Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 マオイストが一方的停戦の破棄を示唆し、7政党や市民グループがティハール祭後に民主化運動を活発化することを明らかにしているなか、ギャネンドラ国王が11月13日から12月2日まで国を離れることが明らかになった。「カンティプル」紙によると、ダッカで開かれる第13回SAARCサミットに出席したあと、チュニジアやケニア、南アフリカ、タンザニア、UAE、サウジアラビアを訪問する予定だという。SAARCサミットの代表団を国王自身が率いて出席するのは、1990年の民主化後初めてのことだ。サミット以外の訪問国を見ると、今この時期に膨大な国費を使って訪問する必要があるような国なのか、国の混乱から逃げるためなのかという疑いさえ沸いてくるような国がほとんどだ。欧米諸国から見放されて、遠いアフリカの国との友好を深めようという考えなのか。いずれにしても、SAARCサミットを除けば、今ネパールが直面している問題解決とは全く関係のない外遊だ。‘逃避行’としか思えない。

 ネパール人とインド人にとって‘オープン・ボーダー’だったインドとの国境が、昨日から一部オープンでなくなった。西ネパールのネパールガンジで、インド側に出る際、パスポートなどの身分証の提示と名前などの登録が課せられた。ネパールガンジは、マオイストのために村に住みにくくなり、インド側に出るネパール人が最も多く利用している国境だ。身分証明をもたずに村を出てきたネパール人も多く、また、これまで24時間開かれていた国境が午後9時から午前4時まで閉鎖されることになり、不便を経験するネパール人やインド人がたくさん出るだろうと予測される。インド政府側の要請で、とりあえずネパールガンジで試験的にとられたシステムらしい。インド政府はインド国内でのマオイストの活動が活発になったことから、ネパールからのマオイストの入国を制限する目的なのだろう。

 ダサイン祭の直後に‘プレナム’(中央委員総会)を開いたマオイストは、この重要な会議での決定をいまだに明らかにしていない。毎週火曜日にE−メールで送られてくる党機関紙「ジャナデシュ」も、今週はまだ送られてきていない。あるいは、大きな方針転換と大幅な組織改革が、党員の士気に影響を与えると考えてのことなのだろうか。決定内容については、いくつかの情報源からも話を聞いているが、組織改革に関する情報が今ひとつ明らかでない。党決定機関である政治局と中央委員会を解体して、党総会を開催するための新委員会を設置したことは確実らしいのだが、党のトップ機関である常備委員会に関する情報がそれぞれで確実なことがわからない。カトマンズではなかなか限られた情報しか入ってこない。また、ロルパに行きたいものだ。

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 タバン村最大の集落トゥーロガウンに着いたのは10月11日の午後2時ごろだった。トゥーロガウンはタバン川に沿った高台に広がる集落だ。200軒ほどの家が寄り添うようにしてかたまって建つ。タバン村の集落の特殊性を示す例として「タバン村では家々が互いにくっついて建っており、一軒の家に入ると外に出ずに10軒先の家まで行くことができる」という表現を多くの人から聞いていたが、これは事実とは異なる。確かに接近して建てられてはいるが、家と家どうしがくっついているわけではない。その他にもタバンに関する‘伝説’をいろいろと聞いたが、そのほとんどが事実とは異なることを後で知った。

 トゥーロガウンに入ると、まず、マオイストが村人民政府のオフィスとして使っていた1階建ての建物が目に入った。建物の一部は政府側治安部隊により壊され、修理中だった。2年半前にタバンを訪れたときに、最初に連れて行かれた食堂へ行くと、外観が少し違っていた。一階の道に面した側にひさしが作られ、長いすとテーブルが置かれていた。前回来たとき、食堂の名前はネパール語で「ハムロ・サハカリ・ホテル(私たちの協同組合食堂)」とつけられていたが、今はカーム語で「ゲミ・シャン・サハカリ・ホテル(私たちのシャン協同組合食堂)」という名に変わっていた。「シャン」というのは人民戦争で犠牲になったマオイストの名前だという。入り口の両脇にかまどがあるのは変わっていなかったが、食堂で働くスタッフは新しい人に変わっていた。前回には、突然、この食堂に連れてこられたとき、ここで交わされるカーム語がまったくわからずに疎外感を感じたが、新しくなったスタッフの男女2人はネパール語を話している。2人とも党からの指示により、タバンの外から来た人たちだということがわかった。入り口にはメニューと料金表までかけられていた。ダル・バートが30ルピー、トウモロコシのデロが25ルピー、ミルク・ティーが1杯5ルピーだ。「マス・ハイ」というメニューがあった。聞くと「ガイ・コ・マス(牛肉)」のことだという。これが1皿15ルピー。豚肉は1皿20ルピーだった。牛はヒンドゥー教では聖なる動物として食べることを禁じられている。一方、豚はヒンドゥー教では低カーストの人のみが食べる動物。ヒンドゥー教徒のバフンが見たら卒倒しそうなメニューである。カトマンズなどの食堂と違って、ククラ・コ・マス(鶏肉)も、カシ・コ・マス(ヤギ肉)もメニューにはない。

 私たちがくることはすでにタバンのマオイストたちに伝わっており、私たち3人がこの食堂の前に着くと、タバン村人民政府の議長が私たちにマリーゴールドの花輪をかけて、額に赤いティカをつけてくれた。一応、‘歓迎’をもって迎えられたわけだ。食堂でブラック・ティーを飲んで休んでいると、ロルパ郡人民政府議長の‘チリン’がやってきた。小柄なチリンは、タバン出身のマガル族で3代目のロルパ郡人民政府議長だった。後でわかったのだが、チリンとロルパ郡人民政府の初代議長で、マガラト自治共和国人民政府の議長を務めるサントス・ブラ・マガルは従兄弟どうしだった。今回のタバン滞在中に、サントス・ブラ・マガルに再会できればと考えていたのだが、チリンによると、彼はロルパの外に行っていて、接触するのが困難だという。

 写真はタバン村トゥーロガウンにある「ゲミ・シャン・サハカリ・ホテル」

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