|
写真は、9月にロルパに行ったときに撮った郡庁所在地リバン。朝5時になると、バザールにある警察署の鐘が鳴り、暗いうちから、空手を習う子供たちの掛け声が聞こえてくる。内戦中は、リバン・バザールの周囲を二重の有刺鉄線が取り囲んでいたが、平和協定が成立してから取り払われた。リバンからカトマンズまでは夜行バスで「順調にいって」約20時間。私はたいていダン郡ゴラヒからジープかバスでくるために、まだ“直行”したことはない。
2002年6月に初めてリバンに来たときは、非常事態宣言が発令されており、政府はロルパのマオイストに対する“兵糧攻め”の目的で、米やビスケットなどの食料、乾電池や布靴などの日用品の外からの持ち込みを制限していた。米の値段がカトマンズの3倍くらいしたことを覚えている。バザールの食堂で食べるダル・バートも、ハイウェーの食堂のものよりも、20ルピーくらい高かった。最初に来たときには、バザールにある宿に空いた部屋がなかったために、郡開発委員会のゲスト・ルームに泊めてもらった。部屋の外には砂を詰めた袋を積み上げたポストに、毎晩警官が数人見張りで立っており、いろいろな話をしたことを覚えている。午後7時になると、“非公式の外出禁止令”が布かれ、バザールの道を歩く人は誰もいなくなった。二晩続けて、深夜、近くの山で爆音がし、すぐに警察署のサイレンが鳴り出した。マオイストが脅しで銃を撃ったり、手りゅう弾を爆発させたりして、リバンの住民、とくに警官を含めた治安部隊に心理的な脅威を与えているのだと聞いた。マオイストは常時、「リバンを襲撃する」という噂を意図的に流しているようで、役人や警官には、かなり心理的なストレスになっていたようだ。
2004年9月に、西ロルパのガルティガウン村に10日間ほど滞在したあと、リバンまで歩いていったことがあった。歩いて丸1日の道のりである。初めての道であるため、一緒に行く人を探したのだが、当時村人は、「マオイストの協力者」と疑われることを恐れて、警官や軍がいるリバンに行くことを避けていた。結局、郵便配達の人がリバンに戻るのを待って、一緒に歩いていった。この人ともリバンの手間で別れ、リバンに入るときには一人だったのだが、チェックポストの武装警察隊の警官が、外国人が一人歩いてきたのを見て驚いていたことを覚えている。どの村に行ったのか、誰と会ったのかなど、いろいろなことを聞かれたが、もちろん詳しいことは話さなかった。この警官と、夕食のときに、宿の食堂でたまたま再会したのだが、私が女であることを知って、再び驚いていた。“尋問”を受けたときには、どうやら私を男性だと勘違いしたらしかった。確かに、ショートカットで帽子をかぶっており、普通のネパール人男性よりは背も高いために、村を歩いていても、よく男性と間違われる。どうも、外国人の女性が一人でロルパを歩くなどとは、思いつきもしなかったらしい。
当時と比べると、リバンも大分“平和”になった。内戦中、バザールに漂っていた緊張した雰囲気はなくなり、人々の顔つきまで違ったように見えた。
|
興味深く読ませてもらいました。
最後の「人々の顔つきまで・・・」の一文が印象的でした。
やはり平和ですね。
2007/10/10(水) 午前 7:46 [ ぱっぱらオヤジ ]