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ある人を通じて、思いもかけぬ人から手紙が届いた。以前にも書いたことがあるが、ロルパの東に接するピュータン郡ナリコット村に住むカグラル・グルンさんである。80歳代半ばになるグルンさんは1950年のラナ家打倒の武装運動に参加した元インド軍グルカ兵で、“マオイストの首都”ロルパ郡タバン村をコミュニストの村にした1人でもある。グルンさんは今から50年前に、ピュータン郡出身の極左系コミュニスト、モハン・ビクラム・シンとともにタバン村を訪れて、バルマン・ブラ・マガルらを説き伏せて、タバンに最初の農民組織を作った。当時、ロルパ郡は存在せず、タバン村はピュータン郡に含まれていた。その後、1958年に開かれたネパールの最初の総選挙のとき、タバン村の村人は全員がネパール共産党から立候補したグルンさんに投票している。グルンさんには昨年4月、マオイストの人民政府に関する英文レポートを書く際に、ピュータンを訪れたときに初めて会った。真っ直ぐと立つことはできないが、杖をつきながら早足で歩くし、山頂近くにある家の近くの畑で農作業もする。「次にカトマンズに来たときに、バルマン・ブラ・マガルと会わせる」と話したら、私が帰った一週間後に上京してきて、連絡をくれた。その日のうちに75歳になるバルマン・ブラ・マガルさんの家に連れていった。40年ぶりにバルマン老人に再会したグルンさんは、「マオイストはわれわれから生まれたのだ!」と元気に話していた。さて、グルンさんは手紙のなかで、「今回もネパールに変化が訪れないのではないか」と現在の政治状況を心配していた。1950年革命の数少ない生存者であるグルンさんが元気なうちに、変化が訪れることを願いたい。 |
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50年の時はインドのグルガ兵が、国境越えて侵攻した話し聴いてます。 村の中核はグルガと愚考してはいました。海外みている人達です。 前世紀の様な社会に批判的為らざる得ません。自由な村での自由な選挙で 変革されんこと祈念しております。日本の戦後英軍として駐留していたグルガが歎いていたこと忘れません。体勢が桎梏なのですから。
2006/9/19(火) 午後 7:33 [ 怒 ]
勝手に解釈していただくと困るのですが、グルンさんはこのときには、すでにインド軍を辞めていました。インドのグルカ兵が50年にネパール側に侵攻したという話しを、私は聞いたことがありません。誤解されては困りますが、グルンさんの話はグルカ兵とはまったく関係ありません。
2006/9/19(火) 午後 8:51 [ nep*l*jo*rnal ]
ゲリラがインド側から入り、ラナ家が屈服しています。王政復古と言われている事件です。民主化闘争の時も、インド大使館のグルガ侵攻の電話が 体制側に最大の圧力になりました。印ネ国境のグルガ連隊の存在は圧力 です。いつでも私服に替わりうる連隊です。ゲリラ活動とされています
2006/9/20(水) 午前 6:53 [ 怒 ]