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マデシ暴動に関連して、今日発売の「Himal」に興味深い内容の記事があった。シラハ郡ラハンでの暴動は、明らかにマオイストの発砲により点火したものだが、その後、ジャナクプルやビルガンジなどの人たちの感情を煽った原因の一つに、あるVCDがあったというのである。昨年12月にネパールガンジで起こった暴動を撮影したビデオのCDで、警官隊の目の前で明らかにパハリ(山岳地帯のネパール人)とわかる顔つきの人たちが、マデシが所有する店を襲って破壊しているシーンを映したものだという。このCDが東部タライから中部タライに出回っており、今月21日にはサプタリ郡カンチャンプルで500人を集めて上映会まで開かれたのだという。このCDはネパールガンジ暴動の直後から話題になっていたもので、事件の直後にネパールガンジに行った私の友人も当地で見ている。「Himal」の記事には、このCDを見たマデシ・コミュニティの人が「このCDを見たマデシ・コミュニティーには間違いなく火が付く」と話したと書かれており、何者かがこのCDを意図的にタライに配った可能性を示唆している。
今日開かれた8政党会議は、「連邦制への移行」と、「人口に比例した選挙区の設定」で合意し、明朝、コイララ首相が国民にこの決定を伝えることになっている。今回の暴動の真相は、現地に行かないと不明なところがたくさんある。今日はビラトナガルで警官の発砲により、一人死亡しているが、この男性はマオイストのマデシ自由戦線の地元リーダーであると同時に、マデシ・ジャナ・アディカール・フォーラムのメンバーでもあったと伝えられている(Kantipur FM)。このフォーラムはもともとマオイストのシンパでもあったウペンドラ・ヤダフが1998年ごろに結成したグループだが、それほどメンバーが大勢いるわけではない。以前もブログに書いたが、ヤダフは2004年にニューデリーでマトリカ・ヤダフとスレシュ・アレ・マガルがインド警察に逮捕されたとき一緒に逮捕されたが、二人とともにネパール側に引き渡されずに釈放された人物だ。当時の週刊誌で読んだ記事によると、ヤダフはパンチャヤト時代からの「共和制支持者」であるラムラジャ・プラサド・シンと近い関係があり、当時インド警察にコネクションがあったシンの働きで釈放されたと言われていた。その後、ヤダフとマオイストの関係は切れている。(このときの逮捕の具体的な様子を聞くために、私は当時ナックー刑務所に勾留されたいたスレシュ・アレ・マガルに会いに行ったことがある)。70代半ばのシンは、昨年の政変後ネパールに戻り、マオイストとも一時近い関係にあったのだが、平和協定に至る一連の動きについてマオイストが「妥協した」という見方をしており、最近はマオイスト批判までするようになっている。今日ふと目にした記事によると、今度は、カルナリ地方の人たちやヒマラヤに住むジャナジャティのグループまでもが自身の権利を求める声を上げだした。マオイストは最近、水面下で(報道もされていない)ジャナジャティ系の戦線や地域の党員に対して「政治トレーニング」を与える活動に忙しい。東ネパールのタライは、もともとマオイストの基盤が最も弱かった地域だが、マデシやジャナジャティのさまざまなグループが最近上げる声を聞いていると、暫定憲法作成時に、「マオイストも結局、自分たちの権利を守ってはくれなかった」という、一種「落胆」の反応も含まれているような気がする。もちろん、それだけではないが。何度も言うが、これは国王派が煽ったという単純な構造で起こった出来事ではないのだと思う。マデシ・コミュニティーのカトマンズの人たちに対する深く長い恨みの感情が爆発したと言ってもよい。今朝、FMラジオで聞いたジャナタントリク・タライ・ムクティ・モルチャから分派した元マオイスト、ズワラ・シンが、「軍にはモンゴル系の人ばかりが雇われ・・・」と、モンゴル系のジャナジャティに対する恨みともとれる発言をしていた。マデシに対する差別感情はカトマンズの住民を見れば一目瞭然だ。これは歴史的に深い根を持った感情の爆発なのだと思う。
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