Kathmandu Journal

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マオイスト情報

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 今日正午から、国家人権委員会でマオイストによるカリコット郡ピリ軍キャンプ襲撃に関する調査結果を公表する記者会見があった。マオイストは今年4月にルコム郡カラの軍キャンプ襲撃で大敗北を喫したあと、4ヶ月ぶりにピリで大規模襲撃を行った。メディアのなかには、この襲撃はこれまでのマオイストの襲撃のなかで最も成功したものだと伝えるものもあった。実は、以前から、マオイストの大規模襲撃に興味をもち、襲撃のニュースには特に注目して情報収集に努めてきた。襲撃の規模で見るかぎり、これまでで最大規模の襲撃は昨年3月のミャグディ郡ベニへの襲撃だった。ベニ襲撃がどうやって行われたのかに関しては、現地に2度赴いて、英語で長い記事を書いた(記事“Realities and Images of Nepal’s Maoists after the Attak on Beni”はSocial Science Baha(Himal Association)が出版する『European Bulletin of Himalayan Research』の2004、Autumn27号に掲載)。ベニ襲撃には、彼らが‘ボランティア’と呼ぶ一般人約2000人を含めて、約6000人が襲撃に参加している。ポカラから、わずか車で3時間のところにあるベニ・バザールを、マオイストは11時間にわたり占拠した。その意味からすると、ベニ襲撃もある程度(特にパブリシティの意味で)成功したと言える。しかし、失ったもの(マオイスト側は連隊副司令官2人を含む約100人の死者を出した)と獲得したもの(軍兵舎を落とせなかったために、武器は警察署から奪ったものだけだった)をはかりにかけたら、この襲撃はマオイストの勝利とはとてもいえないものだった。

 一方、今回のピリ襲撃では、マオイストは軍キャンプにあった武器・弾薬を強奪。たまたま襲撃の直前にスルケットからヘリコプターで運ばれてきた物資まで奪い去った。国家人権委員会のレポートによると、治安部隊側の死者は55人、4人が行方不明。マオイスト側の死者はマオイストの主張によると26人、地元の人によると41人のマオイストの遺体が見つかったという。襲撃後、60人が拉致されて、現在、彼らの解放のために赤十字国際委員会がジャジャルコットに行っていることは以前に書いた。治安部隊側の死者のうち、22人は頭部を撃たれていたという。そのうち9人は遺体が重なってあったことから、降伏後に射殺されたのではないかと軍側が疑っている。ピリ・キャンプに駐屯していたのは、スルケット・ジュムラ間の道路建設に従事する‘非戦闘員’だった。とはいえ、一般的な訓練は受けて武装していた兵士だったという。キャンプには228人の兵士が駐屯していた。

 ベニ襲撃では、治安部隊側はマオイストが襲撃をしかけてくる情報をつかんでいた。実は、日にちまでつかんでおり、逆にマオイスト側がこれを知って、襲撃日を2日前に繰り上げていた。一方、今日の記者会見で聞いた話しによると、ピリでは、隣りの郡のバジュラの郡庁所在地を襲撃するという噂があり、そちらに追加の兵士を送っていたという。噂は、陽動作戦のために意図的に流されたのだろう。襲撃の情報がリークしていなかったこともあるのだろうが、マオイストがこの襲撃で勝利した最大の理由は、やはりキャンプの地形的な要因だったのだろうと想像がつく。キャンプは裏側に険しい山が迫り、前には400メートルの深さの崖があったという。キャンプは襲撃の11日前に設置されたばかりだった。しかも、キャンプが設置された地域は、マオイストのbase areaのど真ん中にあり、マオイストは「われわれの地域に軍のキャンプを作るな」と脅していたという。まさに、「襲ってください」といわんばかりの場所にキャンプを設置したわけだ。先週、私的な夕食会で同席した外国人の軍事専門家も、「世界中でも、あんな場所にキャンプを設置する軍など、どこにもいないだろう」と、軍側の誤りを指摘していた。それにしても、これまで、たくさんの襲撃を経験しているにもかかわらず、治安部隊側はほとんど経験を生かしていないのだろうか。


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