|
タバン村へのアクセスは紛争中と比べるとだいぶ容易になった。今回は行きと帰りで別のルートをとったのだが、両方のルートとも途中まで車道ができており、歩かなければならない距離は約半分になっていた。西周りの行きで1日半、東周りの帰りは1日だけ歩けば良かった。車道は多くの村人が最も望んでいるものである。今回、タバンの村は果実の季節で、桃やプラム、りんごからサクランボまで出回っていた。なかでもプラムはかなりの量採れるようで、あちこちでたくさんご馳走になった。こうした果物やタバン名物のジャガイモなども、車道ができれば、村の外に売って現金収入とすることもできる。病人を病院のある町まで運ぶことも容易となる。しかし、すでにダン郡からの車道が完成しているガルティガウン村のバザールの変容を見ると、村の景観や環境を考慮しない車道建設には、「本当にこれでよいのか」という疑問を抱かずにはいられない。
マオイスト主導政権のとき、タバン村は“モデル村”に指定され、これまでに900万ルピーの特別予算が計上されている。予算の大半は最大集落であるトゥーロガウンの石畳の敷設に使われた。集落内の道に石畳を敷くことで、村のなかはかなりきれいになった印象をもった。今回は、ブーメ祭という、カーム・マガールにとっては最大のイベントの間の訪問だったせいもあるのだろう。紛争中に海外に出稼ぎに行った村人が祭りを祝うために大勢村に帰ってきていた。なかには、人民解放軍のコマンダーらも休暇をとって、ノコバンゲ・ナーツを踊りに来ていた。
マガールだけでなく、ダリットの人たちも民族衣装を身に着けて、老人から子供まで5日間踊りつづけた。タバンの人たちは本当にこの踊りが好きである。私もこの踊りが大好きである。ダマイの人たちが鳴らす太鼓の音を聞くと、自然と身体が動きだしてしまうのである。
写真はタバン村のトゥーロガウンの路上で休む老女2人とボテ・ククル。紛争中はほとんど見かけることがなかったボテ・ククル(チベット犬)の数も増えているような気がする。
|
全体表示
[ リスト ]





