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亡くなる前日。
昼食をすませて、私は2階にあがりました。 しばらくすると、階下から「ねねこさ〜〜ん・・・ねねこさ〜〜ん・・・」と、
いつになくかぼそい義母の声。 降りてみると、電話のコードをいじってみたり、意味もなく電話の向きを変えてみたり・・・。
様子がおかしい?! そして玄関の方にフラフラと歩いて行ったと思うと、トイレと間違っているのか、
いきなりバルーンにためた尿を流そうとします。 驚いて、制止しようとする私の手をはねのけてまで「ジャーーーッ」と! 「とにかく寝ましょう!」とベッドに連れて行くものの、自分で寝ることも出来ない。
こんなことは初めてです。 急に認知症が進んだ?!
病気と言うよりはそんな印象でした。
ケアマネさんに「様子がおかしい。どうしたらいいか?」と、電話で相談すると、
「今、訪問看護師の手が空いているので、病的なものかどうか見に行きます」 と、2人ですぐに来てくれました。 その時にはもう、ほとんどいつもの義母に戻っていましたが、
「脳に何か詰まっていて、今、たまたま流れて行った状態なのではないか?」とのこと。 「今度、おかしいと思ったら、救急車を呼んだ方が良い。 かかっている病院を告げたらそこに運んでくれるから。」とアドバイスを受けて一件落着。 夕飯は普通に食べました。
義母は私がケアマネさんを呼んだことをえらく怒っていましたが、とても元気でした。 ところが・・・ 次の日、朝起きて1階に降りてみたら、義母が玄関先で倒れている?! まさかの事態に血の気が引き「お義母さん!!!お義母さん!!!」と呼びかけるも、全く応答なし。
電話口に走って、人生2度目の救急要請。 「息をしているか?仰向けとうつぶせ、どっち向きに倒れている?」を聞かれ、
「息はしていないと思う。うつぶせです」と答えると、 「仰向けにして救急隊員が来るまで心臓マッサージをするように」と指示されました。 義母は40キロもないくらいだったのですが、重くて重くて、一人でとても仰向けに出来ません。
お向かいの家に走って行き「○○ちゃーーん!助けて〜〜!」と応援を頼み、 2人でやっとこさ仰向けにして心臓マッサージ開始。 まもなく救急車が到着しました。 「体感あり!心臓マッサージを開始します!」と救急隊員。
自宅で倒れると、警察の人が来るのは知っていましたが、救急車と同時に来るんですね?!
これから救急搬送されるというのに、もう事情聴取です。これには驚きました。 「最後に生存確認をしたのは何時か?どちらの方向を向いて倒れていたか?鍵はかかっていたか?」
・・・など、いくつか聞かれたところで「救急車、出発します!続きは病院で!」ということになりました。 結局・・・・ 義母は息を吹き返すことなくそのまま亡くなりました。 死因は急性循環不全。 その日は朝ご飯もちゃんと食べていました。
多分、新聞を取りに行こうとして玄関先で倒れたのだと思います。 最後まで新聞を読もうとする気力もあったと言うことです。 8年以上も寝たきりだった夫。
亡くなる直前まで元気だった義母。 あまりにも対照的な亡くなり方です。
やっと駆けつけて来た義姉には「あんなひどいことを言うからだ」と非難されました。
出て行くと言ったことが?
出て行けと言うから言ったんだけど。 死後の世界など、余り考えたことのない私ですが、
今度ばかりは、亡くなった夫が「もうええから、こっちに来い!」 と義母を迎えに来たように思えてなりませんでした。 |
遷延性意識障害
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1年以上更新していないのに、時々覗きに来て下さってる方、ご心配おかけして申し訳なかったです。
元気にやっています。
あれから激動の1年になってしまいました。
気まぐれ更新になると思いますが、少し書いてみます。
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その後、義母の認知症はゆるゆると進み、見えない人が見えるのか、顔が分からないのか・・・
私以外に同居人がいると信じ込んでいました。
「私一人しかいない」と言うと「なんでそんな嘘言うんや?!
毎日ここでご飯作ったりお茶碗洗ったりしてる人おるやろ!?」と。
しっかりしている面もあるので、いわゆる「まだらぼけ」状態。
時間の感覚がずれているところや、物忘れが激しいところは年相応だったかもしれませんが。
夫の相続に関しても、法律の通りに私が3分の2、義母に3分の1としたのに、
「全部とった」「親父が死んだのに○○ちゃん(義姉のこと。正しくは姉弟なのに、
義姉を亡くなった夫の娘だと思い込んでいる)にはなにもない」と言ってみたり、
「○○ちゃんに全部お金吸い取られた。ねねこさんもなんでお金貸したんや?!」と
今度はちゃんと自分の娘だと認識した上で義姉のことをこぼしてみたり、
それを近所の人や親戚に愚痴っていた様子。
毎日言うことがコロコロ変わるのも高齢故に仕方ないのないことだったかもしれません。
ある時、心療内科の主治医が、義母がまったく介護サービスを受けようとしないのを見て
「週に1回くらい、デイサービス受けてみたらどうですか?」と提案。
「楽しいですよ。その日はお嫁さんも用事をこなしたり出来るしね」と、
ただそれだけの普通の提案だったのに、
「ねねこさんが頼んだんだろ?!そんなに私が邪魔なのか!」
「○○先生も、私を老人ホームに紹介したら紹介料がもらえるんだよ!ニタニタ笑ってた!」と激怒。
その後も2日ほど、ほとんど口も聞かないくらいツンツンしていたと思ったら、
突然「出て行ってほしい。○○ちゃん(娘)に来てもらって一緒に住む!」と言い渡されました。
実は、これまで親戚や友人知人からは、「なぜお義姉さんがお義母さんの面倒をみないんだ?
貸したお金は返さないし、良いように利用されてるだけだよ!
お義母さんもわがままだし、もう旦那さん亡くなったんだからお義姉さんにまかせて家を出なさい!
これからは自分の人生を大切に生きていかないと!」
とさんざん言われていました。
それでも、私は嫁としての意地もあるし、いつかは状況が変わるのだからと思って
特に行動を起こすこともなく過ごしていたのです。
でも義母のその一言で私の心は婚家から離れてしまいました。
「今度こそ家を出よう・・・」
義姉に伝えると、色々言われました。
そして1週間もすると義母は「あれは撤回します〜♪
私はねねこさんが好きだから一緒に住みます〜♪」とあっけらかんと言ってくれる始末。
今まで何度もゴタゴタはありましたけど、もう気持ちは戻りません。今度ばかりは。
ところが・・・ それから1ヶ月半程経って、義母は急に亡くなってしまいました。 |
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昨日、納骨が終わった。
うちはご先祖様の遺言で西本願寺の納骨堂に納めることになっているので、自宅で百か日の法要を済ませてから、姉一家と一緒に大谷本廟へ。喪主として気のはるような儀式もなかったせいかお骨とお別れする時は今までで一番寂しかった。
子どもの居ない私は、親戚や友人達からえらく心配されている。
私と同じ世代の友人知人は「なんで義姉さんが義母さんの世話をしないの?!引き取ってもらったらいいやん!」と言う。でも、同じ状況を経験している伯母は「結局、今のままでおらんとしかたないわなぁ・・・」と。親と同じ世代の人は「義理を立てろ」とアドバイスしてくる。
最大の課題は相続。義姉が介入してきてるのでややこしくなっている。このままだと義姉に仕切られてしまうなぁ。
そして今後の心配の種は義母の認知症。薬を拒否するので進行を食い止めることも出来ず、またデイケアの方も拒否なので、刺激もないし、私の留守中に何かが起こる可能性も高い。
頭が痛い・・・。
でも、元気です^^
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〜私〜
夫が亡くなって一ヶ月。今でも夜、布団に入ると心臓マッサージの騒然とした雰囲気が頭の中で甦ってなかなか眠れないことがある。夫は仏になり、やっと楽になったのだ。生きていても何も楽しいことなどなかったのだ。家族のために8年も生きていてくれたのだ。・・・そう思うと「ごめんね・・・・」という言葉ばかり出てくる。
仕事には早々に復帰した。レッスンをしてると気持ちが切り替わって別の人格になるような感じ。仕事がなかったらストレスが溜まるばかりだったと思う。もうすぐ大人の生徒さん達のサロンコンサートがある。頑張らなきゃ。
〜義母〜
毎日、位牌の前でグズグズ言っていたが、少し落ち着いてきた。あんなに義姉のことを怒っていたけど、夫の死をきっかけに復活。しかし、義姉が「うちで一緒に暮らすか?」と言っても「行かない。ここでねねこさんと一緒に暮らす。婿さん死んだからって何も家を出て行かんならんことないで」と。
また義母の話では、私が義姉にお金を貸した日に「お母さん、家は私(義姉)に譲るって遺書書いておいて」と言いに来ていたことが分かった。その時に義母が「私、手が震えて字が書けない」と言うと「そしたらEちゃん(夫から見て姪)に書かせるから!」とも言ったそうな。驚いた・・・。そして、今回、義姉はその件で義母に謝ったのだそう。まぁ、もう遺書がなくても法律上、義母名義の家は義姉が一人で相続することになるものね。
〜介護仲間〜
病院に支払いと挨拶に行ったら、同室のKさんはじめ、介護仲間の人たちは夫が亡くなったと聞いて「そんなアホな−!!」と本当に驚いたそうだ。みんな「Nさん、いないけど、どこのお部屋に替わられたのかしら?」と思ったらしい。Kさんは、その夜、ショックで眠れなかったとおっしゃるし、夫よりちょっと前に亡くなったMさんの奥さんもたまたま挨拶に来てみたらうちの夫が居ないので、もの凄く驚いたらしい。またAさんは、わざわざ番号を調べてお悔やみの電話をかけてきてくださった。
そのAさん。「夜勤は看護師とヘルパーが一人ずつっていうのがねぇ。結局のところ人手不足。見回りもちゃんとしてくれているのかどうか・・・。○田さんもいなくなるし、Nさんもいなくなるし・・・お二人とも急だったしねぇ・・・。これからどうしたものかと考えてますよ」そんなこと言うような人じゃないんだけど。夫が急に亡くなったのがかなりショックだったらしい。そして「私に出来ることなら何でも力になりますのでね、何かあったら言って来て下さいね!」と名刺をもらった。
〜親戚〜
遠方だったりご高齢だったりで、四十九日に来てくれるのが義姉一家と弟夫婦だけになってしまった。お葬式だけは頑張って来て下さったけど、あまり無理に言えないし・・・。叔母(離婚した義父の弟の嫁)は「ごめん。本当にごめん。私はな、ねねこさん、あなたに悪いと思うだけや。これからまだ苦労が続くと思うとなぁ・・・何かあったら何でも言ってきて!」
〜友だち〜
喪中はがきを出した。すぐにお悔やみの電話が何件かかかって来た。中にはすでに夫を亡くしている友人もいる。阪神大震災で自宅も店も全壊。その後、夫を亡くしたR子さんは自営業なのだが、今年いっぱいで店を閉める決心をしたそう。そのR子さんの話だと、別の友だちは借金で裁判をいくつか抱えてるとか?みんな大変だw
〜夫の仲間〜
珠算協会つながりの先生(歳は20近く上だが・・・)に用があって電話した。義母のこともよく知っている人だが、夫のことは「純真無垢なぼんぼん」だとおっしゃる。そして、お葬式での義姉の様子を見て「えらい母親をいたわっているように見えるけど・・・なかなかしたたかな人や。昔から知ってるけどあまり話したことないわ」分かるんだなぁと思ってびっくりした。
で、お葬式の帰り、先生方で私の先々が大変だ・・・みたいなことを話していたそうだ。「私はなぁ、あなたに、これからは自分の人生を大切にしなさいと言ってあげたい一方で、義理を欠いたらあかんで・・・とも言ってあげたい。私も姑を最後まで看たけど、亡くなった時は、それはそれはさっぱり!した気持ちになりましたよ。あぁ、これで嫁のつとめを果たしたと思いましたね」女同士にしか出来ない会話だった。
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11/1(金)
仕事の前に覗いてみたら、何と熱発!そけい部と頭、脇と3ヶ所クーリングだからかなり高熱だ。顔を近づけただけで熱い。8度台だな・・・。(あとで聞いたら8度2分だったそうだけど、もっとあるように感じた)
熱は昨日の夜かららしい。一昨日の痰がひどかったし、息が2日ほど荒かった。めったに熱を出さないから心配だ。
仕事の帰りに覗くと・・・あぁ、下がってきたなって感じ。一先ずホッとして帰宅。
11/2(土) 肺炎っぽい。検査は連休明けになるようだけど、粘い痰が多いのと、呼吸がおかしいのとで、抗生剤の点滴と吸入が一日3回となった。午前中の熱は6度台。夕方になると上がってくるかも?
酸素はちゃんととれているそうだ。保湿のために酸素マスクをつけてもらっていたけど、ひもの摩擦で耳の後ろが荒れてくるので、やっぱり夜だけにしましょうってことになった。
ここ数年、安定してたのでびっくりだ。酸素がとれてるので、今のとこは大丈夫だと思うけど、呼吸はかなり荒い。
レッスンがあるので早めに帰宅。
11/3(日)臨終 午前4時45分頃、電話が鳴った。起き上がって電話を取る。自分でもびっくりするくらい即座に覚醒した。
ちょっと慌てた様子で「こちら○○・・○病院(噛んでいた)ですが、ご主人が急変して危ないんですわー!来られますか?」とヘルパーのMさんらしき声。「行きます」そう答えてすぐに切った。
義母はもう起床していたが、補聴器を付けていないはずなので、メモに「Kちゃんが急変して危ないと電話があったので行ってきます」と書いて渡す。びっくりした表情をしたけど、8年前から覚悟は出来ているので、うんうん・・とうなずいていた。私が玄関で靴に履き替えて、出ようとすると、涙声になって「気をつけて行ってね・・・」と言って、ウーウー泣き出した。背中をさする。夫の闘病生活の面では一番の戦友だ。
思ったよりは冷静に病院に向かっていたと思う。今まで危ない状態に陥っても何度も乗り切ってきた。今度も乗り切ってくれるにちがいない。そんな気持ちがあった。
エレベーター前でヘルパーのMさんが待ち構えていた。「部屋の外で待っていて下さい」と指示。病室からは「まだ来ないの−?!」「いないみたい;;;」「何でいないのよ−?!」緊迫した声が聞こえてくる。誰がいないのかよく分からないけど・・・。
ベテランっぽい看護師が病室に入っていった。見たことがない人だ。病室を覗くと、4〜5人のスタッフが夫を囲んでいた。心臓マッサージをしている。
落ち着かない・・・。
ヘルパーさんが持ってきてくれた椅子に座ると、足がガタガタ震え出した。
今回はちがう・・・。駄目なのかもしれない。
5時10分、当直の医師が病室から出て来て、話。
「4時の見回りの時に、呼吸がおかしかった。通常はそれで見回りは終わりだが、4時半にもう1度見に行くと呼吸をしていなかった。すぐに心臓マッサージを始めたが、既に30分経過している。10分以内に蘇生出来ないと厳しい。これ以上続けると心臓に負担がかかる。確認しようと思う」そんな内容だった。
確認・・って・・・?
病室に通された。
「Kちゃん・・・来たよ・・・Kちゃん・・・」
頬をペチペチ叩いた。何の反応もない。
「起きて!起きて!」
モニターの波形が見たこともないくらい乱れていた。心臓マッサージのせいらしい。
「来たよって言ってるのに!!起きて!!Kちゃん!!Kちゃん!!」
微動だにしない。
もう・・・受け入れるしかないんだね。
「わかりました・・・・」
「5時15分でした」頭を下げて部屋を出る医師。
あっけなかった。
Kちゃん、死んだんだ・・・?死んだのね?
ボーーッとして、涙も出ない。
義姉と実弟に連絡。自宅に何度かけても義母は出ない。まさかこっちに向かってるなんてことないでしょうね?亡くなってから2時間は病院を出てはいけないらしいので、一度帰宅することに。結局、私が電話の受話器をキチンと戻さなかったから繋がらなかったと分かった。よほど慌てていたらしい。
間もなく義姉が到着。荷物を頼む。
きっちり2時間後の7時15分、葬儀屋がお迎えに。
病棟を出るときに、普段はあまり愛想のよくないヘルパーさんが「奥さん一人ちがうよ。私も13年前に・・・。頑張ってね!」と目をウルウルさせて見送ってくれた。
死亡確認してくれた医師は主治医ではないし、病院を出るときにお見送りしてくれた看護師も病棟のナースではなかった。
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救急車で搬送されて以来、8年と37日ぶりの帰宅。義母の珠算教室(土間)だったところを、フローリングの部屋に改装していたので、そこに寝かせてもらうことにした。「そろばん教室やめたらここに自分の書斎作るねん」と言っていたので。 間もなく実弟が、次に夫の叔父一家、甥一家、姪が駆けつけてくれた。義母の親戚は、みな九州なので連絡は入れないことにした。
義母は家族葬にして欲しいと言う。私は普通にしてあげたいけど、義姉も「もう現役退いて長いんだから家族葬でいいのとちがうか?別にそれがかわいそうやとは思わない」実弟も「いいんちゃうか」と言うので「じゃ・・・家族葬で」と言うことになった。
お寺さんの枕経。すでに築地本願寺で法名をいただいているので、それをお知らせする。
夜、夫の横に布団を敷いて8年ぶりに並んで寝た。
静かで、穏やか。何時間経っても体交もなければ吸引もない。
楽だね・・・よかったね・・・。今まで、毎日毎日、吸引との闘いでしんどかったね。命をかけた手術、死の淵をさまよいながら呼吸器を付けたまま過ごした2週間・・・つらかったね。もう楽になったんだね。8年もしんどい思いさしてごめんね・・・。生きてても何も良いことなかったよね。8年も私のために生き続けてくれて本当にありがとう。
一睡も出来なかった。
11月4日 通夜 納棺師が着替えをして顔を整えてくれた。最後まで普通に元気にしていたせいか、顔色も良く、あまりやつれた感じがない。式章をかけて、一番上には未完成だが西国33ヶ所札巡りの観音様掛け軸(表装していない)をかぶせる。
棺にはギタレレ(本当はギターを入れたいけど大きすぎる)と楽譜、仏教の本などを入れた。CDやビデオなどは入れさせてもらえなかった。でも自宅でゆっくり納棺してもらえて良かった。
近所の人に見送られて葬儀会場へ。
家族葬といっても会場は30人もはいる広さ。極々親しい人だけに連絡したけど、始まってみたら、寂しくてかわいそうで・・・。会社の社長、いつも見舞いに来てくれていたIさんとO君、私の所属していた音楽事務所のマネージャーさんの4人だけ。
義母は「さみしい・・・」義姉も「今からでも連絡したらどう?」えっ・・・。
通夜のあと、義母だけは自宅で休ませることになって義姉と甥が送っていった。
ガラーンとした会場で考えた。やっぱり今からでも連絡しよう。珠算協会の人なら午後からの仕事だから来てくれるのではないか。もっと連絡したいけど、スマホに登録していないので仕方がない。
しばらくして、前の会社のO君が、そのあと私の同僚だったM先生が来てくれた。
そしてお線香の番をしていたら、10時頃、2人の人影が・・・。「遅くにすみませんー!どうしても会いたくて−!」おぉ〜!義父(珠算協会の会長をしていた)のお弟子さんだった先生が2人、駆けつけてくれた。夫のことを、子どもの頃から知っているお二人と思い出話で賑やかに過ごせた。そうだよ!これがお通夜だよ!
11月5日 葬儀 昨晩、急遽連絡をいれたので、協会の人や部下だった人、友だちも来てくれて賑やかになった。
「長いことよく看てあげたね」と来る人来る人言ってくれたが、「よう8年も看てきたね、あの親を!」には苦笑した。やっぱり義母は有名だなぁ。
「挨拶は、みなさんに話したいと思うことを言えば良いですから」と担当の人にアドバイスされたので、お通夜の時も会葬の挨拶も、お礼のあと、今の気持ちを中心に話した。
夫は仕事人間ではあったけど、多趣味で、ギターを弾き、将棋は段持ち、休日は山登り、仏教にも造詣が深かった。仕事においても趣味においても充実した日々を送っていたが、53歳で突然の病に倒れ、手術11回。そのたびに同意書にサインをして無事に戻ってきてくれるよう祈る日々。治療が終わってからも意識が回復せず8年間寝たきりで、その間、毎日病院に通い続けたが、一日でも長く生きて欲しいと思っていたので少しも苦にもならなかった。
寝たきり生活というのは決して穏やかなものではなく、毎日が吸引との闘い。食べることも出来ず、意思の疎通も出来ない状態で本人はとてもしんどかったと思う。
病院から戻った晩、8年ぶりに布団を並べて休んだ。静かで穏やかで、楽になったのだと思った。今は、8年も家族のために生きていてくれて本当にありがとうと言う気持ちだ。
・・・そんな内容。
いよいよお別れ。火葬。そしてお骨あげ。
頭蓋骨に穴が空いていた。手術のあとだね・・・。しんどかったね。本当に本当に良く耐えてくれました。ごめんね。
帰宅。祭壇が東向きになってしまうので、お仏壇に入るまでの仮住まいということで、やむを得ないでしょう・・・と葬儀屋と話していたら、義姉も戻ってきて、祭壇を見るなり「そっち東でしょう?向きが反対」と指摘された。落ち着かない日々の始まり・・・という気がした。
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