Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 それにしても、今年の春は気温が高い。日曜日には、3月の気温としては最高の32度を記録したそうである。4月、5月と、いったいどれだけ暑くなるのだろう。憲法制定の期限まで残すところ、2ヶ月あまりとなったが、政界では「ポスト・コイララ」の新たな抗争がすでに始まっている。ネパール会議派内では、スシル・コイララとシュル・バハドゥル・デウバ、そして、ラム・チャンドラ・パウデルの3人のリーダーが、次期党首をねらって闘いを始めている。
 
ギリジャ・プラサド・コイララの兄で、ネパールで最初の選挙で首相となったビセスワル・プラサド・コイララ(B.P.コイララ)が1980年代に亡くなったときにも、後継者にはギリジャ・プラサド・コイララ、クリシュナ・プラサド・バッタライ、ガネシュ・マン・シンと3人の候補者がいた。しかし、B.P.コイララは3人に「トロイカ体制で党を率いていくよう」遺言を残した。つまり、3人の協力体制によりネパール会議派を率いていくよう指示を残したのである。このB.P.の遺志に従って、しばらくはトロイカ体制が続いたが、1990年の民主化後にギリジャ・プラサドは、ガネシュ・マン・シンをしだいに追い詰めて離党させ、さらに、クリシュナ・プラサド・バッタライを総選挙で敗退させて、党内の影響力を弱めるよう働いた。結果的に、ネパール会議派はコイララの独裁体制下に置かれた。
 
スシル・コイララとデウバ、パウデルの「ネオ・トロイカ」が仲良く協力してやっていけるか、それとも、ギリジャ・プラサド・コイララのように、誰か1人が突出してくるのかは、今の段階ではわからない。しかし、3人のこれまでの政治を見ていると、3人ともギリジャ・プラサドが築いたような党内の強い支持基盤ももっていないし、独裁体制を築くために相手を蹴落とすことができるほどの手腕があるとも思えない。おそらく、3人は相手を蹴落とそうと試みながらも、かなわず、党内からの圧力により表面的には協力体制をとる形で進むしか仕方がないことになるのだろう。
 
1990年の民主化以降のネパール政治は、ある意味で「コイララ党首の意思」により動いてきたと言っても過言ではない。最も長期間首相の地位にいたせいでもあるが、包括的和平協定に入ったこと、共和制に移行したことなどの、歴史的なイベントに最終決定を下したのはギリジャ・バブだった。彼を失って、この国の政治は方向を失うのだろうか。
 


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