Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 政府がまたしても常軌を逸した行為を行った。昨日午後のことである。午後3時からネパール・ジャーナリスト連合主催でナヤバネスワルから、報道規制法改正に反対するデモがあった。デモにはネパール弁護士連合などの職業人や政治活動家も「連帯」を見せるために参加した。デモはマイティガールまで行って集会となったのだが、そこで私はカンティプル紙のデスクを努める友人に会った。彼から、「情報通信省の役人が、先ほど、カンティプルFMを閉鎖させようとプルチョークにある同局に来た」と聞き、私も彼に同行してプルチョークに向かった。2月1日の政変以降、政府はFMラジオがニュースを放送することを禁じてきたが、カトマンズ盆地内の14のFM局のうち5局はニュース放送を開始。カンティプルFMも9月14日から「カンティプル・ダイアリー」として日に3回のニュース番組を再開していた。政府はダサイン祭のあいだに報道法を改正して、法的にラジオのニュース放送を禁止したが同局らはニュース放送を続けていた。政府の措置は当然、これに関することだろうと思ったのだが、カンティプルFMに行ってみると、政府の意図は東ネパールでの同局の放送を中止させることにあったことがわかった。

 午後4時すぎにカンティプルFMに着くと、他の報道関係者はまだ誰も来ておらず、3階にある部屋で情報通信省の役人3人と同局幹部のあいだでの話し合いが行われていた。同局は役人に対して、東ネパールへの放送の許可を政府から得ていることを説明し、これを中止させるのであれば、正式な書類を持ってくるよう要請した。午後5時前、個人的な用事があったために局を離れた。その後、2度、デスクの友人が携帯に電話をくれて、すぐに同局に戻るよう知らせてくれたのだが、用事を終えて同局に戻ったのは午後7時半だった。このときに、私が現場を離れた直後に、制服・私服の警官が同局を包囲していたことがわかった。しかし、私が戻ったころには、制服警官はすでに同局を離れており、局の建物内に数人の私服警官と情報通信省の役人が残っているだけだった。局内には、各政党の政治家や市民運動のリーダーのDr.ディベンドラ・ラジ・パンデ、そして大勢の報道関係者が詰めかけていた。少し前に国連人権高等弁務官事務所の職員が来たあとに、制服警官は現場を離れたことがわかった。

 午後8時すぎ、夕方から4時間以上にわたり同局幹部との話し合いを続けていた情報通信省の役人が出てきた。記者らの質問に対して、彼らは「調査を終えたので帰る」と答えた。この直後、一見落着したと考えて、私は現場を去ったのだが、事件はこの約3時間後に起こった。午後11時すぎ、情報通信省の技術者が30人を超える武装警官を連れて同局を訪れ、エンコーダーやサテライト・モデム、デジタル・レコーダーなどの機器を押収していったのだ。今朝の「カンティプル」紙は政府のこの行為を、「深夜にカンティプルFMを政府が襲撃」、機器を「強奪」という言葉を使って報道。国民が情報を得る権利に対する、政府による直接の攻撃だと批判した。

 さて、昨夜の出来事で私も少々痛手を負った。2ヶ月ほど前に購入したばかりのデジタル・カメラを帰りのタクシーのなかに置き忘れてしまったのだ。したがって、昨日の写真を掲載できないことをお詫びしたい。

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