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醍醐・和光寮は 全国初の公営知的障害者入所施設として、昭和13年、伏見区日野川頬の現在地において開設された。 だが、施設の老朽化が進み、維持管理費が高くつくなど課題があった。京都市は施設の建て替えを機会に社会福祉法人「南山城学園」(城陽市)による民営化を決め、総事業費(約16億9千万円)の7割を同法人に補助した。
すでに発達障害者の入所施設「光」と、加齢によって身体機能が低下した知的障害者の入所施設「輝」の一部が完成した。6月からは短期入所事業を始めるほか、2011年度から新たにデイサービスや相談業務も行う。 (2010年5月15日 京都新聞)
平成18年度当初予算に基本構想策定調査費を計上、21年本工事着工、昨年6月1日開所式を迎えた。
しかし外構工事などは先月まで行われておりました。
ほんの一部分ですが施設3箇所の出入り口,その門柱を施工させていただきました。
日野といえば「日野の里」、この地域は、古代の行政区分では山城国宇治郡日野と呼ばれ、藤原北家のなかの日野家の伝領地である。 日野家は3代6代8代の足利将軍家に正室送り込む家柄で、特に8代将軍,義政の妻「富子」の烈婦ぶりはつとに有名。夫の弟,足利義視が9代将軍に成るのを阻み、自分の息子足利義尚の擁立を図ります。
足利義視には細川勝元、足利義尚には山名宗全と幕府の実力者が夫々後見につき、応仁の乱に突入、九州を除く日本全国で11年に渡る戦乱が続きます。乱は終息したもののこの戦で幕府も守護大名達も疲弊し、やがては下剋上の戦国時代へと突入して行く。
富子は戦費に苦慮する敵味方双方の大名に金を貸付て巨万の富を得ます。
富子はまた恋多き女性としても有名で、後土御門天皇との不倫、山名宗全との密通の噂、又ボーイフレンドの一人として一休さんの名前も挙がっております。頓知で有名な小坊主時代の一休さんではない、男盛りの一休禅師であります。
又、西軍が陣を敷いた場所(京都市上京区〜北区の一部)には「西陣」と言う名称が 京都和装産業の中心地として今も残っております。
日野家と言えばもう一人、誰もが知っている大人物を排出しております。
浄土真宗の宗祖,親鸞聖人であります。
別名 「日野薬師」薬師信仰の寺である。 もともと「日野の里」は薬草の採取・栽培が盛んなところであった、今も法界寺北側に京都薬科大学付属薬用植物園が存在するのもあながち偶然ではあるまい。
親鸞聖人は、承安3年(1173年)に日野有範の子として、法界寺にて生まれたとされている。 江戸時代末期の文化年間(1804〜17)。本願寺第十九代宗主の本如上人が法界寺境内地は宗祖親鸞聖人の誕生地と検証。交渉の末、一部を譲り受け聖人の父の日野有範にちなみ「有範堂」を建立したのが日野誕生院の始まりである。
日野誕生院には、 『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐のふかぬものかは』 の歌碑と「親鸞聖人誕生地」を示す石標がある。
さて、「日野の里」と言えば もう一人、絶対に忘れてはならない人物がいます。
長明さんの事は
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とても文、宗豊かな土地所なのですね、全くもって知りませんでした。こちらの建物は平屋造りなのでしょうか?優しく、趣のある建物ですね。煩雑さが感じられず、気持ちの落ち着く感じが致します。私もずっと以前に、熊本の知的障害者入所施設さまでアロマのセミナーをしましたよ。入所者の方もそうでしたが、職員の皆様に好評でした。
2011/5/6(金) 午後 10:12 [ tkb**g_net ]
ゆったりした入口で解放感いっぱいですね
昔は 知的障害の人達の施設はみんな閉鎖的だったわ
『明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐のふかぬものかは』は親鸞聖人の歌やったの?!
母はワタシにはいつもこの歌を出して教訓をタレおいて 自分は「明日は明日の風が吹く」と斜め上45度を見上げ 「風と共に去りぬ」のラストシーンのスカーレット・オハラに成りきって言うのであった
子供心に 大人は勝手なもんやと いつも思ってました
2011/5/7(土) 午前 4:52 [ まんまんで〜 ]
こんにちは。しばらくです…。日野にこんな施設がありましたか…?。
法界寺へはかれこれ3年ばかり参っていません。醍醐は有名ですが、こちらの方はちょっと寂れたムードが良かったのですが、今はベッドタウン化が激しいですね…。
2011/5/7(土) 午前 11:00
ひろみさん。
良く似た仕事って偶然に重なる事があります、昨年暮れから別の街で同じく公営のケアホームの建設に携わっていました。市営住宅の跡地に建設が決まったのですが、近隣住民から猛烈な反対運動が起きて、行政と住民側,幾度かの話し合いの末建設がスタートしましたが、かなりの制約を余儀なくされました。 まだまだ障害者に対する誤解や差別は存在するものだとつくずく感じました。
2011/5/7(土) 午後 2:04
まんまんで〜さん。
この施設に限らず医療関係の施設は綺麗で開放的に成りましたね。5年ばかり昔の話ですが、U市に新しい大きな総合病院が出来ました。同じ時期、同じ市内にあった Dプラザホテルが不況で閉鎖になったとき、ホテルスタッフの多くがその総合病院で受け入れられました。
『明日ありと・・』は 聖人9歳で得度為された時にお詠になったとか、レジェンドの世界ですから,おそらくはそうではないでしょう。9歳の小坊主が詠む歌じゃないもん、80爺さまのお説教みたいですから。
2011/5/7(土) 午後 2:20
Ren'ohさん。
お酒にまつわる話 面白いですね!。
我が家にも有りますよ、「教訓の団扇」「教訓の手拭」「教訓の湯呑(寿司屋)」。
日野界隈は地下鉄石田駅が出来て、疥癬菌が皮膚の表面を覆って行くが如き建築ラッシュです、「里」などという趣はまったく無くなってしまいました、自分の商売を棚に上げて偉そうな事はいえませんが、悲しい事です。
2011/5/7(土) 午後 2:35
日野の里からはいろんな人材を輩出していたのですね。
勉強になります。
歴史を学ぶといろんな縁が見えてきますね。
滋賀県にも近江日野の里があるのですが、何か繋がりがあるのかな。
念仏鬼さんは相変わらず優れたお仕事を残されていますね。
2011/5/11(水) 午前 9:37 [ ame**34 ]
カラテさん。
「日野菜漬け」の日野ですね。仕事で通る道すがら、R307から一つ東の旧道沿いのお漬物屋さんでよく買って帰ります。ネットで何でも買える時代ですが、産地で買って帰ると又一塩(漬物故の駄洒落の心算)です。
仕事を選んで居られる立場に有りませんが、どの様な現場にも土地土地の歴史や、住民の方の想いを考えれば、良き土地柄、善き絆が見えてくるような気がします。
2011/5/12(木) 午後 3:52