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ビンラディンがアメリカ軍によって殺害されたようですね。
影武者説や捏造説なんかも飛び交っているようですが、一応は9・11報復の一つの区切りとなった感じはいたします。
この件についてのいくつかのブログ記事を拝見しましたが、色々な意味で批判的な見解や疑問を問い掛けるような内容が多かったですね。
賛同や肯定的な意見は見つけられませんでした。
まぁ、他人の見解はともかくも私はアメリカが成すべきべきことをしたという捉え方をしております。
9・11の首謀者がビンラディンであることは事実だと思っていますから、アメリカが国民の安全保障においてビンラディンを排除することは国家の義務であると考えておりました。
よって、結果が「殺害」であったとしてもなんら抵抗感はありませんし、5000人超の被害者達の命と未だつり合ったとは思っておりません。
一つのケジメであり、通過点という感じです。
又、疑問視する意見の中で今後に対する懸念や憂いの声もいくつかありました。
確かに報復合戦は単に憎しみの連鎖であり、メビウスの輪のようなものです。
ビンラディンの死は更なる憎しみの感情を生み、新たな報復の火種となる可能性は大きいでしょう。
ただ、だからと言って真の正義を問うのもどうかと思います。
私は現代世界の枠組みとして国家を優先して考えるべきであると思っておりますから、国家としての正義を貫くことが本筋であり、倫理もそこが基準であるべきだと思います。
イスラム社会などの宗教上の視点を無視するわけではありませんが、その視点では世界全体を網羅することは困難であると思います。
現在の国際平和維持の基軸は宗教ではなく、国家間の連携や条約です。
イスラム社会はそこら辺を歪に捉えているフシがあり、それが独善的に映ることもしばしばあります。
コーランで殺生を容認しているなどとは聞いたことがありません。
ですから大義名分として「聖戦」の名を借りて人命を奪います。
国家は大義名分として自国の民を守る安全保障という契約の下に人命を奪います。
「戦争は究極の外交」なんて表現もありますね。
どちらの大義名分が優れているかはそれぞれの価値観なのでしょうが、私は国家の大儀を支持したいと思います。
上記したことは、単にビンラディン殺害について現時点の社会構造のみを考えた視点でのべました。
つまり、イスラム迫害や大国の利己主義による干渉といった「イスラム圏の歴史」の部分は無視して書いております。
そこを考えるとどこまで遡っていいのか、わからなくなってしまいます。
又、今のイスラム社会の構造は君主制ありの共和制ありのスンナだシーアだ原理主義だなんだと統一感がまるでありません。
それでは正義という概念の統一も難しいでしょうね。
完全本意ではありませんが、少しだけ現実を書いてみたくなりました。
では!
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