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昨年末からの管政権を一言で言いますと「痛い」というのが正直なところであります。
内政は一向に進展せず、外交は失策ばかりのくせに数少ない小さな手柄を大げさにアピールし、支持率低下の原因を小沢問題一点になすりつけるありさま・・・・
物事の重きを履き違え、小儀にばかり固執していては、応援のしようがありません。
仙石・馬渕両氏の問責決議の根本を考えるならば、それは国家の核を成す安全保障問題に抵触したからに他なりません。
その問責決議には、おそらく国民の大多数が納得しているのではないでしょうか。
従来の政局の為の問責決議と混同しては困りますね。
こんな様では、腐った自民党政権時代のほうがマシだったと言われても仕方ないでしょう。
歴史的政権交代は、薄紅色の総理と赤い官房長官に国政を託したものではなかった筈です。
更に言えば、そんなツートップでありながら、中国とのパイプが皆無であるとは笑ってしまいますね。
内閣総辞職を強く希望いたします。
まぁ、現状では小沢政権というのは無理があるのかもしれませんが、とりあえずは管さんは降板して欲しいものですね。
今後の展開は流動的ではりますが、とりあえずは13日の民主党大会に期待したいです。
両陣営の対立には「ねじれ解消」までが含まれているとは思いますが、どこまで具体的な絵が描かれているのかが不安でなりません。
それにしても、管・仙石コンビはなんとなくわかっていましたが、岡田さんも案外ウスラだったんですね^^
では!
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景気の低迷が続く中、立て続けの事件勃発やら閣僚の失言の連発、そして問責決議案の採択・・・・。
トンチン管内閣の苦悩の日々が続いております。
崩壊は時間の問題でしょう。
さて、近況の流れの中で私は、松岡洋右のことを想い起こしました。
おそらくは尖閣問題での世論からの連想だと思いますが、何となく頭に浮かんだのです。
満州国の正当性を国際社会に認めさせる為、日本全権首席としてジュネーブに乗り込んだ松岡でありましたが、結果は完封負け、国連脱退という想定範囲内とは言え最悪の結果で帰国の途につきました。
期待に答えられなかった松岡は落胆の中、ある程度の罵声は覚悟していたことでしょう。
しかし、彼を待ち受けていたのは歓喜の世論だったのです。
おそらくその歓喜は国連脱退という結果に対してでは無く、日本の主権を貫くべく熱弁した松岡の姿勢に対するものだったと考えられます。
当時はどのような偏向報道がなされていたのかは私は知りませんし、国民のナショナリズムの意識の程度も分かりませんが、日本国民が日本国民としての誇りを持っていたことは確かだと思います。
その世論の後押しは後に松岡本人が「僕、一生の不覚」と嘆き、アメリカから「ならず者国家」と位置づけられる原因となった日独伊三国同盟へと繋がっていくことになるのですが、その流れの是非はこの記事では控えておきます。
経済至上主義が主流の中、多くの国民は愛国心だとかナショナリズムだとかには、おおよそ無関心であったと思います。
しかし、今回の尖閣事件での政府の対応に対する批判や朝鮮クライシスへの反応を見ておりますと、明らかにそっち方面への問題意識の高まりを感じます。
安倍さんが「美しい国」を語るのは、このタイミングだったのかもしれませんね^^
なにはともあれ、国民の意識が安全保障や国家像に向かうのは喜ばしい傾向ですし、更にこの流れが憲法改正に向うのであれば、中国や北朝鮮に逆に感謝するという発想もアリなのかもしれません。
国民のナショナリズムが構築されれば、狭い了見の三流政治家は自然と排除されていくことでしょう。
必要とされるのは大局観あるプロの政治家であり、政党である筈です。
景気対策などの現況の国内問題も確かに大切ですが、安全保障なくして国家は成り立っているとは言えません。
民意のレベルアップを背景に、今後の選挙は面白いものになるのかもしれませんね。
最後に、帰国した際に予想外の歓喜のシュプレヒコールを聞いた松岡の思いが気になります。
どんな感じだったんでしょうねぇ〜?
「日本国民最高!」ってな感じだったんでしょうかね^^
では!
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タイトルは尖閣問題としましたが、これを仙石問題とお考えの方もおられることでしょう。
世論的には中国の仕掛けは暴挙、政府の対応はお粗末、というところで一致しているように感じます。
まずハッキリとさせておきたい事は、尖閣諸島は日本固有の領土であるという点と漁船衝突事故は中国漁船側に明確な非があるという点です。
この二点を大前提として以下、書き綴ってみたいと思います。
まずは政府の対応についてですが、ことごとく誤った選択をしてきたというのが率直な感想です。
領土の境界線付近での揉め事は世界的にも珍しいことではなく、対応としては拘束、調書ののち即座に国外強制退去が無難で妥当という慣習があるようです。
しかし、今回、日本政府(前原大臣が明言)は、起訴し国内法で裁く旨の見解を公表しました。
ここから非難する人もいらっしゃるようですが、私はその時点では間違ったとは思っておりません。
むしろ、従来の弱腰外交政権では考えられない頼もしい対応として評価しておりました。
しかし、事態は一変します。
起訴には及ばず船長を釈放、帰還した船長はヒーロー扱い、更には中国政府から謝罪と賠償を要求される始末でありました。
中国側からこんな理不尽で傲慢な要求を突き付けられても尚、日本政府は配慮と称して絶対的な証拠品であるビデオの公開をためらい続けたのです。
事実の公表が遅れた為、中国国内の一部では反日暴動(どさくさの共産党批判も含む)が起き、在中邦人が危険に晒されるという由々しき事態にまで発展してしまいました。
そして先日のネット上の流出での事実(ビデオ)のお披露目に至りました。
もっと早くに政府が主体的に公表していたならば、暴動の一部は起こらなかったのかもしれませんし、中国政府の増長もも引っ込みがつかなくなるところまではこなかったのかもしれません。
明らかに日本政府の中途半端な優勢順位を見誤った対応は、最悪に近い対応だったと言えるでしょう。
確かに日本にとっての中国は10兆円規模の貿易相手国として、今やアメリカ以上になっております。
又、近隣国でもあり、安全保障上でも特に重要視しなければならない国とも言えるでしょう。
ならば尚更の事、相手に敬意を表する意味においても毅然とした対応をすべきでしたね。
対中外交においては村山談話以来の大きな汚点となってしまいました。
以上、結果論も含まれた一連の流れに対する私の見解でありましたが、私は基本的に中国をあまり好きではありません。
日本にとっては文化的にも多くを学ばせてくれた土地ではありますが、それは長い歴史上の文化であり、中国になってからは逆の関係のようにも思えます。
単に厄介な隣人とさえ思う時もあります。
権利を束縛し、旧式の情報操作やプロパガンダを駆使する国家は未熟国家としか言いようがありません。
体格がよく、喧嘩の強い裕福な嘘吐きワガママ坊主という感じでしょうか。
学生時代はそんな奴と同じクラスになりたくありませんでしたよね^^
では!
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私はお金について「サービスを受ける為に必要なもの」という認識を持っています。
お金については様々な見解はあるとは思いますが、そのように考えると一番シックリとくるのです。
税金を払うのは行政上のサービスを受ける為とも考えられますし、物の購入や飲食なども他人からのサービスの提供と考えられます。
そしてお金はそのサービスの提供に対する評価基準であり、「適正な対価」として認められることによって精神的満足感を得るのです。
そこで問題となるのが「適正な対価」かどうかということです。
飲食店に入ってカップラーメンを出されて、それがたまたま美味しくても、お会計で1000円を要求されたら満足する人は誰もいないでしょう。
又、市街化区域に住んでいながら、いつまでたっても上下水道やらのライフライン等の整備すらなされなければ、市民税を払っているのが馬鹿馬鹿しくなってきます。
よって、サービスを提供する側は、常に平等感や世間標準や新たなサービスの概念を意識しながら顧客満足を目指さなければなりません。
そんな意味において私はコンビニに注目しております。
普段、何気なく利用するコンビニではありますが、そこにはあらゆるサービスのノウハウが隠れております。
一次的な従業員マニュアルや商品陳列、レジシステム等もさることながら、発注システムや搬入システム等々においても優れたサービス提供形態のひとつであると思っております。
それに比べれば役所なんて30年以上も遅れていますね^^
先日、あるスナックに飲みにいった時に、平等感の話になりました。
最近の通信カラオケは、客が自分で選曲できるようになっており、その端末には困ったことに割り込みボタンまであるのです。
割り込みは順番という原始的な平等感を損ないます。
それに対する評価は、当然のことながら店主と一致したのですが、仮に同じ人が割り込みではない場合で二曲続けて入っていたらどうする?という話になりました。
店主は「その人に言って、二曲目を後回しにしてもらう」と言うのです。
私は首をかしげました。
二曲連続で入っていようが、そこで入曲順が守られているならば、店主の裁量という曖昧な基準で順番という平等感を損なって良いものだろうか?と考えた訳です。
客の全てが常に歌いたいわけではありませんし、二曲連続で歌いたい人も中にはいるでしょう。
お店側のルールとして「混雑時に二曲連続はご遠慮ください」という感じのものが確立されているのであれば別ですが、それを臨機応変と考えるには少し無理があるような気がいたしました。
店主があまりにも自信満々でしたので私は言葉を控えましたが、とても違和感のある会話でありました。
平等感というとても馴染みのある抽象的な表現ですが、具体的に突き詰めていきますと人それぞれ違った感覚でもあるようです。
サービス全般で具体的に考えると、まだまだ複雑になりそうな感じですね^^
では!
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民主党の代表選が近付いてまいりました。
出馬を巡って揺れている小沢氏サイドではありますが、私は出馬して欲しいと思っています。
私の思いが極少数派であることは承知しておりますが、袋小路の現状を打開できるのは小沢氏しかいないと思っています。
直面している様々な点について個々に考えれば、私は前原氏や野田氏や枝野氏の方向性や対応に共感しております。
しかし、総体的視点で考えると優等生的思考には限界があるように思います。
全てを公平に考えるのは不可能ですし、人はお金やポストで動く比率の高い、打算的な生き物です。
ねじれの下では、党内を強引にでも取りまとめて政策の流れをスムーズにする必要があると思います。
抽象的に書いてまいりましたが、つまりは数を集めて流れの良い国会運営体制を作る必要があるということです。
考えられる方法論は二通りです。
単純明快に、どこかと組むか誰かを引き抜くかです。
言うのは簡単ですが、現状を考えればこれはとても困難な事だと思います。
それが出来るのは小沢氏しか考えられません。
菅さんサイドは政策毎の協調などというヌルイ事を言っておられるようですが、野党は解散に追い込むことしか考えていないでしょう。
それは悪くもなんともない当然の発想です。
しかし、現状での解散は望ましいとは思えません。
参院選惨敗のレッテルを貼られている民主党ではありますが、得票数では負けていないのです。
つまり、民意はまだ民主党にあり、行き詰まりの解散は民意に対する裏切り行為とも考えられます。
まぁ、民意を盾に話すと小沢氏待望率は一桁ほどですから、この記事の整合性には問題が生じますが、そこは見逃して下さい。
世間は「政局よりも政策」などと、もっともらしいフレーズに踊らされているようですが、政局と政策は政治の世界では表裏一体なのではないでしょうか?
少なくとも日本型議会制民主主義は、そういう構造だと私は思っています。
旧途上国の台頭及びアメリカの国力低下で国際社会の構造は複雑さを増しております。
日本は民族性を秘めた主体的決断を迫られる場面が増えてくることでしょう。
協調性よりも主体性の比重を高めなければならないということです。
そこで必要になってくるのが、政治のリーダーシップですが、やはり小沢氏しか考えられません。
あと数日で、出馬か否かの解答は出ますが、今、書いておきたいと思い、書いてみました。
小沢氏は何かと誤解されていると私は思っています。
そんなに腹黒い政治家ではないと思うんですけどね^^
では!
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