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私はyahooブログをはじめる以前に、dokyunブログというサイトで記事をアップしておりました。
初めてのブログでしたので、右も左も分からずに適当にそのサイトを選んだという経緯であります。
始めてから少しして気が付いたのですが、そこは規模が小さく会員の年齢層も低い感じでありました。
当初は文章力アップという自己啓発が目的でしたので特に気にはしませんでしたが、コメントなどのキャッチボールをしているうちに「より多くの人に読んで貰いたい」という感覚を持つようになっていきました。
丁度その頃、私の甥っ子が中学生になりましたのでランキング入りを目指して「中学生にも分かる文面」という線を設定し、シコシコと書いておりました。
ところがそれが意外と難しいという事に気付き始めます。
私は社会的テーマを中心に書いておりましたが、「この単語、中学生にわかるかなぁ〜?」とか「この状況の背景は中学生は知らんだろうなぁ〜?」などと考えておりますと時間は掛かり、自然と文章は長くなっていきます。
「長過ぎる文章を他人は読まない」という個人的な定義をしてましたので、説明文を含めた内容を端的にまとめるのは一苦労でありました。
今は成人以上を意識して書いておりますが、ユーザーの設定次第で文章は大きく変わるものですね^^
もう一つのエピソードをご紹介いたします。
10年以上昔の話ですが、私の義弟が生命保険会社に勤務しておりました。
私も業界は違えども営業職でありましたので、大まかな営業についての話を義弟としておりました。
義弟は営業のありふれた悩みではありますが、成績の頭打ちについて悩んでおりました。
そこで私は言いました。
「生保の保険契約はわかりにくい」
「どこがわかりにくいんですか?」
「具体的には言えないが、契約内容の全てを把握している被保険者なんていないだろう」
「え?ちゃんと説明していますよ」
人の振り見てではありませんが、私はこのやり取りで重要な事を気付かされました。
ある事に毎日のように携わっている人間は、その事における理解という感覚が麻痺してくるのだという事です。
一般的日常と自分の日常を混同し、専門分野における世間常識の尺度が狂ってしまうのです。
社内で使う単語をそのまま部外者に話しをしても分かる訳がありません。
でも、現在は保険も随分とわかりやすく進化してますね^^
分かり易さとは思いやりにも通じる事だと思います。
専門的な難しい文言を並べた大学教授などの著書を読んでいますと、その内容よりも疲労感ばかりが残りますし、会話というコミュニケーションにおいてはキャッチボールにならない相手が多々おります。
そんな「理解してもらう努力」を欠いた一方通行の自己顕示欲丸出しの自己中表現は世の中に溢れていますね。
「賢者は愚者からも学ぶ」と申しますが、賢者とは愚者に優しい存在であるとも思います。
難しい単語を並べて博識を晒す人は対面上は褒められますが、自分大好き馬鹿にしか見えません。
あと、常に相手の理解力を責める人は論外ですね。
やはり客観視点を失わない事が重要であると考えます。
もちろん、世間常識とする基準は個々に設定しなければなりません。
例えば何でもかんでも「ひらがな」では、困ってしまいます。
アンテナを張り巡らせていたなら、その基準はおのずと洗練されていくものだと思います。
とは言え、私もまだまだ未熟で目指す賢者への道は遠く険しいのですが、日々精進を重ね一日も早く「けんじゃくん」の称号を得るよう努力を積み重ねたいと思います。
でも、けっこうワガママだから一生無理かもしれんなぁ〜・・・・
トホホ・・・であります。
では!
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