念仏鬼の唄

念仏を、随分申せ、先の世は、なんぼ鬼でも、怖いぞ、怖いぞ !

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 早暁の念仏

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「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久し止まる事なし。世の中にある人と住処と、またかくの如し。」
ご存知、鴨長明の『方丈記』序の冒頭です。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」
『平家物語』の冒頭のこの文章と並んで古来多くの人に語られてきたところです。

 随筆と物語の違いは有れど、両篇を通じて貫かれている思想は仏教の無常観であります。
時代も同じ平安末期から鎌倉期に掛けてをバックグラウンドとしており、当然その時代に起こった天変地異や大きな事件について、双方に同じ記述があります。
「安元の大火」「治承の辻風」「福原遷都」「養和の飢饉」「元暦の大地震」

 阿保な話だけれど、余りに仕事が閑なので4月頃から長明の誕生10年前から没後10年を彼の動向を年表にして、同じ時期に平家,源氏の歴史を並べ、あわせて当代天皇のあり方、上皇の院政ぶり、帝威の乱れ、(崇徳帝〜順徳帝)。 同世代の歌人西行、藤原定家などの動き。 宗教者、特に浄土宗宗祖法然の活躍、真宗宗祖親鸞の登場。
これ等を網羅してみると色々面白い事がわかってきました。
個々にエッセイ(随筆)や物語や日記(旅行記)を読んでいて気が付かなかった事が時代を追って整理できる。

 「随筆三篇」と呼ばれる『枕草子』『方丈記』『徒然草』については枕草子は長明誕生の135年前のものだし、徒然草は長明没後115年後の成立なので相関はない。 が、しかしこの約300年の間、最初に世に出た「枕草子」は公家が主人公の時代で、文章の舞台も宮廷である。 中ほどの「方丈記」の時代は武士が台頭してきて後半は都に帝と上皇が重複する政治体制で、さらに鎌倉には幕府が存在した2重3重の権力体制が並立すると言う時代であった。 最後の「徒然草」の時代は室町時代、完全な武家社会となり、室町に足利尊氏が幕府を開闢、朝廷は南北並立の時代であった。

 
そもそも一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。たちまちに三途のやみに向かわんとす。何のわざをか、かこたんとする。仏の教えたまふ趣は、事に触れて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に着するも、さはりなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさん。静かなる暁、このことわりを思い続けて、自ら心に問いていわく、「世を逃れて、山林にまじわるは、心を修めて、道を行わんとなり。しかるを、なんじ、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。すみかは、すなわち浄名居士の跡をけがせりと言えども、保つ所は、わずかに周梨槃特が行いにだに及ばず。もし、これ貧賎の報いの、自ら悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂わせるか。」 そのとき、心さらに答えることなし。ただ、傍らに舌根をやといて、不請の阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。

さて自分の一生を、月の東から出て西に入るまでに例えるなら、もはや月が西に傾いて山の端に近付いたように、自分の生涯もまた終わりに近く、余命幾ばくもない。
今にも死期が訪れて、三途の闇に行こうとしている。
それなのに何事に自分は愚痴をこぼそうとするのか。
仏が私たち凡夫に教えられる趣意は、「何事に関しても執着心を持ってはいけない。」と言う事である。
してみれば今自分がこの草庵を愛するのも、又この閑寂な生活に執着するのも、仏道修行の障害であろう。
どうして、閑居の気味と言ったようなこんなつまらない楽しみを述べて、惜しい時間を無駄に過ごそうか。
静かな夜明け方に、この道理をじっと思いつづけて、自分で自分の心に問うて、言う事には、「俗世間を逃れて、山林の中に入って住むのは、心の乱れを鎮めて、仏道を修行しやうとする為である。それであるのに、おまえは、その姿は僧侶であって、そのくせ心は俗世間の醜い欲望の念に染まっている。その住まいは、浄名居士の方丈の石室を真似ているけど、仏の戒律を守り行っている点は、どうやら釈迦の弟子の中で最も愚か者と言われた周梨槃特の行いにさえ及ばない。もしやこれは私の身に負うた貧しく卑しいと言う前世の悪報か、自分から自分の心を悩ますのか、あるいは又、煩悩の心が起きてきて、自分が狂っているのか。」と。
しかしその時、私の心は全く答える事ができない。只その代わりに、舌の力を借りて、なんの願う所も無く求める所も無く、南無阿弥陀仏と2,3辺唱えてそのままになってしまった。

 建暦2年(1212)3月、第84代・順徳帝の御世、桑門の蓮胤、外山の庵にて、「方丈記」跋。
 
4年後、建保4年 閏6月8日寂。享年64歳。       
 
それから793年の歳月が流れた。ゆく川の流れは今日も休む事無く・・・。


画像は 長明所縁の、糺の森「河合神社」境内の在る「方丈の庵」を復元した建物。

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今晩は 念仏鬼さん♪
その時代、時代の日記や随想は今の時代に通じることが多々あり
、古臭いとはとても思えませんね。
年表で時代の出来事、人物のすり合わせ面白い試みですね。時の
人たちの思想、世に対する批判など浮かび上がってくるのでしょ
うか?。

2009/6/8(月) 午後 9:35 しみけん

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糺の森は下鴨神社の境内にありますね。ここを散歩した記憶があります。平安末期と言えば貧富の差が大きく、また末法思想が人々を怯えさせ、自殺する人が多く、また浄土信仰が流行ったとか。平安王朝の華やかさとは裏腹な世界があったと、高校の日本史で習った記憶があります。

2009/6/8(月) 午後 10:01 [ ame**34 ]

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其々別個にしか知らなかったのが そうすると面白いし時代背景が見えて来るんやねえ
ワタシは日本の歴史を恥ずかしいくらい知らないので 時々人をビックリさせたり 自分でビックリしたりします

今 世間では歴史好きの女性が増えて「レキジョ」なる言葉が出来ているらしいけれど ワタシは日本史「ケツジョ」です

2009/6/8(月) 午後 11:32 [ まんまんで〜 ]

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しみけんさん、
昨日6月8日は文中にある様に、鴨長明の祥月命日でした。
地震や台風と言う天変地異になす術なき人々、大火は権力者同士の突っ張り合いによって出来た無計画な都市創りが一因と思われます。
遷都は政権交代期に起きる混乱を表し、飢餓はその前提に重税と官僚の独善を上げることが出来ます。
就活(河合神社の禰宜職)に破れ、「やってられないよ、ったく!。」世を拗ねて隠棲し桑門の身となり初めて心の自由を得るが、従五位下の官位とか、院前や上級貴族の前で歌を詠じた誉れも忘れがたく、揺れ動く心も垣間見られます。
今に生きる我々と何ほどの変わりもありません。

2009/6/9(火) 午前 10:33 nenbutuo2

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カラテさん、
糺の森を含む下鴨神社全てが「世界遺産」に登録されていますね、
なんかこう何処も彼処も世界遺産といわれると有難みがなくなってきましたが、一つ一つを良く見つめてみると、それなりの価値は見出せます。 宇治と京都市で14箇所、サイクリングで回ってみるのもまた一興、サドルのクッション工夫して。
一番東に位置する醍醐寺、西端は嵐山の天竜寺、北は金閣寺、南は宇治の平等院。 一日では無理ですかね?。

2009/6/9(火) 午前 11:07 nenbutuo2

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まんまんで〜さん、
昨日、6月8日は鴨長明の祥月命日でした。亡くなる4年前に「方丈記」を完成させてます。その同じ1212年に浄土宗開祖法然上人が80歳でなくなっております。
1190年(長明38歳)、2/16,(まさに如月の望月の頃)西行(74)寂。
翌1191年、宋より栄西帰朝、臨済宗を起し、1192年には頼朝が鎌倉に幕府を開いております。そもそも長明が生まれた年に清盛の父忠盛が58歳で死に、清盛が跡を継いで降ります。
温故知新、歴史は楽しいものです、

2009/6/9(火) 午後 0:31 nenbutuo2

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暇つぶしに方丈記。楽しく歴史と遊ぶ。nenbutuさんはやはり念仏鬼さんです。鹿児島で育ちながら“篤姫”去年話題になって 始めて知った私。恥ずかしいかぎりです。

2009/6/10(水) 午前 1:11 buuky1950

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こんにちは

学校で習った「方丈記」に「平家物語」 (枕草子もですね)

その時は、序文を丸暗記させられた、という記憶が全てだったのですが、年を重ねるごとに重みを持ってきますね。そしてこれから更に年を重ね、自分の経験が増えるほどに益々重みのある一文となっていくのでしょうね。

学校での授業はいわば「種」で、生涯とともに育っていく考えなんですね。

そう思うと、学校教育もなかなか味のあることしているんですね♪

2009/6/11(木) 午前 6:33 matsutake31

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おはようございますご無沙汰してました、空です
聞いたことあるなぁと読む私、確かに丸暗記しましたね〜昔たいしたコメント書ける頭がないんですけど、念仏鬼さんスゴイと思います久しぶりに歴史の勉強したみたいです

2009/6/13(土) 午前 10:08 [ ]

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三太のお母さん、
明治維新には大勢の薩摩人達が尊い犠牲と大きな貢献を果たしておりますね。
天璋院篤姫と聞けば、僕は夏目漱石の「我輩は猫である」を思い出します。
名前はまだ無い我輩君は、隣の二弦琴のお師匠さん宅に飼われているガールフレンドの「三毛子」との語らいの中で、彼女が飼い主のお師匠さんの事を天璋院さま所縁の人だと自慢する下りがあります。

2009/6/18(木) 午後 2:50 nenbutuo2

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まつたけさん、
「学校教育は知識の種を撒く事」まさにそのとおりでしょうね。
「水遣り」をしてくれ、成長期には、虫やナメクジから守ってくれるのは両親でしょうか。
社会は「誘引、摘果、摘心」を担わねばなら無い。

最近のニュースを見れば、学校、両親、社会が其々の任務を忘れているかのような印象もま、ま、見受けられます、自戒を込めて。

2009/6/18(木) 午後 3:02 nenbutuo2

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空さん、お久しぶりです。
子供の頃からの歴史好き、若い頃は戦国史が好きで、琵琶湖の周りを巡っていれば幸せ。
中年になって幕末史に変わり、五十路を過ぎて平安末期から鎌倉期に変わりました。
方丈記と平家物語は歴史としてではなく、文学作品として子供の頃から大好きです。

2009/6/18(木) 午後 3:17 nenbutuo2

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800年の昔に書かれたエッセイとは思えないくらい、現在に通じるものがありますよね。
800年経っても私たちはあまり進歩していない証でしょうか。
長明さんならなんとお答え下さるでしょうか。

2009/7/7(火) 午後 4:34 [ 此岸の花 ]

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此岸の花 さん、
僕は鬼となりて後千年の齢を重ねる、と言うより 世に憚る積りですが、果して進歩の程は、易かばかりでありましょうか。

『 わが背子は 愛玩人(びと)と 思へかも 毎(ごと)に逆ろい 腹のふくるる。 』 と詠でおられましたが(爆笑)、背子の卿とは仲直りできましたか。

2009/7/8(水) 午後 4:56 nenbutuo2

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こんばんは。興味深く読ませて頂きました。今思うに、私を坊主の道に導いたのは『方丈記』だと思います。しかし、鴨長明がうちひしがれたが如く、私も僧侶の世界でうちひしがれました。それ故にいよいよ『方丈記』は私にとって心の琴線を弾く存在です。
あの時代、現代同様不穏極まる時代でした。だからこそ、法然門下の念仏門が台頭したのだと思います。
今、「幸福実現党」なる、アホな宗教が政界進出を目論んでおりますが、今の新興宗教と当時の“新興宗教”とは、底辺の信者の質はさほど変わらないと思いますが、提唱者(開祖)の質は決定的に違いますよ…。

2009/7/14(火) 午前 2:28 Rev.Ren'oh

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Ren'ohさん、
「私が僧侶になったわけ」で鴨長明と方丈記について書いておられます。
時代を超えて琴線に触れるものとは、洋の東西を問わず文学作品の品質評価の基準と成る物差だと思います。
「無常観」もまた時代、空間を超越した一つのイデオロギーだと僕は思っております。
信教の自由を否定するものでは有りませんが、「幸福実現党」にいたっては・・

2009/7/15(水) 午後 4:10 nenbutuo2

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