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カトマンズはタライになったのか、と思うほど暑い日だった。日中、日傘もささずに歩いていたら、日焼けで腕がひりひりと感じるほどだった。今年は例年よりも気温が数度くらい高いような気がするのだが、実際はどうなのだろうか。来月はフィールドにでかける予定なのだが、この暑さのなかを歩けるかどうか不安になってしまう。
ジャーナリスト仲間のあいだでは、昨日のプラチャンダの“謝罪発言”がもっぱらの話題だった。さまざまな人の意見を聞いていると、自身が立つ背景を反映していて面白いなと思う。今回の“ゼネスト”に関する報道に関しても議論の対象になった。大半の主要メディアが、ゼネストを中止した翌日、プラチャンダがクラマンツの演説でカトマンズの人を「スキラ、ムキラ(きれいな服を着た)」と揶揄したことを取り上げていた。衣装もちとして知られるプラチャンダ自身が「スキラ」であるにもかかわらず、自分を棚にあげて、カトマンズ人を批判したことを逆に批判する人もいた。プラチャンダが本当に被抑圧者層のリーダーであるのであれば、カトマンズの知識人を前になぜ謝罪したのかと言う批判も出た。
今回のゼネストに関しては、私もカトマンズの人たちと主要メディアの反応に興味があり、さまざなま記事やコラムに目を通した。以前にも書いたが、表面的な報道ばかりで、本質をついた記事が本当に少なかった。マオイストが地方から連れてきた何万人もの人がカトマンズの街頭で過ごした一週間、毎日街頭を歩きながら、私の心のなかにいつもあったことは、傍観者、つまりカトマンズに住む中流以上の人たちと、街頭にいた人たち、つまり地方の山村に住む村人(農民)の間に横たわる埋めることのできない溝のことだった。後者(農民)は、よほどの幸運にでも見舞われないかぎり、前者(市民)になることはない。前者(市民)は後者(農民)に属する人たちがなぜ街頭にいるのか、理解しようとしない。両者はまったく“クラス(階級)”が異なるのである。ネパールでなぜ、これほど共産党が強いのか。ネパール人がなぜコミュニズムに幻想を抱いているのか。マオイストがなぜ、いまだに“革命”に夢を抱いているのか、答えを見たような気がした。
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