Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

 昨夜のネパールガンジ襲撃では、これまでに少なくとも8人(一般人1人、警官2人、軍兵士1人、マオイスト4人)が死亡したことが明らかになった。1月初めにマオイストが一方的停戦を破棄して以来の襲撃パターンを見ていると、彼らの主要部隊が中央ベース・エリア(ラプティ県)から特別中央コマンド(西はゴルカ郡から東はラメチャップ郡の間の地域。カトマンズ盆地を含む)にかけての地域、特に平野部と山岳地帯のボーダー付近に集中していると考えられる。それほど大きく報道されなかったが、彼らの新戦略を探るうえで、重要な交戦が21日夜から22日にかけて起きている。マクワンプル郡ファファルバリで起こった交戦である。22日夜、私はこの交戦について、カブレ郡のある村でマオイストの機関紙「ジャナデシュ」の記者から聞いて知った。

 この日の正午すぎ、私は1人でカトマンズを発って指示された場所に向かった。目的地に着いたのは午後6時すぎで、指定された場所で私を含めたジャーナリストのグループを待っていたのがこの記者だった。着いてから知ったのだが、私のほかに地元新聞や週刊誌・全国紙など、10人近い記者が“招待”されていた。この“ジャナデシュ”の記者は、この夜、「カトマンズ盆地の近くでこれだけ大規模な交戦が起こったのは初めてだ」とファファルバリ交戦について話し、その後、一般人2人、マオイスト側に21人、治安部隊側に60人を超える犠牲者が出たと話した。カトマンズに戻ってから23日付けの新聞を見ると、政府側は「マオイスト22人、一般人2人、治安部隊6人の死者が出た」と発表している。交戦はマオイスト側が仕掛けたものだった。ファファルバリはカマル・タパ内務大臣の実家がある村だ。治安部隊は、マオイストの大きな武装部隊がシンドゥリ、ラリトプル、マクワンプル、ラウタハトの境界付近に集結しているという情報を得て、掃討作戦に出かけたと伝えられている。これをマオイストの人民解放軍第3師団が迎え撃ちしたようだ。マオイストによると、交戦は8時間続いたという。犠牲者の数からしても、大規模な交戦だったことがわかる。

 さて、23日にマオイストの集会が開かれると聞いていたのだが、指定された村にはすでに、集会に参加するために大勢の人が集まっていた。ほとんどが学校の教師で、「強制的に参加させられたのですか?それとも、自分の意思で来たのですか」と聞くと、「興味があるから見に来たのだ」と応えていた。さらにしつこく「なぜ来たのですか」と聞くと、「アグニ・サプコタが演説すると聞いたからだ」と答えた人もいた。“カンチャン”ことアグニ・サプコタは、2001年に当時のデウバ政府とのあいだで開かれた最初の対話のマオイスト側対話団メンバーで、東ネパールのリーダーのなかではトップ・レベルのリーダーだ。シンドゥパルチョーク郡で最初の高校を設立した教師として、この地域では一般の村人のあいだで、今でも尊敬されている人物である。サプコタには、2001年10月の停戦中に、カトマンズでインタビューをしたことがあった。今回会うことができれば、5年ぶりの再会ということになる。私たちは、22日の夜を、ガウリシャンカルやジュガル・ヒマールが見える峰にある小さなバザールですごした。

写真はカブレ郡の村で、23日に開かれた集会のために建てられたマオイストのゲート



プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事