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まだまだ気温が本格的に低いわけではないので、
雪片の大きなべた雪ですが、
昨夜からの雪が降り続き、すっかり冬景色な11月末日。
今月は何も記事を書いていなかったことに気づき、
慌てて、1本書いてみましょうか
調和を図る・・・ということが
私の中のひとつのテーマでもあります
最近、立て続けに「大丈夫かい?」という小さなお試しを
いただいたような気がします。
以前だったら、「それはこうしたほうがいいんだ!」と自分勝手に思い込み、
そこからの発想で、「相手はどう感じるか」深く考えもせず、
トントンと物事を動かすことが多かったんだな、と
違う角度からモノを見られるようになった今の自分は思います。
今の私はどうするか?
先ずは、その懸案について先方の希望、アイディア、思いを伺います。
その上で、自分の希望、アイディア、思いを盛り込みます。
なんだ、それだけのこと?!
なのですが、さっさと物事を運びたいと無意識に思っていた私は
「私の正論」で物事を進めてしまうのが得意だったようです
普通は「こうするでしょ」「こうしないでしょ」と
勝手な思い込みで物事を進めていました。
普通なんて、どこにもないのに・・・。
急がなくていいこと、自分ひとりで頑張らなくていいこと、
そんなことを少しずつ腑に落として楽になってきたからこそ、
そんなふうに変われるようになったのかもしれません。
以前の私は「待てなかった」んだな・・・って思います。
全ての経験に感謝。全ての出会いに感謝。
さて、今年最後の一月はどんな出会いが待っているのでしょう。
有り難く、お待ちしています
皆さんにも素敵な出会いがありますように
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誰かのせいで「させられている」。
誰かのために「してあげている」。 誰かのせいで「自分はこうなった」。 それ、 誰かのせいではありませんよ。 誰かのためではありませんよ。 やりたいから、しているのでしょ。 「誰かのせい」で、させられたままで良いのですか? 自分の意思はどこにもないのですか? 自分の意思を行動に移すことができるのは自分だけですよ。 やめたければ、やめてください。 「誰かのため」に、してあげている自分が好きなのでしょ? そういう自分を誰かに認めてもらいたくてやっているのではないですか? 本当は自分のためですよ。 やめたければ、やめられるのです。 「誰かのせい」で、自分はこうなった。 こうなったままが居心地が良いのでしょ?「誰かのせい」にできるから。 自分で変えようと「努力」しないのですか? 本気を出してください。 やめたくないんでしょ、ほんとうは。 そのままでいてくださいと、誰かが頼みましたか? 誰かが命令していますか? 誰も望んでいないことを続けていることに気づいてください。 よ〜く周りを見回してください。 誰かいますか? ナマステ☆ |
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「聞こえない」・・・とは機能的な問題ではなく。
他者の話が「耳に入ってこない」という状態。 そんなことがあるだろうか?と思われるかもしれないけれど、実はある。 かなり、ある。 そんな話はわかっているから聞きたくない!ということもある。 自分とは関係ない!と思って、聞き流すこともある。 自分はそうは思わない!と耳を塞ぐ場合もある。 自分に都合のいいように解釈することもある。 いずれにしても「エゴ」のなせる業なのだろうと思うのです。 自ら、他者の声を聞き入れないようにしている、とは中々気づかない。 あたかも「裸の王様」。 最初は親切で真実を語りかけてくれる者がいるかもしれないけれど、 「聞いていない者」「聞かない者」に語りかける者は、どんどん減っていくだろう。 拒否する者に、無視する者に、語りかける者はいなくなる。 頑なな態度。閉じた心。自分の正しさが唯一と思う慢心。自らが引き寄せる孤独。 人には、自分にも他者にも見える姿(開放)、 自分にしか見えない姿(秘密)、他者にしか見えない姿(盲点)、 自分にも他者にも見えづらい姿(未知)があると言う。 自分には見えないものがある以上、心を開いて、他者の意見を受け入れる姿勢がなければ いつでも「裸の王様」になる危険性があるということ。 そんなことにはならないようにしたい・・・自戒を込めて。 ナマステ |
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今日は下の娘の誕生日なので、ちょっと親子ということについて、
最近、感じていることを書いてみたいと思います まさに「この親にしてこの子あり」と言われるように似ているところもあれば 全然似ていないところもあるように感じられる「親子関係」ですが、 それにも、やはり意味があるんだな〜と思うのです。 性格そのものや趣味嗜好、姿形、生活態度、価値観・・・様々に影響し合う親子関係。 なぜ、そんなに似たものを持っているのか? なぜ、そんなにも「イヤだな〜」と思うようなものを見せ合うのか? もちろん、こういうところは「ステキだ」と思えるような部分もあるのだろうと 思いますが、そういうところは問題にはなりませんので、 「イヤだな〜」と思うようなところについて・・・考えてみると。 それは、やはり「鏡」として学び合うためだと思うのです。 どうしたら、それは変えられるのか? どうしたら、良い方向に伸ばすことができるのか? どうしたら、受け入れられるようになるのか?
すべての面には裏と表があります。 一方からだけ見ていると、固まった一面しか見えませんが、 そこには必ず、別の面があるはずなのです。 そこに気づいて、自分はそれをどうしたいのか?どうできるのか? 身近にいるからこそ、否が応でも目に入り、考えさせられます。 嫌っているだけでは何も変わりません。
学ばせてもらうために、いるのだと思うのです。 親がいて、子がいるからこそ、 たくさんの経験を分かち合うこともできます。 私の場合、全くの文系、運動音痴、音楽的才能なしなのですが 長女は物作りに長け、何もないところから創造するクリエイティブな才能を持っています。 次女は理系を選び、身体を動かすことが大好きです。 ともに楽器を演奏することが得意です。 そんな娘たちと時を共有することによって、私の世界は何倍にも広がり、 たくさんの経験をさせてもらうことができました。 何事にも、あまり器用ではないので、「一方的にしてあげる」ことよりも 「共にさせてもらう」ことの多い母だったかもしれません。 それでも、私たちという両親だからこそ、与えられた何かもあるのではないかと思うのです。 お互いに影響し合う親子関係、それは必ず、あなたの進歩に必要な出会いなのです。 そう思ってみてみると、違った一面が見えてくるかもしれませんね。 ナマステ☆ |
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※写真はmixiアプリ「今日の花写真」より お借りしました。
綺麗な青い花ですね。
でも、ところどころが白く見えます。
斑入りのお花ではありません。
光りが当たっている部分が白っぽく見えます。
当たり前のことかもしれませんが・・・。
「光り」が当たると「白く」変わるんです。
この写真を見ていて、これがやっぱり「真理」なんだなって思うのです。
他人や状況を変えようとすると辛いです。
だから、「自分が変わればいい」と言います。
「他人と過去は変えられない」と言います。
だから「今の自分が変わればいい」。
それが大切な視点なのですが、このお花がそれを教えてくれています。
「光り」が当たると、こんなに青い色さえも「変えてしまう」のです。
自分が「光り」になればいいのです。
自分を「光り」に変えるべく「見つめて」いけばいいのです。
そうしたら自然と周りも変わるのです。
ナマステ
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