|
どうやら、ここ一両日中に、何らかの合意に達しそうだ。最大3政党(NC、マオイスト、UML)の党首は今朝、ネパール共産党エカタケンドラ・マサルの“プラカシュ”同席のもとに会合を開いて、マオイストの主要2要求について話し合った。先ほど、プラカシュがFMラジオで話したインタビューによると、3政党はすでに閉会している暫定立法府の特別議会を召集し、「暫定立法府は共和制を支持することを約する」という政治的公約動議を承認することで合意した。主要要求の一つとして、「暫定立法府で王制廃止・共和制導入を直接宣言すべき」と主張してきたマオイスト側は、譲歩をしたことになるが、もう一つの要求である「制憲議会の全議席を比例代表性で選ぶ」という要求に関して、コイララ首相が頑なに拒絶の意を示したために、プラチャンダ党首らは会合の席を立ち去ったと伝えられている。
トップ会談は明日、再開されることになっているが、30日に、比例代表制の候補者リストを提出する日が迫っているために(この日、マオイストは選挙事務所を包囲する抗議プログラムをすることになっている)、おそらく明日中にも何らかの解決策が出される可能性が高い。
マオイストは和平交渉の席で、常に「レベルの高い要求」を掲げて、「より実現性の高い解決策」に譲歩するというポリシーをとってきた。「共和制宣言」に関しても、そのポリシーで応じたわけだが、よりテクニカルで実現が困難な比例代表制に関しても、譲歩をしないとは限らない。党員はともかく、指導層は今でも、なるべくリスクはとりたくないと思っている。
それにしても、コイララ首相がずいぶん柔軟になっているように見える。「何としてでも11月に選挙を」というサウス・ブロックの意図を反映しているのだろうか。サウス・ブロックの最近の“デザイン”に関しては、先日の週刊紙「サング」に面白い記事が出ていた。インドは今回の制憲議会選挙を通じて、何としてもマオイストを弱体化する意向なのだという。彼らの長期的・最終的な目的はタライをネパールから分離させることにあるのだという。
|
質問ですが、そのサウス・ブロックはタライをネパールから離して
シッキムやダージリンのようにしたいのでしょうか?
2007/9/27(木) 午後 10:22 [ puh*_yo*oh*ma ]
インドの意図はインドに聞いていただかないとわかりませんが、「シッキム化」が意図であろうと想像はできます。しかし、中国がそれを許すとも思えません。
2007/9/28(金) 午前 0:01 [ nep*l*jo*rnal ]
歴史的に見れば、タライはもともとは、インドの領地だったようです。19世紀初頭、インド平原に侵略したネパール軍が、一時期、支配しますが、当時、イギリスの植民地であったために、その侵略が原因で、グルカ戦争が勃発し、その後の休戦協定、セゴール条約において、ネパールは、侵略したタライ平原から、撤退、その見返りに、イギリスは、当時のお金で、年20万ルピーを支払うという約束が成されましたが、後にイギリス側は、その支払いを止める代わりに、タライ地方を、ネパールに与えたことになっています。
タライは、そういう因縁つきの地方です。ですから、インド側も、それなりの意図があると思います。
2007/9/28(金) 午前 0:04 [ hikaruno ]
「タライはもともとインドの領地だった」という話は、一体、どこから出てくるのでしょうか。「インド」というのは、どの国ですか?東インド会社、つまり英国のことでしょうか?1816年に東インド会社とのあいだで調印されたスガウリ条約で、当時のネパール政府はタライ一帯をイギリスに割譲することに合意しますが、イギリスは結局、西ネパール(今のバンケ郡から西)のタライのみを占拠し、中央・東タライはネパールに「返却」しました。1857年に起こったセポイの反乱鎮圧にネパール軍が貢献したご褒美に、東インド会社は1860年に東タライも「返却」しています。
2007/9/28(金) 午前 1:37 [ nep*l*jo*rnal ]
そうです。東インド会社、イギリス植民地時代のことです。インドの領地というより、あの時代にそっていえば、インド人が生活していた場所と言ったほうが、正しいかもしれません。
イギリスの身勝手な判断で、国境によって、村を分断されたインド人から見れば、どうだったのでしょうか。
そうしたことと、今のタライの混乱は、無関係とは、言えないと思っています。
私が、もし、インド人であるいは、インド系住民で、そこで、市民権、選挙権が、保障されてこなかったとすれば、どう感じるかと、想像してみます。ラナ専制時代には、タライ地方から莫大な収入をラナ家は、得てきました。そこには、悲惨なインド系住民、あるいは、タルー族の人たちの生活があったように思いますが、どうでしょう。
ネパールという国において様々の民族の利害関係が、複雑に絡み合っており、その絡みをほぐしていくのが、政治の仕事ですが、その怠慢な政治、政治家たちが、現在の混乱している状況を、作り出しているように思います。又、そうした認識が、ネパール人の中にないこと、お互いに理解しあわないことも大きな原因です。
2007/9/28(金) 午前 2:22 [ hikaruno ]
もう一つ、付け加えれば、サハ王朝時代のラナバハドール王が、インド平原へのインド侵略によって得た領土が、タライ地方では なかったのではありませんか。どっちにしても、タライ地方のイギリスとネパールのやり取りが、インド人の側の視点に立っていたとは、思えませんが。
2007/9/28(金) 午前 2:30 [ hikaruno ]