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今回のロルパ行きは、出発前から、ロルパに入ることができるかどうかという懸念があった。まず、政府が9月第三週から、ネパールガンジから西ネパール行きの飛行機への外国人の搭乗を禁止したと報道されたことから、陸路での入域も制限されるのではないかという懸念があった。さらに、同行者の一人が「マオイストがダサインとティハール祭のあいだには、誰もロルパに入れないと話している」という情報を得ていた。この間に、カトマンズで噂されていたマオイストの中央委員会議がロルパで開かれる可能性が考えられた。結局、この噂はロルパに入ってから、真実とはことなることが明らかになったのだが、党首のプラチャンダをはじめとする95人の中央委員が集合する会議が開かれるとしたら、マオイストは厳しい入域制限をすることが明らかだ。いろいろと不確定要素はあったのだが、私たちはロルパ行きを決行することにした。同行者はカンティプル紙記者とマガル族の学生リーダーの2人。2人はタバン村からロルパに接する別の郡に行くことになっており、そのあと、私は一人で北ロルパから東ロルパに行く予定だった。 |
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2005年10月20日
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今日、ロルパの取材から戻った。今回の目的は、「ネパールの延安」あるいは、「マオイストのラジダニ(首都)」と呼ばれるタバン村を再訪することだった。2年半ぶりに訪れたタバンは、ずいぶん変わっていた。マオイストの学校が建てられ、サハカリ・ホテル(協同組合が経営する食堂)やサハカリ・パサル(協同組合の店)ができ、人民解放軍の制服だけでなく、靴やかばん、ショールや石鹸まで生産するウドグ(産業)が起こされていた。タバン村では、以前にあちこちで会った何人ものマオイストに再会した。カトマンズなどで数回会ったあるリーダーにも久しぶりに会い、2年半前にサリヤン、ルクム、ロルパの3郡を取材したときに、一緒に歩いたマオイストにも偶然再会。前回、タバンに滞在した際に、熱を出して寝込んでいた私に薬をくれた医療局の女性にも、これまた偶然、再会した。そして、今年4月にピュータンを取材した際に、2日間ともに過ごしたカルチャー・グループの女性が、生後2ヶ月の娘を抱いた姿を見ることもできた。思想の違いはともかく、以前会って世話になった彼らが元気でいることを確認できたことが、何よりも嬉しかった。タバン村ではさらに、20歳と21歳の人民解放軍兵士どうしのジャナバディ・ビバハ(コミュニストの結婚式)や彼らの特殊部隊のプログラムを見ることもできた。取材の内容は、アジアプレスのジャーナルなどを通じて、少しずつ書かせていただきたい。とりあえず、ご報告まで。 |
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