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8月9日のカリコット・ピリ襲撃で捕虜として囚われた王室ネパール軍の60人が昨日、ジャジャルコット軍で解放された。これに関連して今日、マオイストの“ベリ・カルナリ自治共和国政府”がE−メールで送ってきた声明文によると、「13日に、ICRC(赤十字国際委員会)の極西地区代表率いる6人のチームを人民のあいだで迎え、14日朝、捕虜を引き渡した」とある。引き渡した場所はジャジャルコット東部と伝えられているが、おそらく、大きな集会を開いて、捕虜とICRCの人たちに赤いティカと花輪をかけて送り出したのだろう。彼らが“ゲスト”を歓迎・送迎するやり方は私も何度か経験した。この付近には、「人民解放軍の大部隊がいた」と一部メディアが伝えているが、あるいはトップ・レベルのリーダーもいた可能性がある。捕虜たちは今日夕方までにネパールガンジに戻る予定らしい。
マオイストがdistrict(郡)レベルの党組織を一新しているという噂を聞いた。これが全国レベルで本当に行われているのであれば、党首プラチャンダがDr.バブラム・バッタライとの党内闘争のあと、自らの支持基盤を固める目的で行っている可能性がある。この闘争が表面化した後、郡レベルのバッタライ派のマオイスト・リーダーの一部が自分の地域を離れてインドやカトマンズに逃げているという話しも聞いた。毎週火曜日にE−メールを通じて送られてくる彼らのマウス・ピース「ジャナデシュ」には、バッタライの降格処分が取り消されたと公表された直後、しばらくのあいだ毎週のようにバッタライの書いた記事が掲載されていたが、ここ2,3週間ほど、また彼の記事が消えてしまった。マオイストが党内を仕切るやり方も、結局は国王による絶対王政と同じだなと思う。国王も自分に忠誠を誓う人間をさまざまなポストに勝手に任命しているが、プラチャンダのやっていることも大して変わりがあるとは思えない。バッタライとの間の闘争の原因となったのも、プラチャンダが党内の三本柱(党、人民解放軍、人民政府)の長になり総権力を自分の手におさめようとしたからだった。毛沢東が中国の‘国王’だったように、プラチャンダはネパールのマオイストの‘国王’と言える。そう考えると、ネパール会議派にもギリザ・プラサド・コイララという年老いた‘国王’がいる。‘unity’を理由に‘王’を求めるのはネパール人の特性なのが、それとも人間の本性なのだろうか。
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