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11/1(金)
仕事の前に覗いてみたら、何と熱発!そけい部と頭、脇と3ヶ所クーリングだからかなり高熱だ。顔を近づけただけで熱い。8度台だな・・・。(あとで聞いたら8度2分だったそうだけど、もっとあるように感じた)
熱は昨日の夜かららしい。一昨日の痰がひどかったし、息が2日ほど荒かった。めったに熱を出さないから心配だ。
仕事の帰りに覗くと・・・あぁ、下がってきたなって感じ。一先ずホッとして帰宅。
11/2(土) 肺炎っぽい。検査は連休明けになるようだけど、粘い痰が多いのと、呼吸がおかしいのとで、抗生剤の点滴と吸入が一日3回となった。午前中の熱は6度台。夕方になると上がってくるかも?
酸素はちゃんととれているそうだ。保湿のために酸素マスクをつけてもらっていたけど、ひもの摩擦で耳の後ろが荒れてくるので、やっぱり夜だけにしましょうってことになった。
ここ数年、安定してたのでびっくりだ。酸素がとれてるので、今のとこは大丈夫だと思うけど、呼吸はかなり荒い。
レッスンがあるので早めに帰宅。
11/3(日)臨終 午前4時45分頃、電話が鳴った。起き上がって電話を取る。自分でもびっくりするくらい即座に覚醒した。
ちょっと慌てた様子で「こちら○○・・○病院(噛んでいた)ですが、ご主人が急変して危ないんですわー!来られますか?」とヘルパーのMさんらしき声。「行きます」そう答えてすぐに切った。
義母はもう起床していたが、補聴器を付けていないはずなので、メモに「Kちゃんが急変して危ないと電話があったので行ってきます」と書いて渡す。びっくりした表情をしたけど、8年前から覚悟は出来ているので、うんうん・・とうなずいていた。私が玄関で靴に履き替えて、出ようとすると、涙声になって「気をつけて行ってね・・・」と言って、ウーウー泣き出した。背中をさする。夫の闘病生活の面では一番の戦友だ。
思ったよりは冷静に病院に向かっていたと思う。今まで危ない状態に陥っても何度も乗り切ってきた。今度も乗り切ってくれるにちがいない。そんな気持ちがあった。
エレベーター前でヘルパーのMさんが待ち構えていた。「部屋の外で待っていて下さい」と指示。病室からは「まだ来ないの−?!」「いないみたい;;;」「何でいないのよ−?!」緊迫した声が聞こえてくる。誰がいないのかよく分からないけど・・・。
ベテランっぽい看護師が病室に入っていった。見たことがない人だ。病室を覗くと、4〜5人のスタッフが夫を囲んでいた。心臓マッサージをしている。
落ち着かない・・・。
ヘルパーさんが持ってきてくれた椅子に座ると、足がガタガタ震え出した。
今回はちがう・・・。駄目なのかもしれない。
5時10分、当直の医師が病室から出て来て、話。
「4時の見回りの時に、呼吸がおかしかった。通常はそれで見回りは終わりだが、4時半にもう1度見に行くと呼吸をしていなかった。すぐに心臓マッサージを始めたが、既に30分経過している。10分以内に蘇生出来ないと厳しい。これ以上続けると心臓に負担がかかる。確認しようと思う」そんな内容だった。
確認・・って・・・?
病室に通された。
「Kちゃん・・・来たよ・・・Kちゃん・・・」
頬をペチペチ叩いた。何の反応もない。
「起きて!起きて!」
モニターの波形が見たこともないくらい乱れていた。心臓マッサージのせいらしい。
「来たよって言ってるのに!!起きて!!Kちゃん!!Kちゃん!!」
微動だにしない。
もう・・・受け入れるしかないんだね。
「わかりました・・・・」
「5時15分でした」頭を下げて部屋を出る医師。
あっけなかった。
Kちゃん、死んだんだ・・・?死んだのね?
ボーーッとして、涙も出ない。
義姉と実弟に連絡。自宅に何度かけても義母は出ない。まさかこっちに向かってるなんてことないでしょうね?亡くなってから2時間は病院を出てはいけないらしいので、一度帰宅することに。結局、私が電話の受話器をキチンと戻さなかったから繋がらなかったと分かった。よほど慌てていたらしい。
間もなく義姉が到着。荷物を頼む。
きっちり2時間後の7時15分、葬儀屋がお迎えに。
病棟を出るときに、普段はあまり愛想のよくないヘルパーさんが「奥さん一人ちがうよ。私も13年前に・・・。頑張ってね!」と目をウルウルさせて見送ってくれた。
死亡確認してくれた医師は主治医ではないし、病院を出るときにお見送りしてくれた看護師も病棟のナースではなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
救急車で搬送されて以来、8年と37日ぶりの帰宅。義母の珠算教室(土間)だったところを、フローリングの部屋に改装していたので、そこに寝かせてもらうことにした。「そろばん教室やめたらここに自分の書斎作るねん」と言っていたので。 間もなく実弟が、次に夫の叔父一家、甥一家、姪が駆けつけてくれた。義母の親戚は、みな九州なので連絡は入れないことにした。
義母は家族葬にして欲しいと言う。私は普通にしてあげたいけど、義姉も「もう現役退いて長いんだから家族葬でいいのとちがうか?別にそれがかわいそうやとは思わない」実弟も「いいんちゃうか」と言うので「じゃ・・・家族葬で」と言うことになった。
お寺さんの枕経。すでに築地本願寺で法名をいただいているので、それをお知らせする。
夜、夫の横に布団を敷いて8年ぶりに並んで寝た。
静かで、穏やか。何時間経っても体交もなければ吸引もない。
楽だね・・・よかったね・・・。今まで、毎日毎日、吸引との闘いでしんどかったね。命をかけた手術、死の淵をさまよいながら呼吸器を付けたまま過ごした2週間・・・つらかったね。もう楽になったんだね。8年もしんどい思いさしてごめんね・・・。生きてても何も良いことなかったよね。8年も私のために生き続けてくれて本当にありがとう。
一睡も出来なかった。
11月4日 通夜 納棺師が着替えをして顔を整えてくれた。最後まで普通に元気にしていたせいか、顔色も良く、あまりやつれた感じがない。式章をかけて、一番上には未完成だが西国33ヶ所札巡りの観音様掛け軸(表装していない)をかぶせる。
棺にはギタレレ(本当はギターを入れたいけど大きすぎる)と楽譜、仏教の本などを入れた。CDやビデオなどは入れさせてもらえなかった。でも自宅でゆっくり納棺してもらえて良かった。
近所の人に見送られて葬儀会場へ。
家族葬といっても会場は30人もはいる広さ。極々親しい人だけに連絡したけど、始まってみたら、寂しくてかわいそうで・・・。会社の社長、いつも見舞いに来てくれていたIさんとO君、私の所属していた音楽事務所のマネージャーさんの4人だけ。
義母は「さみしい・・・」義姉も「今からでも連絡したらどう?」えっ・・・。
通夜のあと、義母だけは自宅で休ませることになって義姉と甥が送っていった。
ガラーンとした会場で考えた。やっぱり今からでも連絡しよう。珠算協会の人なら午後からの仕事だから来てくれるのではないか。もっと連絡したいけど、スマホに登録していないので仕方がない。
しばらくして、前の会社のO君が、そのあと私の同僚だったM先生が来てくれた。
そしてお線香の番をしていたら、10時頃、2人の人影が・・・。「遅くにすみませんー!どうしても会いたくて−!」おぉ〜!義父(珠算協会の会長をしていた)のお弟子さんだった先生が2人、駆けつけてくれた。夫のことを、子どもの頃から知っているお二人と思い出話で賑やかに過ごせた。そうだよ!これがお通夜だよ!
11月5日 葬儀 昨晩、急遽連絡をいれたので、協会の人や部下だった人、友だちも来てくれて賑やかになった。
「長いことよく看てあげたね」と来る人来る人言ってくれたが、「よう8年も看てきたね、あの親を!」には苦笑した。やっぱり義母は有名だなぁ。
「挨拶は、みなさんに話したいと思うことを言えば良いですから」と担当の人にアドバイスされたので、お通夜の時も会葬の挨拶も、お礼のあと、今の気持ちを中心に話した。
夫は仕事人間ではあったけど、多趣味で、ギターを弾き、将棋は段持ち、休日は山登り、仏教にも造詣が深かった。仕事においても趣味においても充実した日々を送っていたが、53歳で突然の病に倒れ、手術11回。そのたびに同意書にサインをして無事に戻ってきてくれるよう祈る日々。治療が終わってからも意識が回復せず8年間寝たきりで、その間、毎日病院に通い続けたが、一日でも長く生きて欲しいと思っていたので少しも苦にもならなかった。
寝たきり生活というのは決して穏やかなものではなく、毎日が吸引との闘い。食べることも出来ず、意思の疎通も出来ない状態で本人はとてもしんどかったと思う。
病院から戻った晩、8年ぶりに布団を並べて休んだ。静かで穏やかで、楽になったのだと思った。今は、8年も家族のために生きていてくれて本当にありがとうと言う気持ちだ。
・・・そんな内容。
いよいよお別れ。火葬。そしてお骨あげ。
頭蓋骨に穴が空いていた。手術のあとだね・・・。しんどかったね。本当に本当に良く耐えてくれました。ごめんね。
帰宅。祭壇が東向きになってしまうので、お仏壇に入るまでの仮住まいということで、やむを得ないでしょう・・・と葬儀屋と話していたら、義姉も戻ってきて、祭壇を見るなり「そっち東でしょう?向きが反対」と指摘された。落ち着かない日々の始まり・・・という気がした。
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お辛い時なのに・・・言葉もありません。
ねねこさん本当にこの8年間頑張られたと思います。
8年ぶりに隣で寝れた・・・涙が出てきました。
ご主人様はきっとねねこさんの愛を充分に感じておられたと思います。これは絶対そうだと思います。
まだまだお忙しく心砕かれる事も多いと思います。
どうぞご自愛ください。
もしブログを続けられそうならばこれからも引き続きブログ友達としてお付き合いさせて下さい。
2013/11/17(日) 午後 3:42
ルナナさん、今はこの先自分はどうなっていくのかという不安でいっぱいです。ある程度は流れに任せて、決断するべきことはして・・・そんなとこでしょうか?
ブログはまだ書きたいことがあるので続けようと思います。
引き続きおつきあいの程、よろしくお願い致します。
2013/11/17(日) 午後 9:17
本当に、、、突然で辛いですね。
ご冥福をお祈りいたします。
2013/11/21(木) 午後 9:21 [ みなづき ]
この度はご愁傷様です。
自分と同じ病気だったご主人とねねこさんの様子をブログを拝見しつつ陰ながら応援しておりました。 ご主人本当に残念ですね。ねねこさんはよく頑張られましたね。 お二人共にお疲れ様でした。 ご主人のご冥福とねねこさんの平穏を心からお祈りします。
2013/11/22(金) 午前 10:25 [ be_*atu*al_**na ]
みなづきさん、 be_*atu*al_**na さん、ずっとブログを呼んでくださっていたのですね。ありがとうございます。単なる備忘録のような記事ばかりでしたけど「自分だけじゃないんだ」と思ってもらえたら・・・そんな気持ちで続けてきました。また時々覗いてみてくださいね。
2013/12/18(水) 午前 9:40