|
「絶対王政」とは何なのかを、表と裏から目の当たりにした1日だった。まずは、22日の前半に経験した「表」の部分から。ギャネンドラ国王夫妻は22日午前10時からラリトプル市のクプンドルからプルチョーク、パタンドカ、マンガルバザールへと行き、さらにそこからジャワラケルのマヘンドラ・ユバラヤに歩いていく予定だった。そのために午後1時までメイン道路は封鎖されると伝えられていた。自宅のあるクプンドルから歩いてヒマラヤ・ホテル前を通ると、100メートルおきに国王を歓迎する赤い横断がはられていた。パタンドカを入ると、国王が通るルートにあたる道路は紙の旗で飾られ、道々で公立校の生徒たちが国旗や花を手に、すでに待機していた。マンガルバザールに行くと、入り口の横にある寺院が報道関係者用として決められており、そこで外国人観光客を含めた人たちが国王の到着を待った。
しかし、11時になっても、12時になっても、午後1時になっても国王夫妻は到着せず、午後2時すぎになって、ようやく姿を現した。地方での市民歓迎集会では、国王はたいてい軍服姿だが、今日はベージュのクルタ・スルワル姿だった。国王よりも前に「ラジャバディ(国王派)」が現われて、女性が1人で「国王は誰のもの?国民のもの!」「国民は誰のもの?国王のもの!」というスローガンをあげるが、これに従う人はあまりいなかった。観客のなかで腕をあげてスローガンをあげる人もいたが、少数であるためにとにかく目立つ。隣にいたカメラマンが、思わず、「マンダレ(国王派のギャング)が姿を現した」と一言、口にしていた。国王は何とかコメントをとろうと身体を乗り出した報道関係者とも言葉を交わさず、一般市民ともあまり話さずに、花を受け取りながらマンガルバザールを歩いて行った。
結局、国王を一目みようときた市民も、学校から強制的にかりだされた生徒たちも、4時間近くを待たされた。昼食の時間をはさんだ時間帯ということもあり、皆空腹を訴えていた。学校の生徒が多いのが目立った。大量動員の手段として最も容易な学校を利用するのは、マオイストも国王も同じである。国王が歩いた道路は花などのゴミで汚れていた。これだけの人を動員して、時間を使って、こうしたパフォーマンスをすることにどんな意味があるのだろう。力の誇示以外に何か意味があろうのだろうか?
|