大浴場

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ж 10 ж 北温泉

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 2008年8月14日午前5時出発。天候は曇り。山頂からの展望が期待できないのは残念だがカンカン照りよりはいいかも知れない。
 今日の目的地は那須茶臼岳。近年ハイキング程度の登山に興味を示している奥さんの発案である。
 国道294号線を利用して7時前に那須一軒茶屋着。コンビニで昼食と飲み物を仕入れて7時20分那須ロープウエイ山麓駅着。駐車場に車を停める。
 駐車場はもう少し登った先にも県営のものがあるが、帰りはロープウエイを利用する予定なのでこちらにした。まだスペースには若干の余裕がある。
 ちょっとロープウエイを下見。ちょうど次の便の改札が行われていて結構多くの人が乗り込んでいった。
 トイレを済ませて表に出れば先のゴンドラがスイスイと山を登って行くところ。天候は回復して青空の下に山頂駅と茶臼岳山頂がくっきりと見える。
 ロープウエイがいとも簡単に山頂駅に着いたところで、7時40分こちらも出発。駐車場からすぐに始まる登山道へと向かった。
 もっともここはまだ県営駐車場への散策道みたいなもの。息子たちもスイスイと勝手知ったる道と進んでいく。
 実は私は茶臼岳は初めてである。
 息子たちは学校行事で登山済み。奥さんもウン十年前にやはり学校行事で登っている。なので本日の先達は息子たちとなった。
 県営駐車場のある峠の茶屋を出れば本格的な登山道。樹木に囲まれた上り坂をフーフーと登る。運動不足だなー。
 20分ほどで樹木が途切れ眺望が開ける。道は土から石ころに変わった。右手の切り立った山は剣が峰だ。
 少し進むと第1の目標、峰の茶屋の避難小屋が見えてきた。そこへ続く登山道もづうっと見える。ぽつぽつと登る登山者も見える。目標が見えるのは楽しくもあり、うわーまだあんなにあるのか、と苦しくもあり。
 風景と足元の小さな花々などを堪能しつつポクポクと足を進めれば徐々にではあるが確実に避難小屋が近づいてくる。日影が全くないので暑い。
 8時40分峰の茶屋着。小休止。垂みを超える風が気持ちいい。ここで道は三つに分かれる。左は墳煙上げる茶臼岳。右は剣が峰で、まっすぐ進めば三斗小屋温泉だ。
 10分ほどの休憩で出発。次の目標は牛ケ首。山頂の下をくるりと回る形になり高度はほとんど稼げない平坦な道が続く。
 平坦なのはかつて無限地獄で採れた硫黄を運ぶ為の軌道跡の道だからだ。峰の茶屋から麓までは索道であった。その遺構の木組みがいまだに残っている。
 ほどなく無限地獄着。轟々と音を立てる大規模なものから、ポワポワと湯気を上げる小規模なものまで無数の噴気孔がそこかしこに。こびりついている硫黄を拾おうと地面に触れてみれば地面そのものがかなり熱い。
 無限地獄を過ぎたあたりからガスが湧きはじめ眺望がきかなくなってきた。峰の茶屋から30分ほどで牛ケ首着。小休止。地熱と日光が無くなったので肌寒くもある。
 牛ケ首からすれ違う登山者の様相が変わった。軽装の人が増えてきたのである。しばらく進むと点在する岩に腰かける軽装登山者が更に増えた。そんな人たちに混ざって私たちも大休止。コンビニで買ったおにぎりなどを広げる。
 10時を少し回って出発。すぐにたどり着いた尾根はどこが道か解らない広いザレ場で人がいっぱい。そしてその多くが手ぶらの軽装。中にはサンダル履きの人も。ロープウエイで登って来た人たちである。
 ザレ場が尽きた所で渋滞発生。岩場にとっつく急な登山道を前の人にくっつくようにして登る事少々。10時30分。茶臼岳山頂着。ガスは切れ日差しが戻って来た。
 もう少しゆっくりしたかったが、人の多さに辟易して20分ほどの滞在で下山開始。まず火口跡を回る。眼下に無限地獄と登山道。
 ここで長男が一言。
 「ロープウエイじゃなくて歩いて降りようよ」
 彼は高所恐怖症である。
 一方私は今回の目的の一つに未乗の那須ロープウエイ制覇があるので意見が対立。でも先達は彼。徒歩での下山となった。
 帰り道は山頂からまっすぐ峰の茶屋へ下る道。途中でガスの中に山頂駅がちらりと見えた。峰の茶屋方面はくっきりといい天気。
 トントン拍子に下って峰の茶屋。見上げる剣が峰の向こうにはポワポワのガスとは違う力強い雲がモクモク。ムムムこれはいかん。
 少し足を速めて、その結果山麓駅には12時半に着いた。空がかなり暗くなってきている。
 あ〜、楽しかったね。さぁ、次は登山後のお約束、温泉だ。
 満車の駐車場から車を出す。すぐに待っていた車が私たちの後に入った。これから登るの?
 山麓駅から10分とかからず北温泉着。とは言っても着いたのは温泉近くの駐車場。道はそこでどんずまりになっていて車は宿の前までは入れない。
 徒歩で谷へと下る。つづらを1つ曲がると趣のある宿の建物が見えた。建物の手前に広がるため池の様なものは温水プール。いや特大露天風呂と言った方がよいであろう。子供が泳いでいる。あ〜、水着を持って来れば良かった。と息子たちが悔しがる。
 玄関をくぐると正面に長火鉢。火が入っていて炭の燃える臭いがする。
 右手の券売機で日帰り入浴券を買って帳場へ。帳場を守っているのはご主人?と一匹の猫。
 雰囲気と言い、とても平成の世とは思えない。
 それもそのはずで建物の大半は安政時代のもの。その割には旧家の一室の様な休憩室にはインターネットも使えるパソコンもある。新旧がうまい具合に溶け合っている感じだ。
 荷物をロッカーに預けて早速温泉。
 休憩室前の階段を昇って奥さんは左手の女性専用湯「芽の湯」へ。私たちは右手へ折れて「天狗の湯」へ。
 暗く狭い廊下のところどころに怪しげな置物があり、暗さもあいまって息子たちが怖がるかと思ったが、もうそういう年ではないようだ。
 幾度か廊下を曲がると前方が明るくなって外へ出てしまう手前が脱衣場。廊下との区別はなく、「えっ、ここで服脱いでいいの?」とちょっと戸惑う。
 脱いだ衣類を置く棚がある反対側が浴室。こちらも廊下とのかくこたる隔たりはない。
 先客1人。挨拶して湯に浸かる。少々熱め。天狗の面が睨んでいる。
 登山の疲れが溶け出していったところで隣のうたせ湯へ。建物と言うか小屋が別になっていて裸で外を歩いて移動。外へ出たとたん雷鳴がとどろいてちょっとびっくり。
 うたせ湯は浅い湯だまりの中央に樋から湯が落ちている。いざ、と足を一歩湯だまりに突っ込んで飛び上った。アチッ!
 大変魅力的なうたせ湯なのだが、熱くてそこまでたどり着けない。立って、座って、寝ころんで、といろいろ楽しめそうなのにたどり着けない。
 諦めて、更に隣のぬる湯へ向かう。先程と同じ様に外を歩く。雨が落ちてきた。
 ぬる湯はその名の通りぬるめの湯でのんびり浸かるには良い。しかし、ガタイの大きくなった息子たちと三人で入るには少々狭い。
 交代でのんびりと浸かって、次は河原の湯。こちらは宿のほぼ反対側にあり廊下を通って行かなければならないので裸では無理。服を着て迷路の様な廊下を進む。
 河原の湯は新しい露天風呂。しっかり男女別になっていて脱衣所もちゃんとある。
 湯はぬるめ。余笹川を見下ろす大変気持ちの良い風呂なのだが、強くなってきた雨脚を避けらる程の屋根は無い。
 まぁ、雨の露天風呂もまた風流。と雨に打たれながら浸かってはいたが、雷が落ちないかちょっと心配。
 落雷は谷底故さほど心配でもないが、それ以上に気になるのは、すぐ上流に宿よりも高くそびえる砂防ダムだ。
 数年前余笹川は大洪水を起こしている。もし、今あの砂防ダムを超えるような鉄砲水が来たら裸のまま那珂湊まで流されちまうなー。
 それでも湯をゆっくりと堪能して、さぁ帰ろうかと廊下を戻るとゴーッと不気味な音。帳場まで戻って外を見れば叩きつけるような雨となっていた。
 珍しく奥さんの方が長湯。居合わせた人と長話をしていたとか。
 なかなか雨は止まず、牛乳を飲んだり長火鉢に手をかざしたりして雨宿り。帳場横の土産物売場を覗けばこちらも歴史がありそうな品々がゴロゴロ。
 そんな品々を眺めていたら、そんな客を眺めている猫が一匹。帳場にいたのとは別のやつ。はじめは警戒していたがすぐに慣れて喉をゴロゴロ。
 猫たちに接待してもらっているうちに、すぅーっと雨が上がった。が、いつまた降り出すか解らない。急ぎ足で坂道を登って車へ。雨上がりは涼しく、急ぎ足であっても、もう一度風呂に浸からなくてはとはならなかった。
 坂の途中から振り返えれば雨にしっとりとした宿が更に魅力的に見えた。今度はぜひ泊で訪れよう。むろん部屋は安政の建物を指定して。  
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--第41号(平成21年8月30日)--

猫と鉄道 トップ → http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/main/index.html

箱根 その2

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 箱根山がかように交通の難所であり観光名所である割には温泉としては有名なのか茫洋としているのかがよく解からない原因はその成り立ちにあるようだ。
 箱根山は約20万年前には標高2700m程の富士山の様な円錐形だったそうだがその後陥没と隆起を繰り返し約3000年前に芦ノ湖が出来て現在の形になった。その結果地層がガタガタになって温泉があちこちに分布する形になり(古くは箱根七湯、現在は20?)はっきりとした「箱根の温泉はこれ」という決め手に欠けた為亡羊としたものになってしまったのではないであろうか。そしてその分布も南部に偏っていて観光名所となる芦ノ湖、仙石原には無く(あるにはあるがそれは後程)メインとなる大湧谷にも卵の温泉はあっても人の温泉は無いので観光目的の人が温泉と出合うきっかけが少ない事となり、温泉としてはメジャー感が小さいのではないであろうか。パターン的には箱根で観光をした後、熱海か伊豆の温泉で泊まるという感じだ。昔も江戸中期まではやはりメジャーではなく、その後大山詣でのついでに寄るのがブームになった程度らしい。
 その温泉達について簡単に書き出してみると、
湯元−−−−単純、弱食塩、弱石膏−−−最も古い。奈良時代738年の開湯
塔ノ沢−−−単純、弱食塩、弱石膏−−−慶長10年(1605)開湯
堂ガ島−−−単純、弱砒素弱食塩−−−−鎌倉時代1311年開湯
宮ノ下−−−単純、弱食塩−−−−−−−1398年開湯。人気が出たのは19世紀になって外国人うけしてから
底倉−−−−単純、弱食塩−−−−−−−開湯不明。秀吉が使った?
木賀−−−−単純、含砒素食塩−−−−−鎌倉時代初期? 
芦ノ湯−−−単純、硫黄−−−−−−−−鎌倉時代。国道1号最高地点近く。江戸時代から避暑地
 ここまでが箱根七湯
大平台−−−単純、弱食塩−−−−−−−昭和26年。そもそもは宮ノ下から引き湯だった
小湧谷−−−単純、弱食塩−−−−−−−明治6年小地獄より改名。
二ノ平−−−単純、含重曹食塩−−−−−昭和38年。
強羅−−−−単純、弱食塩、他−−−−−大湧谷から引き湯多し
宮城野−−−単純、弱食塩、他−−−−−強羅より引き湯で始まる。現在は湧出あり
(仙石原)−含石膏芒硝−−−−−−−−明治時代。大湧谷から引き湯。以下5箇所の総称
元湯−−−−−−−−−−−−−−−−−仙石原温泉
仙石−−−−−−−−−−−−−−−−−仙石原温泉
俵石−−−−−−−−−−−−−−−−−仙石原温泉
上湯−−−−−−−−−−−−−−−−−仙石原温泉
下湯−−−−−−−−−−−−−−−−−仙石原温泉
姥子−−−−単純−−−−−−−−−−−歴史は古く、こちらが七湯に入るとも言われる
芦ノ湖−−−単純硫黄泉−−−−−−−−昭和41年。湯ノ花沢からの引き湯
湯ノ花沢−−単純硫黄泉−−−−−−−−湯の花が採れる。
蛸川−−−−単純−−−−−−−−−−−昭和62年、温泉が噴出。 となる。
 更に詳しい説明はガイドブック等を見ていただくとして、概して言えるのは、「大湧谷のボコボコ噴出すドロッとした臭い熱水」のイメージとはかけ離れた単純泉が多い事。大湧谷から引き湯しているところも直接お湯を引いているのではなく、噴出する蒸気で水を温めた物なのだ。(ロープウエイからその様子が見られる)
 どうも否定的な話ばかりになってしまったので箱根で浸かった数少ない温泉の話を。
 1つは箱根湯本駅近くの立ち寄り湯。駅からすぐの高みにある。
 さらっとした透明なちょっと熱い湯で、晩秋に訪れた旅行者の冷えた身体にはとても嬉しいものであった。ロマンスカーを1本遅らせて温まってから帰るによい。
 もう1つ。
 それは小湧谷にある明治初期創業の老舗旅館。大きな日本庭園を備えた眺望が自慢の宿。
 訪れたのは2001年のお盆。かなりの渋滞を覚悟していたわりには東名、小田厚共にスイスイで五区山登りにさしかかっても駅伝選手のごとく、ノンストップで車は進む。蒲鉾屋、箱根湯本駅と進みいよいよ天下の険。「ほらこれが函嶺洞門」と振り返ってみれば後席の連中もノンストップで爆睡中。
 小湧谷ではさすがに電車に停められたが、思いの外早く着いたので小湧谷手前で右折。大湧谷へ寄ることにした。
 しかし、そのあたりからあたり一面の霧。早雲山を発したロープウエイがスッと消えて行く。
 大湧谷も霧の中。噴煙上げる爆裂火口跡も見えない。しっとり霧に包まれて真夏だというのに寒い。霧だか煙だかわからないものが漂う中、震えながら遊歩道を散策。おそらく臭い付きが煙。1時間ほどかけて黒卵製造現場を往復。そのありがたき長寿の源をいただいたが、考えてみれば亜硫酸ガスを吸いこみながらの運動。はたして寿命が伸びたのかそれとも。
 時間的には十分余裕ではあったが、いっこうに晴れる気配の無い霧に辟易して早々に宿へ向かう。
 午後3時宿着。国道から少し登ったところが正面玄関。木造の風情あるなんとも素晴らしいものなのだが、いかんせん明治時代創業、自家用車対策が弱い。坂道に斜めに車を停めて玄関をくぐれば番頭さん、女将さんがこれ以上無いというくらいしっくりと似合う雰囲気でのお出迎え。
 通された部屋は帳場(フロントではない)のすぐ裏手の部屋。月梅停という建物らしい。この宿ではリーズナブルに属する所ではあるが、木造のゆったりとした部屋で窓も大きく何ら不満は無い。
 今回もそうだが、土壇場格安予約をすると布団部屋?に通される事も多い。しかし時には昔の上等室、ただちょっと古いだけ、に当たる事もある。今回も当たりの様だ。窓上の日除けがビニール製の棒をくるくる回して出したり巻き上げたりするやつ。いいねー。昭和だねー。この宿には他に大正時代の建物と近代的な建物があるが、近代的な方は昨今どこでも泊まれるのでさして興味無し。大正は多いにそそられる。泊まってみたい。でもちょっと高級過ぎる感じで落ち着かないだろうな。やっぱり昭和が1番。もっとも、普通の方とは少々感覚がずれているかも知れないのでその辺はご注意を。
 風呂。館内に2ヶ所。
 まずは部屋を出て廊下をくるりと廻った山際にある明治風呂。
 壁、窓桟ともに少し黒ずんでちょっと暗く市松模様のタイル張り床に高い天井の浴場に人気は無し。泉質は単純泉だが自家源泉のさらっとしたお湯。ゆったりと明治を堪能。でも子供からは「ちょっと怖い」の感想。
 そこでもう1つの大浴場へ。こちらは明るく露天ブロもあるが、やはり雰囲気は明治風呂の方が良い。
 部屋で相模湾の幸などを賞したのち帳場脇の怪しいコンクリトンネル風階段を下って娯楽室へ。卓球台がポツン。国道沿いで騒がしいかもと思われた夜は静かにふけた。
 翌朝、やっぱり霧。2ヶ所の風呂をはしごしながら晴れるのを期待したが結局自慢の眺望を堪能する事は出来なかった。そして、のんびりしすぎて庭園散策の時間も無くなってしまった。残念。もう少し大正が似合う年になってから再訪してみよう。


あっ、箱根にあるのは「湯元」ではなく「湯本」だ。しかし、この2つは意味的にどう違うのであろう。


--第37号(平成20年2月10日)--

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猫と鉄道  書庫  → http://www3.yomogi.or.jp/skta1812/syoko/syoko.html

ж 9 ж 箱根 その1

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 息子(小学生)が修学旅行に行って来た。宿泊は箱根。
 箱根は私も小学生時に林間学校で泊まっていて懐かしくも思ったが、その内容を聞いて驚いた。
 私の時はホテルと名前に付いてはいたがその実は木造2階建てで大部屋ばかりの旅館風で食事はお子様ランチに毛が生えたような物。風呂は温泉?の四角い湯船が1つという代物。
 ところが、息子が泊まったところは温泉施設を売りとしたリゾート感覚のもので食事は魚あり肉ありのバイキング。デザートはチョコレートタワーときた。私の時のデザートはみかんがせいぜいだった。う〜ん、30年でかくも変わるものであったか。
 思えば私がはじめて温泉に浸かったのはこの林間学校であった(仙石原にあったそれは一応温泉となっていた)。それ以来箱根へは幾度も訪れているが温泉自体に浸かった事はまれで箱根スカイラインをドライブしたり、大湧谷で黒卵を食べたりするのがたいていであった。(ちなみに大湧谷の亜硫酸ガス濃度により避難を促す注意書きは身体への症状によりその濃度が解かる様に書かれているが最後の方はその症状が「死亡する」となっている。死んでから危険濃度に気づいても・・…。)
 そもそも私には箱根=温泉という図式がなかなか思い浮かばない。箱根は日帰りでさっと遊びに行くところ、温泉なんてどこにあったっけ、という感じである。箱根は天下の険で越えるのが楽しいのだ。車でしかり、電車とケーブルカー、ロープウェイ、船、バス乗り継ぎしかり、苦労して登山し富士山が眼前にバーンと現れた時の開放感はなんとも言えない。この感覚はどうも私だけではなかった様だ。

 越えるのが大変な箱根の道は、律令時代に勿来、白河、岩舟の各関所以東を東海道、東山道、北陸道に分けた内の東海道へ行き来する為に作られた。もっとも、それは現代の道とは大きく異なっていて、御殿場から乙女峠を越えて仙石原に下り強羅付近からまた明神ケ岳を越えて松田へ至るものであった。
 この道はさすがに2度も山越えがあって大変という事で御殿場から足柄峠を越えて矢倉沢へ下り松田へというルートに変わっていった。その後富士山の噴火で足柄峠が埋まっていた時期だけ箱根峠を通り芦ノ湯付近からまっすぐ湯元へ下る道が利用されたが長くは近世で言うところの矢倉沢往還を利用して箱根を越えて秦野から鎌倉、そして走水より船で下総、が東海道中であった。(その為武蔵は東山道に属したいたが、奈良時代末期に丸子、大井、豊島がルートとなり東海道に属する様になった)
 これらの道は京都を中心とした道であったが江戸時代に江戸を中心とした五街道が整備されると湯元から箱根峠を越える道が東海道とされた。現旧東海道(むっ、表現が変だ)である。だがその道にしても箱根の温泉地は湯元をかすめる程度であった。つまり古代から続く道の歴史から見ても箱根越えと温泉の結び付きは薄いのである。
 箱根には古来箱根七湯と呼ばれる温泉があった。湯元、塔ノ沢、堂ガ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦ノ湯である。
 東海道からこれらの湯へ向かうには箱根七湯道と呼ばれる別のルートを通った。現在の国道1号である。
 脇街道から第1国道への昇格により道筋の七湯も安泰かと思われたが、やはり使いづらかったのであろう、東海道の主役は箱根を大きく迂回する東名高速道路へと移り、国道1号にも旧街道に沿う箱根バイパスやターンパイクが開通してせいぜいが箱根駅伝の際にちょこっと話題になる程度になってしまった。
 ちなみに箱根にはターンパイクの様に会社所有の私道が多い。伊豆箱根スカイラインもそうで、この道路を開通させたのは「箱根土地」という不動産会社。この会社は原野であった芦ノ湖周辺の土地を買い占め、値段を上げる為に交通の便をよくすべく道路を作り、別荘地として売り出した。この成功によりその手を広げ伊豆箱根鉄道を開業。伊豆、箱根でとんとん拍子に発展していった。やがて時代は世界恐慌に突入。それにより経営難におちいった東京の鉄道会社が助けを求めてきた。そこでその社長はこの鉄道会社を箱根土地の子会社として経営する事になり見事窮地を救った。そして会社名を改めた。その名は「国土」。そう、助けられた鉄道会社は西武鉄道で、社長は言わずと知れた堤康次郎である。だから箱根や伊豆へ行くとライオンマークのバスが走りまわっていて「西武鉄道はこんなところまで手を出して」と思われる方もいらっしゃるだろうが、実は逆。そもそもは箱根が西武グループ発祥の地であり、そこへ小田急や東急が攻め入っているのである。(最近まで小田急の箱根フリーパスではライオンバスに乗れなかったがOKになったそうな。いくらか仲良くなったのか?)

其の2 http://blogs.yahoo.co.jp/nekotetu_npf/33696533.html へ続く

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 秘湯を守る会というのがある。われこそは、と思う秘湯の宿が加盟している会である。そして秘湯を立派に守り存続させていこうとしているのである。
 しかし、いざ訪れてみると「立派に存続」されすぎていて、これが秘湯?、と思わされるものもある。
 栃木県では「三斗小屋温泉」と「奥鬼怒温泉」が有名な秘湯とされているが、秘湯が有名というのが私には良く解からない。そもそも、秘湯の「秘」は秘密の秘で、人知れずである。それが有名。本当の秘湯は武田信玄ではないが、世間に隠してしまってその存在が知られないようなものが本当の秘湯ではないのであろうか。ただしその秘湯を隠す人個人で守っていけるだけの力が必要である。


 さて、その秘湯のうちの奥鬼怒4湯の更にそのうちの加仁湯へ訪れたのは2005年5月4日。朝から、いや、前日からスコーンと良く晴れたゴールデンウイークの1日であった。
 GW、益子では陶器市があり大変道が込み合うがそんな渋滞が始まるはるか以前の午前6:30に出発。8:30に休憩地点川治ダムサイトに到着。もちろん休憩が必要なのは運転手の私で、同乗の家族はクーカークーカーと休憩十分である。
 広がる八汐湖を眺めながら10分ほど休憩して鬼怒川を遡る。道はすばらしく快適なドライブだ。長いトンネルを抜け、舟着場?を過ぎてダム湖が無くころ右手に崩れかけた道のようなものが見え、おや?と思うまもなくそれが道となる。
 センターラインの無くなった道をくねくねと進むと旧栗山村の中心部に入り霧降高原からの道が合流する。東京方面からは日光宇都宮有料道路を通って霧降高原経由の方が早いであろう。中心部とは言え、役場があった程度でさほどにぎわってはいない。保育園の庭に一匹だけの鯉のぼりが細々と揚げられている。
 なんとも寂しげではあるがこれには理由があってそれは過疎化で子供がいないからではなく、平家の落人伝説に由来するものである。この地域には源平合戦で敗れた平家の落人が隠れ住んだという伝説があり、鯉のぼりを揚げると見つかってしまうから、という事で昔から鯉のぼりを揚げるの風習が無いのである。同様の理由で鶏も飼わないという。鳴くと集落の存在があらわになるからである。
 しばらく進むと瀬戸合峡右の標識からまた道が良くなる。瀬戸合峡は紅葉の名所でかつてはそこに沿う観光バスが曲がるのにも苦労するような道しか無かったが、現在はバイパスですっと抜けられる。
 瀬戸合峡を過ぎて川俣湖に沿う道を進み川俣大橋を渡ると道は旧態依然のものとなる。握っているハンドルの手を離して「どうか対向車が来ません様に」と願いたくなってしまうが、手を離せばその時には崖下が待っている。
 川俣温泉で戦場ヶ原からの山王林道が合流してようやく夫婦淵温泉着。車で行けるのはここまでで、川治ダムからの30km程を1時間かかった。ちなみに山王林道は奥日光からの近道ではあるが道の程は保証できない。
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 GW+好天という事で栗山村営駐車場(現日光市営)はすでにぼぼ一杯。歩き支度をして10:00少し前にスタート。駐車場の先で道は二手に分かれるが本来の道である直進の奥鬼怒歩道は自然の猛威で一部通行止め。左へ折れ橋を渡っていく奥鬼怒スーパー林道がその部分の迂回路となっている。
 一般車通行止めの遮断機をくぐって橋を渡ればそこは未舗装ながらも車が十分にすれ違える幅のある道だ。夫婦淵温泉の露天風呂を見下ろしつつつづら折れの道をぽくぽくと歩く。道幅が広いのであまりそうとは感じないが結構勾配はきつい。日差しと路面の照り返しで早くも汗がどっと出る。しばらく進むと下からエンジン音とスボボボボという音が聞こえてきた。なんだ?と見てみてればバスが一台上がってくる。八丁の湯と加仁湯では宿泊客のみ駐車場からの送迎を行っており、林道の通行が許可されている。
 昨夜宿泊した客を送った帰りであろうと思っていたが目の前を通過したバスには結構客が乗っていた。おそらく今夜宿泊の客で宿に荷を置いた後鬼怒沼方面へ足を伸ばすのであろう。
 道幅があるのでバスをやり過ごすのには何ら問題は無かったがその後がひどかった。ものすごい土ぼこりである。つづら折れなので上も下も真っ白。あいにく風もなくいつまでも埃が収まらない。ようやく静まってきた頃また下からエンジン音が。別の宿のバスである。それが収まる頃先ほどのバスが戻ってきて……。どうやらこの時間はピストン輸送をしている様だ。道端にやっと伸びてきた蕗の塔も真っ白になってひからびかけている。自然保護の為一般車通行止め未舗装になっているのであろうが、これなら舗装して有料林道にした方がよいのでは。
 何度か砂塵に襲われているうちにやっと仮設歩道右の看板があり滑りやすい急な細道を下ると河原にでた。心地よい風が吹きぬけ汗がすっと引く。汗をかくような天気だというのに道にはまだ雪が残っていた。すぐそばの澄んだ流れに手を入れると刺すように冷たい。この流れが40kmも下るとあのドロッとした大河になるのである。
 仮設橋で左岸へ渡りブルドーザーで均した様な石ころの道を行く。流れに沿った平坦な道で歩きやすくはあるがあまり面白くない。でも景色は良い。もっとも、良い景色は目線より上で、残雪の谷間にやっと芽吹き始めた木々と青空がとても綺麗だ。思えばいつもぽちっと見える男体山の裏側の更に奥まで来ているのである。で、目線を下にするとそこは立派に護岸された河原である。建設省という懐かしい工事記念碑も建っている。
 カッタテノ滝下で休憩と早いお昼。少々の上り坂と橋で滝を巻くと高みからボロボロの道らしき物が合流してくる。おそらくこれが歩道の通行止めの部分であろう。この様子では仮設歩道がそのまま本歩道となりそうである。その先は渓谷に沿った林の中の道で大変心地よい。岩の窪みの水溜りにはおたまじゃくしがいっぱい。ポチッと芽を出した蕗の塔も青々している。流れ込む支流には橋が架かっているがわざわざ飛び石伝いに渡って靴を濡らす。地形図によるとこのあたりにも温泉マークがあるので人知れず湯気を上げている所があるのかも知れない。
 歩き始めて約1時間半、突然目の前が開けると八丁の湯。宿の前の広場には大勢のハイカーが休憩しているが、それより目に付くのは大型の除雪車と立派なログハウスの建物と先ほどの砂塵バス。
 今回の計画では奥鬼怒4湯で手白沢温泉を除いた(ここだけは沢1本外れており日帰り湯もやっていない)3つのうちの2つに入ろうと思っていたのだが、この風景を見て興ざめ。ここはパスして先に進む事にする。でも、旧態依然の本館脇に(しっかり秘湯を守る会の看板あり)足湯があってそれだけをちょっと堪能する。空くのを待って足を漬けて記念写真をパチリ。ただし、この裏は男性用露天風呂になっていて、気をつけないと秘塔が写ってしまう。
 八丁の湯から約20分。谷あいに異様な建物が見えて来てスーパー林道の大きな橋をくぐると加仁湯到着。一応各メディアでこの建物は知っていたがやはり目の前にするとちょっと引いてしまうような、新しいのだか古いのだか解からない建物。でもこの方が秘湯感はぐっと来る。そして守る会の看板はなし。
 案内に従ってコインロッカーに荷物をぎゅうぎゅうと押し込んでまずは乳白色の混浴露天風呂へ。渓谷を眺めながら少し熱めの湯に手足を伸ばすと疲れが溶けていく様だ。奥さんはその後女性用露天風呂へ入るというので、子供達を連れて源泉プールへ。こちらも乳白色硫黄泉だが少しぬるめ。浅いところでゴロンと横になる。谷間ではあるが空が広い。体を起こせばそよ風にすぐ乾く。子供達は元気に泳ぎまくっている。山間の遅い春と秘湯を満喫した。
 と、TVならばここで終わるのだが、現実は帰りがある。加仁湯で約1時間。降って八丁の湯でちょっと腹ごしらえで1時間。2時過ぎに本格的に下山開始。ちょうど皆下山時刻らしく多くの人が下っていく。3時ごろ日が山陰に隠れると急に気温が下がってきた。汗をかきかき登った道が今は肌寒い。雪が残っているのもさもありなんである。ポツポツと登ってくる人もあり、八丁の湯までどれくらいかと不安そうに尋ねられた。
 無事車にたどり着き今回の秘湯探訪は終了である。しかし、考えてみればバスで行けるところをほんのちょっと歩いただけ。飲み物と食料も途中調達できている。本当に秘湯だったのであろうか、と思いつつ車を走らせるとすぐ渋滞にはまった。車の数こそ多くはないがすれ違いが出来ず進めないのである。このあたりの古い地図を見ると川治温泉からずっとこの様な道が続いている。それがダムによる付け替え道路で立派になったのである。おそらくその時代は日帰りは不可能であったであろう。今は大半が立派になったがその分車が増えて難儀している。もしかすると秘湯とは車で行くのが大変な所、という事なのかもしれない。 

 ところで、私が本当に秘湯と思っている温泉がある。いや、あった。
 それは奥鬼怒に程近い湯西川温泉の入り口にある西川温泉である。
 温泉とは言ってもそれ相応の施設があるわけではなく、実は地区の公民館の中にあって、道から一段低いところにあり作りも普通の家とさほど変わりはない。訪ねると当番の老人が居間のようなところでコタツにあたりながらテレビを見ていたりする。浴槽も1.5m四方ほどで洗い場も1人分くらい。
 ただし、お湯が良い。少し硫黄の匂いがする透明な湯がかけ流しになっている。いやかけ流しどころではない。浴槽と洗い場の蛇口がいつも全開になっていてそれこそだだながしである。洗い桶でちょっと排水溝をふさぐとあっという間に洗い場と浴槽の区別がつかなくなるくらいだ。開ければ一気にドオッと流れて目の前の谷から湯気がブワッと上がる。窓際に座ってのぼせた体を冷ましながらその様子を眺めていると対岸を行く観光バスの客が「わー、いーなー」という様な顔でこちらを見ている。
 本当はこの温泉の事を書くつもりはなかった。営利目的の温泉ではないから宣伝の必要もないし、はっきり言って貸切でなければ楽しめないから客が増えるのも困る。本当に誰にも内緒にしたい秘湯であった。
 数年前、湯西川温泉駅前にここの湯を引いて温泉施設を作る計画が発表された。この豊富な湯量もこの湯船だからこそである。それを大浴場に持っていかれてはこんな小さな湯でも細々としたものになってしまうであろう、と心配した。
 だが現実は細々どころではなかった。2005年夏この公民館は閉鎖され湯は全て持っていかれてしまったのである。秘湯がひとつ減った。
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--第33号(平成19年6月2日)--

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 エントランスからすぐにあるのがスパリゾートハワイアンズのメインとなる「ウォーターパーク」。室内プール独特のムッとするような湿気の中にウォータースライダーの黒いチューブが走り、巨大帆船が浮かんでいるかの様に見えるプールに多くの人が浮かんでいる。難破した船から乗客が救命胴衣を着けて避難している様にも見える。
 湿度は高いが気温はホカホカと暖房の効いた更衣室に比べて肌寒くもあり、ハワイに来たというより早く温泉に浸かりたいという気持ちになる。
 まずは流れるプール。浮き輪につかまってプカプカと温泉に浸かって運転の疲れでも癒すか、という算段。
 と、ここで気になる事がひとつ。それは物を置くスペースが少ないという事。いくら裸で遊べるところとはいえタオルくらいは持ってきているし、妻は財布や水が大敵の携帯電話も持ってきている。
 人が多いので少し高くなっていて浸水の心配の無い場所はすで一杯。子供達は、チョット待て、というのも聞かずにすでに流されて行ってしまっている。
 なんとか植え込みの脇にタオルを押し込んでいざ温泉。しかし、ちょいと足をつけると「ヒアッ」。お湯が冷たいのである。
 しかし、考えてみればそれは当然で、ここは浴場ではなく室内プールなのである。もし、これが温泉として程よい温度であったならみんなすぐにのぼせてしまって泳ぐどころではなく、ハワイアンズならぬ常磐釜茹地獄センターとなってしまう。
 そう悟って流れに身を任せてみれば至極気分の良いものである。ただし流れに逆らう杭になっている人や激流下りの様に突進してくる人を避けながら子供から目を離さない様にしなければならないので少々忙しくもある。
 何周か回ると次に子供の目当てはウォータースライダーとなる。しかし、下の子は身長制限120cmに引っかかってしまって滑走不可、よって兄弟別行動となってしまった。
 兄を長蛇の列に並ばせその列のすすみ具合を気にしながら弟を帆船前のプールで遊ばせる。こちらは普通に泳ぐプールであるが実際に泳いでいる人は少なく若者がビーチボールで戯れている以外は皆もごもごと移動しているだけといった具合で雰囲気は大浴場に近い。目の前の帆船から飛び込めるアトラクションでもあれば、と思うが、当の帆船の本当の役目はハワイアンダンスショーなどが行われる舞台の裏側となっている。
 そんな事を考えつつ、そろそろ兄が滑り落ちてくるだろう、とスライダー終点で待っているうちに弟行方不明。流れるプールの脇で待っていても一向に流されて来ない。そこで、入り口から他のテーマパークへと続く通路へあがって見渡したらわんぱくプールの滑り台で遊ぶ弟を発見。無事回収して兄と合流、その通路を通って次のテーマパークスパガーデン「パレオ」へ向かったが気分を落ち着けて見てみれば私の様に誰かを探しているような人が幾人か見うけられた。
 パレオは屋外施設となっていて、覚悟はしていたが1歩踏み出すと予想以上に寒い。いつのまにか体がすっかりハワイモードになっていたようである。
 どんよりと曇った11月の寒空の下、南国ムードのトロピカル色に彩られたプールの青い水が、−−青い海をモチーフにしたのであろう、プールの中は青色に塗られている−−寒さを引き立てている。
 たまらずに即座にプールに飛び込んだが、この水がまた冷たかった。外気温の低さに温泉が追いつかないのであろう。それでも水中の方がまだ温かい事は暖かい。しばし振える様に浸かっていたがこの様な状態でも子供は元気なものでキヤッキャ、キャッキャと遊んでいる。
 だが、子供達の姿ばかりで大人の姿はあまり見かけない。この子達は皆子供だけで遊びに来ているのだろうかと思いながらプールに続いている洞窟の中に入っていくとそこは少し水が温かくなっていて、そして大人がかたまっていた。
 滝登りで洞窟を進み上の段に至って外に出て見るとそこには直径2mほどの小さなプールが点在していてどれも大人達で満員となっていた。これが実はジャグジー、ホカホカの温泉であった。混雑しているはずである。
 私も子供達を連れていくらかのスペースを見つけると割り込む様に入った。ホー、と今まで寒さでこわばっていた体が緩んでいく。生き返った心地がした。
 しかし、子供達にとってここは温泉ではなくプールである。おとなしく静かに入っているわけはない。その煩さの為か連れで来ていたのであろう数人が抜けた。そこに「寒い寒い」と言いながら入ってきたのがうら若き女性のグループであった。膝を突き合わせる様にお湯に浸かっていると弟の方が「おねーさん何処から来たの」と声をかけた。これは私を見習ってでも代弁してくれたのでもない。彼の個性である。あまりのなれなれしい態度に、これこれとたしなめはしたが目線は違う方へと行っている。天国に昇った心地がした。
 残念な事に遅れて昇ってきた妻が合流した。ちゃんとした温泉に入りたいと言う。
 そこで、今度はその広さを誇る露天ブロ「江戸情話 与市」へ向かう。
 「パレオ」から「与市」へは「ウォーターパーク」へ戻る様に進んだ先、となるので少々の距離がある。通路の途中に記されたハワイアンズの歴史などを眺めながらペタコペタコと歩き、南国ムードを漂わせる為に植えられたのであろう木々が少々鬱陶しく感じられる温室?を通り過ぎるといきなり純日本風床壁天井全木造建築照明少々不足の世界に入り込む。いきなりハワイから成田を通らずに何処か山奥の里に行ったみたいだ。
 まずはチョットした休憩スペースがあり、チョット疲れ気味の顔をした人達が集っている。その先にあるのが駄菓子販売コーナー。団子やおにぎりもある。
 ここで子供達がはまってしまうが、「後で!!」と強引に引っ張って先へ進むと到着するのが蕎麦屋。
 「?、露天風呂は何処?」という感じであるがその蕎麦屋の脇を回り込めばやっと目的の「江戸情話 与市」。男女別の完璧な日本的風呂である。
 しかし、その広さをうたうだけあって確かに広いのだが、その広さと先ほどまでの感覚からやはり「プール」という感覚になってあまりゆっくりのんびりという感じではなかった。
 「ハワイ」を求めて来ている人達には場違いな施設なのであろうか、湯浴みする人は少なかった露天風呂を出て蕎麦屋の前で待ち合わせ。もちろん妻とである。男女別の欠点はこれで、どうしても女性の方が風呂は長くなり、「蕎麦を食べたい」と騒ぎ始めた子供二人を抱えたお父さんは暇を持て余してしまう。
 蕎麦屋は大混雑で入る気にならない。騒ぎ始めた子供達とやはり騒ぎ始めた自分の腹の虫を押さえるために先ほどの駄菓子コーナーで団子とおにぎりと駄菓子、と一通り買って入り口に集っていた少し疲れた顔の人達に仲間入りをする。
 しかし、それだけでは満足しない腹の虫たちをなだめるため、また来た道を戻って「パレオ」入り口にあるエスニック料理ファーストフードでカレーを食べる。子供達は更にかき氷も食べて(カレーとかき氷はエスニックだろうか?)満足したところで「スプリングパーク」へ。
 「スプリングパーク」には水着で遊べる「スプリングタウン」と本格的温泉施設「温泉浴場パレス」があるのだが、「スプリングタウン」で遊んだところで時間切れとなってしまった。遠方からの日帰りの辛いところである。
 もう少し遊びたい、と言う子供達を諭して帰途につく。出口はお定まりのお土産売店を通って、となっており、これまたお定まりの「フルーツ砂糖漬け」を買っていこうと思ったがそれは却下され、買ったのはハワイアン風饅頭であった。
 いかにも裏口という感じの出口から出て駐車場へ向かう途中子供達に感想を聞いたら「楽しかった。また来たい。」であった。


 さて、いわき湯本温泉はハワイアンズだけではなくちゃんとした温泉宿も当然もあり、お気に入りの宿に何度か宿泊した事がある。
 その宿はかつての温泉自噴地域内の温泉神社前にあり、14階建ての大きな物であるが、実のところは玄関ロビーを有する10階建ての新館と背後の山にへばりつく様に立つ9〜14階の6階建ての旧館とでなっていて、9階でエレベーターを乗り継いで連絡するようになっている。大浴場は新館にある。
 宿の前に立ってみれば道の向かいに小高い山があるだけで、ロケーションは街中そのもの。その辺の都市のビジネスホテルに泊まるのと大差ないと思われる。道路も広くはなく玄関前にスペースもないのでバスが停まれば渋滞の原因になってしまうし、駐車場は少々離れた位置に有る。
 部屋は多少料金を出すとロビーや風呂の有る便利な新館に割り当てられる様だが、私は格安料金の為かたいてい、荷物を持ってもらっている仲居さんが気の毒になるほどの所に有る旧館へと案内される。
 しかし、私はこの旧館がお気に入りである。
 新館の9階でエレベーターを降り、コンパニオンでも上げているのであろうか大騒ぎの宴会場の傍を過ぎると雰囲気ががらりと変わり森閑とした感じになる。
 旧館14階でエレベーターを降りるとそこは背後の山よりも高い位置で、廊下の窓からは湯ノ岳を見ることが出来る。朱色のやぐらはかつての炭坑跡。現在は「いわき石炭・化石館」として、石炭採掘の様子や坑道の再現、いわきで発掘された化石などが展示されている。
 廊下から眺めた限りでは、背後の山の頂きにあるうち捨てられた様な公園が少し下に見えるくらいなのであまり高さを感じないが部屋の窓から下を見れば紛れもなく14階という高さで少し怖くも有る。しかしそのおかげで静かそのものである。宴会場のランチキ騒ぎも車の音も聞こえない。目線を普通にしていれば三崎や塩屋崎への山々が見えるばかりである。
 食事はその三崎の小名浜で揚がったのであろう海の幸が並びとても良い。料理そのものもはるか下に有る調理場から上がって来るので、冷めてしまうからと、てんぷらは出ない。その辺の心配りが良い。
 さて、肝心の温泉であるが、内湯は新館の4、6、7階にあり、時間制で男女が入れ替わったり混浴になったりする。前述の様に旧館からは距離があるのだが、タオルを肩に引っ掛けて近所の風呂屋へお出かけ、という感じで楽しい。
 浴場へ入れば立ちこめる湯気の中に硫黄の匂いが混じる。いわき湯本温泉の温質は単純硫黄泉。炭坑時代には品質が劣るとして嫌われていた硫黄分であるが、今では温泉として最高の味付けとなっている。源泉の温度は約60℃。そしてその豊富な湯量とあいまって、沸かす事無く、循環させる事無く、と贅沢な温泉の様である。
 露天風呂は新館9階の屋上。高い位置にあるので町の雑多な雰囲気は無く開放的で気持ち良い。湯本駅に向かう「スーパーひたち」の姿がちらりと見える。
 ピンとした朝の空気の中、少し身を乗り出せば通勤客や駅へ向かうバスなどが忙しく行き交う普通の町の風景であるが、木製湯船の湯に浸かっていればそんな気配は感じられない。向かいの温泉神社から立ち上る落ち葉焚きのうっすらとした煙がたなびいているばかりである。

--第29号(平成18年6月10日)--

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