Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 ロルパでも他の郡でもそうだが、看板を掲げた‘宿屋’というものは存在せず、食事を提供してくれる普通の農家に宿泊することになる。料金は食事代とお茶代だけで、宿泊費はとらない。10月9日、私たち3人と‘バッジャ’はセラム村のフリバンにある農家に泊まった。私がトウモロコシに目がないことを知ると、同行者が女主にトウモロコシを焼いてもらうよう頼んでくれた。同行者のJとUがバッジャと雑談をするあいだ、私は台所のかまどの前で女主とこの家の近くに下宿しているらしい少年と話しをした。話すうちに、この17歳の少年がマオイストが運営する学校で教えていることがわかった。学校と言っても、子供から85歳の老人まで、学校に行ったことのない人に読み書きと政治教育を教える非公式なクラスだ。少年の話によると、マオイストはセラム村を含むモデル地区で、3ヶ月前からこうした活動を始めたという。少年はマオイストではなかった。10年生を終えたあとにSLC(高校卒業資格)の試験を受けたが受からなかったという。マオイストが提供する2週間のトレーニングを受けて、‘教師'の資格を得たあと、この村にやってきたらしい。‘マオイスト’としての党教育を受けていないせいか、私を疑うこともなく、こちらがした質問に正直に答えてくれる。仕事は給料なしのボランティアで、食事代などとして、月に500ルピーの実費をもらうだけだという。クラスでは、国王の話やマオイストの党首プラチャンダのことなど、簡単な政治教育もしているらしい。しかし、彼の話を聞いていると、彼自身が理解して教えているわけではなくて、トレーニングで聞いたことを丸呑みにして伝えているといった印象だった。

 翌朝6時すぎ、私たちはフリバンを出発してウワ村に向かった。以前通ったときの記憶によれば、スレチャウル−タバン間で最も危険な崖道が間もなく始まる。昨日の雨のせいで、ひどいぬかるみが何箇所かあった。数百メートルの高さの絶壁を下に見た崖道も無事に過ぎ、マオイストが作ったウワ村のゲートに着いたのは朝8時45分だった。ゲート前にある家で朝食をとることにした。女主人が2年半前に、やはりここで食事をとった私のことを覚えてくれていた。「太ったね」と言われた。例によってできるまでに時間がかかることがわかっていたので、2階にある部屋のなかで休むことにした。同行者のJがどこからか、木製の壷に入った‘ドトゥ(ミルク)’を買ってきた。ミルクといっても、飲んでみたらほとんどヨーグルトになっている。濃くて美味しい。前回の経験から、タバン村ではほとんど乳製品は手に入らないことがわかっていた。このあとしばらく乳製品をとることもないだろうと、たっぷりと味わった。米にカレーの‘ダル・バート’も昨夜のフリバンまで。ここではお湯にトウモロコシの粉を入れて作る‘アト'が主食だ。ガンダキ地方でいう‘デロ’のことである。北に行くほど、タバンに近くなるほど、標高も高くなり、手に入る食料も限られてくる。

 バッジェはここで会った地元の女性マオイストをウワ村のトゥロガウンに送って、私たちの許可証の手配をしようと試みた。しかし、このマオイストがなかなか戻ってこないため、正午近くにトゥロガウンまで行くことにした。1時間の上りのあと、トゥロガウンに到着した。この辺はすでに標高2000メートルを超える。風も冷たい。バッジェは私たち3人をマオイストの‘ポスト'において、タバン村に向かうことになった。タバン村で私たちの‘許可証’をとり、それをこちらに送ってくれるという。許可証が着くまで、ここで足止めをされることになる。これで、今日中にタバンに着くことが不可能となった。

写真はウワ村の入り口にあるマオイストのゲート

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