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南京大虐殺とか南京虐殺などの表記も多々目にしますが、私は事件といたしました。
まぁ、どちらかと言うと東京裁判で裁かれた事を事件と考えているからであります。
虐殺行為は100人でも100万人でも虐殺であり大虐殺でありますから、表記自体は気持ちの問題という気もいたします。
私は戦争という異常事態において多少の虐殺行為はつきものだと思っております。
生死をかけた限界状況において寝食を共にした戦友が殺されれば、誰だって敵に対する憎悪の念にかられ、倫理観や理性といった歯止めはゆるくなってくる事でしょう。
又、1000人集まれば必ずと言っていいほど、1人や二人の不届き者はいるものです。
如何に規律が厳しかろうが、戦時中に虐殺や放火や略奪やレイプを皆無と考えるのはナンセンスだと考えます。
ですから何処の戦地においても「〜虐殺」との名称がつけられても完全否定は致しません。
それは、お互い様ですけどね。
戦争という行為自体がお互いの虐殺行為ともとれますし、戦地の市民を巻き込む事が前提と考えられますから中国戦線においては中国人市民が巻き込まれたという事です。
そこで問題となる国共軍との戦争の責任問題については別の機会に書きたいと思います。
さて、それでも南京大虐殺として東京裁判で裁かれ、現在に至っても中国から非難の対象となっているのは、それが異常な多数であったとの見解と日本軍の方針であったとの見解があるからでしょう。
この南京事件については、多くの出版物や見解や議論がありますが、どうなってんだ?と思うくらいに主張の相違点が多々あります。
中でも虐殺の人数の食い違いは尋常ではありません。
上は南京大学の400万人から、下は限りなくゼロに近い数字との見解があります。
イッコーさんでなくても「どんだけ〜?」と言いたくなってしまいますね。
まぁ、400万人は論外としても、左寄りの方々の定説としては20〜30万人が一般的でしょう。
本で読んだ細かい事をいちいち書くつもりはありませんが、私は秦教授の3〜4万人説を支持しております。
それは地道に細かく調査・検証されており、その計算が調査に基づいた足し算を基本にされているからであります。
又、その計算には上海制圧以降の進軍過程での行為も入っており、南京に限定していない考察に共感出来るからでもあります。
それと、人数考察の後では順序が前後してしまうかもしれませんが、南京での虐殺行為を目の当たりした証言者はいないとの主張があります。
東京裁判において重要視されたジョン・ラーべの記録もラーべ本人が見た虐殺は一つも無く、全て南京市民からの苦情や証言を元にしているとの主張です。
そこに様々な推察が入り込んだり論理のすり替えなどが入ったりで議論が複雑化している訳ですが、私の勝手な見解を述べさせていただきます。
日本軍は南京市街に入る前に、多くの脱ぎ捨てられた軍服を発見しております。
この事実は誰しもが認めており、それは便衣兵の存在の可能性を意味します。
まぁ、分かり易く言いますと敵兵が平服で一般市民面して紛れ込んでいるという事ですね。
この場合、便衣兵達は自らの命の保身だけを考えてくれるとは限りません。
市民面していきなり発砲してくるなどの攻撃性を否定は出来ません。
もしも私が現地司令官ならば、おそらくはこう言うでしょう。
「掃討作戦において疑わしくは罰せよ!」と・・・・・。
この場合、優先的に考える命とは自軍の兵士の命である筈です。
戦時中という異常時に「市民の命を最優先に」などどという御めでたい隊長は隊をまとめる事は出来ないでしょう。
ですから私は、多くの南京市民が便衣兵との疑いを掛けられ、処罰された可能性があると考えています。
たとえその目撃証言が無くとも、それら容疑者達が揚子江のほとりで銃殺された可能性は極めて高いと推察致します。
処刑場を封鎖はそんなに難しい事だとは思えません。
しかし、その自軍兵の命の優先という考え方は非難出来る事ではないと考えます。
又、便衣兵が潜む危険な現場においての誤認・誤殺は、ある程度やむを得ないのではないかとも思います。
しつこいようですが、戦争による殺し合いという極限状況が異常なのです。
一番許せないのは我先にと南京から逃げ出した唐生智南京防衛軍司令官ですね。
国民党軍は軍事訓練もあまり受けていない寄せ集め兵が多かったといいます。
司令官が居なくなれば、軍服を脱ぎ捨てて市民に紛れる事は自然な行動です。
司令官がいなくては降参も出来ません。
元々、軍の秩序が怪しいのに、自分が先に逃げてどうするんでしょう?
さて、最後に私が考える南京事件の〆を述べたいと思います。
南京事件は戦争という不幸な出来事の一過程に過ぎないと考えます。
東京裁判の為に取り上げられた一戦闘の記録という感は否めません。
でっち上げとまでは申しませんが、南京事件をBC級犯罪対象として裁くのは納得出来ません。
そこにはどうしても違う理由が見え隠れしてしまいます。
陸戦法規を定めた国際条約には捕虜の扱いについての定めがあります。
又、捕虜の定義についても定められています。
しかし、状況が流動的な現場において、ましてや殺し合いという異常心理の現場において、それがどれだけの効力を発揮するのでしょうか?
ルール違反を誰がどのように証明するのかを考えてあったのでしょうか?
戦争という無秩序に対して秩序を導入しようとする事自体が愚行であったような気もいたします。
戦争をしない方法を考えるのが先でしたね。
では!
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極めてバランスの取れたご意見だと思います。
「南京事件は戦争という不幸な出来事の一過程に過ぎない」、こう言われたら中国の方たちは激怒するでしょう。しかし、我々「戦争を知らない」日本人たちは、中国が何を言おうとひるむことなく、客観的な立場から真実を追求するのが良いと考えます。
同世代の日本人の中には、中国人の主張を鵜呑みにし、反日的言動をする方々もいらっしゃいますが、相当ナイーブ過ぎるはずの私を遙かに上回るナイーブさと言う他ありません。
日々の仕事でも、ずるい人間はうようよいます。世界にも同じく、ずるい人間が大勢います。あまりに常軌を逸した主張(数百万人が虐殺された、など)には、「カネ目当てやも知れん」という疑いの目が必要でしょう。
2007/10/17(水) 午前 1:10 [ ぷぁりー ]
そうなのです。なぜ、私が戦争反対するかといえば、死ぬか生きるかの極限状態の中で、異常心理の現場と化し無秩序が横行してしまうことが怖いのです。自分でもその現場にいたら、身を守るために何をするかわからないですからね。戦争をしない方法・・・考えたいですね。
2007/10/17(水) 午後 7:20 [ 花 ]
ぷぁりーさん
真実の追究は大切ですね。
しかし、この問題をはじめとして近代史の正確な史実を明らかにするのは難しいでしょうね。
それは純粋な歴史研究ではなく、政争の道具なっているからです。
時間が終止符を打ってくれるような気がしますが、私たちの生きている間は解決しないでしょう。
この手の問題は金目当てもいるでしょうし、真実の証言もあるでしょう。
それの選別は困難を極めると思います、というか無理でしょうね^^
多数決で真実を作り上げるしかないのかもしれません。
では!
2007/10/17(水) 午後 10:36
花さん
私は人を殺した事もありませんし、殺されそうになった事もありません。
戦争現場をイメージするのは難しいです。
でも、イメージしないと真実に近づけないようにも思います。
花さんのおっしゃる通り、何をするか解からないというのが、私達、戦争を知らない世代でしょう。
近代史は面倒で難しいので、戦争をしない方法を考えてノーベル平和賞をとる事を考える事にします。
でも、その為には戦争の歴史を知る事が必要ですよね^^
あれれ?ですね^^
では!
2007/10/17(水) 午後 10:45
僕も同じように考えております この事件はアメリカの原爆投下を免責するために利用されたのではないでしょうか 映像資料です [http://blogs.yahoo.co.jp/ureeruhiroshi/277724.html
2007/10/21(日) 午後 5:49
ヒロシさん
色々とありがとうございます。
拝見してから、ヒロシさんのところへ伺いますね^^
では!
2007/10/22(月) 午後 9:17
南京事件にしろその他の戦争にしろ、個別の国の責任が問題というより、帝国主義という思想、加担した先進国の問題を問わねばならないし、また今日の通貨・為替・経済力での構造的緊縛に問題があると思います。
2007/10/25(木) 午前 1:11 [ aki*iro*a*i1*17 ]
akihiroyagiさん
コメントありがとうございます。
ご指摘はごもっともだと思います。
日本が経済大国だからこその批判も多々あるでしょうし、大国至上主義という考え方が、歴史考察にも影響していると思います。
ただ、大局観も大切ですが、個々の問題を明らかにした上での大局観であるとも考えます。
責任という概念は別の問題として、事実を追求し認識を共有する事は今後に向けた必要な作業だと思う次第であります。
では!
2007/10/26(金) 午後 8:27
蒋介石逃亡後の大陸で支配・侵略を続ける中華人民共和国は、敗戦で大陸に残った日本軍将兵を洗脳して日本に送り届けた。
この「中国戦犯」たちが日本を貶めるためのウソをあちこちにまき散らした。
一時は多くの日本人が騙され、これに朝日新聞記者だった本多勝一らが便乗して、中共のプロパガンダを増幅させた。
南京大虐殺は作り話でありませんでした。
日本人を多数、虐殺した通州事件は本当にありました。
2017/4/9(日) 午前 9:24 [ 平和が大好き ]