Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 昨日は午前中、国連高等人権弁務官事務所(OHCHR)の記者会見に行き、夕方から政府とマオイストの和平交渉が開かれたゴカルナ・リゾートへ行った。交渉が午後10時まで続き、帰宅が遅くなったために、更新をする時間がなかった。

 交渉の内容は、実はほとんど事前に決まっていたと聞いている。停戦中の行動規範の内容について、意見の相違があったようだが、最終的に25ポイントの行動規範が決まり、交渉後の記者会見で明らかにされた。それに以外には具体的な発表は何もなかった。マオイスト側交渉団の3人(クリシュナ・バハドゥル・マハラ、ディナナス・シャルマ、デブ・グルン)には以前にも何度か会っている。特に、デブ・グルンとは3月にロルパに行ったとき、一週間、タバン村でバレーボール大会を一緒に観戦した。タバン村では女性の武装マオイスト10数人がグルンのガードとして、どこに行くにも一緒だったが、昨日は西ネパール出身の男性ガードがついてきていた。マハラには2001年の最初の和平交渉以来、何度かインタビューをした。今年に入ってからも、メールや電話を通じて何度かコンタクトがあった。直接会ったのは2003年以来だが、また太ったようだ。シャルマとは一度しか会ったことがないが、昨年、バブラム・バッタライが降格処分を受けたときに、バッタライ派のシャルマも降格されている。記者会見で、マハラは盛んに「今回の交渉は前回とは異なる」ということを強調していた。「今回は制憲議会の選挙について、すでに政府側と合意が成立しているからだ」とその理由を話していた。「再び内戦・流血の事態に戻ることはない」とも言っていた。今回の交渉の成功を最も望んでいるのはマオイストだ。

 OHCHRの記者会見は、マハラジガンジにあるバイラブナス大隊の兵舎で、組織的な拷問と殺害が起こっていたことを示す報告書を公表するものだった。公表に際しては、軍参謀長から阻止の試みがあったと聞く。内容は非常にショッキングなものだった。軍は2003年9月から12月のあいだにマオイストの容疑で137人を拘束、バイラブナス大隊兵舎に勾留しているときに、全員に拷問をし、このうち少なくとも3人の死亡が確認され、49人の行方が今も不明となっている。OHCHRは同兵舎に勾留されていた複数の人たちから証言をとっているのだが、全員が勾留中(最大260日間)、24時間目隠しをされ、手錠をかけられて、トイレに行くときと朝の短時間の運動の時間以外は、床の薄い布団に寝かされていたという。その間、ほとんどの人が何度も、汚水に入れられたり、鉄パイプで殴られたり、電気ショックをかけられたりする拷問を受けている。8人の女性の勾留者は、性的拷問にもさらされていたという。2003年12月20日の深夜には、大勢の人がトラックに入れられてどこかに連れ去られ、それ以来、行方が不明となっている。証言者は彼らが殺害されたものと信じている。そのなかには、マオイストとは関係のない人やマオイストの家族も含まれているという。マハラジガンジの兵舎における組織的拷問・殺害はバウラブナス大隊の指揮官のもとに行われたものだが、指揮官の兄弟で軍の中佐が、2003年8月に、マオイストが停戦を破棄した直後にカトマンズ市内で暗殺されており、マオイストに対する個人的な怨恨がその背後にある可能性もある。実は、死亡が確認された3人のうちの一人が、私の知り合いの夫だった。彼は2003年9月にラリトプルの自宅から拘束され、半年後に家族に「病気で死亡した」という知らせが入り、家族は遺体を引き取りに行ったのだが、体中に拷問のあとがあったと、家族は話していた。彼はマオイストではなかった。この国の軍がどれだけ酷いことをしてきたか、これまで表に出てくることはほとんどなかったが、この報告書はこれを事実として公表した初めてもので、非常に重要な意味をもつ。OHCHRのサイト(http://nepal.ohchr.org)にレポートが公表されているので、是非、ご覧いただきたい。

写真は昨日の記者会見の様子;右から、マオイストのデブ・グルン、ディナナス・シャルマ、クリシュナ・バハドゥル・マハラ、政府側のクリシュナ・シタウラ内務大臣



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