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取材をしていて、何が楽しいといって、それはさまざまな人と出会えることである。パサンのように、何年も会いたい気持ちを持ち続けたあとに会ったときの感慨は、表現できないほどに深いものがあるが、たいていは偶然の出会いで、それでも強い印象を与えてくれた人がたくさんいる。ヤムナという女性も、そうした、私がときどき思い出すマオイストの一人である。彼女とは、2005年4月にピュータン郡の北部で初めて会い、2,3日間行動を共にした。20歳代半ばのヤムナは、ピュータン郡で活動するマオイストの文化グループを率いるコマンダーで、話しているうちに、彼女がロルパ郡タバン村の出身であることがわかった。11日間連続ゼネストの最中に、歩いてきた私に、ヤムナは細かい心遣いをしてくれ、とても助かった。
夕方、その日泊まることになっている民家に行く途中、私はヤムナといろいろな話をしながら歩いていた。彼女の落ち着いた雰囲気からはとても想像がつかなかったのだが、そのとき、彼女の夫が亡くなったばかりであることを知った。ヤムナは、やはりロルパ出身のマオイストである夫の死因について、「内部の事故」であると話した。すでに、私は、この言葉が「爆発物の事故」を意味することを知っていたのだが、それ以上詳しいことは聞かなかった。この夜、ヤムナと一緒に民家でミルク粥の夕食をいただいたあと(村では思いもかけないご馳走で、大変美味しくいただいた)、学校の校庭で歌や踊り、そして劇のプログラムを見物した。ほとんどの歌をアコーデオンを弾きながらヤムナが歌っていた。プログラムは夜中の12時すぎまで続き、私はヤムナのグループとともに、学校の近くにある民家に泊めてもらった。民家の家族と同じ部屋で、ふとんも何もない板ばりのベッドに、寝袋を敷いて寝るのだが、ベッドの下に鶏も同居しており、早朝から鳴きだしてほとんど眠れなかったことを思い出す。
この年の10月にロルパのタバン村を再訪したとき、私はヤムナと偶然再会した。タバン村を離れる日、川を渡って山を登りだしたところ、道の脇にある家の庭先から「ディディ!」と、こちらに向かって呼びかける女性の声がした。声のした方を見ると、ヤムナだった。彼女は腕のなかに小さな赤ちゃんを抱えていた。亡くなった夫の忘れ形見の娘だった。彼女が出産をしたばかりであることは、タバン村の人から聞いていたのだが、まさか、帰る日に彼女とその娘に会うことができるとは思っていなかった。彼女は出産のために村に戻ってから、党の活動を休み、育児に専念していたようだが、昨年3月にタバンを訪れたときには、娘の具合が悪くなり、ネパールガンジの病院に連れて行ったようで、会うことはできなかった。ヤムナと娘は今、どうしているのだろうか。
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