。
 しかし、いつもその時間に点火出来るとは限らず、時には昼日中燦々と太陽が照る時間帯になってしまう事もあります。
 そのような時は色見穴をふさいでいる蓋をちょっとだけ開けて蓋に炎が当たるようにして判断したりとやはりちょっと大変です。
 その頃になると窯の中は赤熱していて真っ赤になった品物がはっきりと見えます。しかし、これはまだまだです。その後温度計上は上がっていってもそれではと覗いた窯の中がはっきり見えるとがっかりなのです。
 窯焚きでは500度くらいになると品物は赤く光りはじめます。ガス窯などではこのくらいの温度までは簡単に上がってしまうので、気づけば色づいていた、という事がほとんどなのですが、登り窯などの薪窯ではここまで行くのが一苦労。何しろそこまで3日くらいかかりますから。
 皆さんは夜明けの瞬間をご覧になった事があるでしょうか。
 それを見るのは海、それもまわりに全く明かりがない夜行フェリーなどがいいです。
 夜の海は真っ暗です。それこそ海と空の区別がつきません。
 やがてふと東の空を見ると目の高さに糸の様な何となく赤い筋が見えます。しかし、それをよく見ようとすると闇に溶けてしまって、あれっ、気のせい?、となります。
 一度目をそらして十分に暗闇に目を慣らしてから見るとやはり赤い筋の様なものが見えます。
 それを繰り返していくうちに赤い筋は目をそらさなくても見える確かな糸となり、紐となってその上の漆黒の部分の色が薄くなっていきます。
 それと同じ物が登り窯焼成の時に見られます。
 「色づいたんじゃないか?」
 「いや、まだだろう」
 「ほら大中火前の壁、色づいてないか?」
 「おお、確かに」
 この瞬間は窯焚きの最初の喜びです。
 そして温度は徐々に上がり窯の中の品物がはっきり見える様になります。
 1200度、品物は白熱して来ます。輝く品物が見えます。表面はだいぶテラテラした感じ。釉薬が溶けてきています。ゼーゲルコーン(窯内温度を知る為の物)が見えます。
 でもこれではまだなのです。
 更に温度を上げます。やがて窯の中は白輝して正視するのが難しくなります。はっきり見えていた品物もゼーゲルも何処にあるのか解らなくなります。
 見ているだけでも辛い窯の中をじっと見つめ続けます。やがてなんとかその輝く光に目がいくらか慣れてゼーゲルが何となく見えます。
 「8番半倒!」
 「9番は?!」
 「まだ!」
 「よし!大くぺ!」
 「どうだ!」
 「まだ落ちません!見えません!」
 「あっ、8番完倒! 9番10%!」
 白く白く光り輝く炎の中で焼き物が生まれます。



--第43号(平成22年5月22日)--

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 3月17日(2010年)、栃木県にある東芝ライテック鹿沼工場での白熱電球製造が終了となりました。これは2008年に経済産業省から発表された白熱電球製造販売中止計画を受けたもので、今後その他の会社でも2012年までにその方向に進むそうです。ノスタルジック的には寂しい感じもしますが、白熱電球が無くなっても特に困る事は無いようにも思えます。
 あれっ、ノスタルジック的には寂しい……?
 白熱球は我が家においてはまだまだ現役です。玄関、廊下、便所、細工場、黄色っぽい光に包まれています。実家のリビングも調光式で白熱電球を使っています。(あれはLED電球でも使えるのかな?)
 全くノスタルジックになりません。
 あっ、1つだけありました。ノスタルジック。
 両親の実家は共に兼業農家ではありましたが祖父が毎日の農事を行う事が出来たので田んぼに畑そしてニワトリとしっかり農業をやっていました。父の実家では養蚕もやっていて夏休みに訪れると庭いっぱいに屋根を張ってその下に台を置き桑の葉が敷き詰められて白い虫がウゾウゾ。頻繁な桑の葉の取り換えや、カイコを狙ってくるスズメバチの追い払い、大きくなった物を繭作り用のまぶしに移したり(ボール紙を組んだ団地みたいなものがメインでしたが藁で編んだものも使ってました)、繭をもらって帰って箱に入れておくとガがかえってそのうち卵をポロポロ生んだり。いやー懐かしいなー。
 おっと違った、白熱電球のノスタルジック。
 母の実家を訪れたらひよこを購入したばかり、という時がありました。箱の中でピヨピヨピヨピヨと騒ぎたてるたくさんのひよこ。陶器製の水やりにそして暖房用の裸電球。
 さほど寒い時期ではなかった覚えがありますが照明を兼ねた(真っ暗だと餌が食べられませんので)その電球はとても暖かそうに見えました。今でもそのようにひよこを飼っているところがあるのかなー。
 さて、我が家。玄関、廊下、便所はLED化してもさして差し障りは無いように思えます。いや、早々にLED化した方が経済的にもお得なのでしょうが何となくそのまま。と言うよりも積極的にそのまま。だって白熱電球は100円でお釣りがくる値段で買えるんですから。
 長い目で見ればお得なのでしょうがいまひとつ実感がわきません。電球型蛍光灯を付けた事もあるにはあるのですがすぐにダメになって白熱電球に戻しました。色合いの違和感も大きかったですし。
 違和感と言えば最近お祭りの夜店の明かりが蛍光灯もしくはLED化されて白明るくなる傾向にあるようです。でもあれもやっぱり白熱電球の色が似合いますよね。売られている品々、特に小麦粉系の物はあの黄色っぽい明かりの方が美味しそうに見えます。でもLED化されて省エネが進みお祭り会場から発電機の音が無くなってくれれば嬉しいかも。人によってはあれこそお祭りの音と感じる人もあるでしょうが、私にとっては煩わしいだけの音。会話に支障が出るほどの音が無くなってお囃子と人々のざわめきだけになったお祭りはどんなに素晴らしい事か。ちなみに発電機が登場する以前の夜店の明かりはカーバイトだったそうで、とてもいい雰囲気だったとの事。LED化よりもそっちに戻してもらった方がいーなー。
 おっと、また話がそれてしまいました。
 何となく積極的に白熱電球の我が家ですが、細工場の明かりだけは何となくではなく確信犯的積極に白熱電球です。
 細工場の天井に付いている明かりは蛍光灯です。でもこちらは部屋をとりあえず明るくするどちらかと言えばサブに当たる照明。メインは長いコードを引っ張ってぶら下げられている60ワット白熱電球です。
 焼き物の細工場もやはり明るいにこしたことはありません。しかし、だからと言って細工場に直射日光を入れる事は不可です。乾燥前の品物に直射日光が当たると偏乾きになって変形するなどの悪影響がありますから。
 ですので細工場は北側だけに窓があるのが理想です。やむなく南側に窓を付けた場合は下屋を伸ばして直射日光が入らないようにしたり障子などで遮光しなければなりません。
 が、やはり暗いんです。日没後や天気が悪い日、そして我が家の様な日影屋。
 部屋全体の明かりは天井中央。ろくろや細工台は窓際にあります。すると当然外からの明かりがなければ手元は部屋照明の作りだす自分の影になってしまいます。これでは仕事になりません。そこで手元電球の登場です。
 これをろくろ上などに蛍光灯を固定している人もありますが、私は白熱電球。それも固定はせずにコードでぶら下げているだけ。ろくろの上にはそれをひっかける位置調整可能支持装置と細工台の上には二つのコード固定式支持装置(実は装置なんて立派なものではなくて横に伸ばした棒と天井からぶら下げた紐の先に針金フックを付けたもの)。高さはひっかけるコードの位置をずらすことで調節します。
 位置調整が出来るようになっているのは作っている品物や作業内容によって光を当てる位置を変えたいからです。
 たとえばろくろ水引きの時は作品全体の形、大きさを把握しやすいように電球を少し高めの真上にもっていきます。手元は少々影になりますが制作に支障はありません。
 これが削りの時は低めの少し手前に電球を移動します。削りは高台部分のみの作業になりますのでピンポイント的に手元に光があたり、かつ凹凸が解りやすいように低くするのです。
 細工台の場合もそうです。土練り(この時はあまり使いませんが)や取って付けなどの細工、絵付け、それぞれで見合った位置と高さに変えています。
 しかも電球が移動式であるならばろくろと細工台それぞれに明かりを付ける必要がありません。仕事をしているのは私一人。一度に二つの場所での作業はできません。よってそれぞれの作業の時にそこへ電球を移せばよく、余計な設備投資が不要なのです。(そんな大げさなものではありませんが)


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