Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 今回、ロルパを訪れた主な目的の一つは、マオイストが運営する‘モデル学校’を取材することだった。マオイストは彼らのbase areaである3郡(ロルパ、ルクム、サリヤン)に、それぞれ1校ずつモデル学校を設立している。ロルパのモデル学校はタバン村にあった。私たちはタバンに着いた翌日、この学校を訪問することになった。その日の朝、‘サハカリ・ホテル’の前で、一人の男性が私に親しそうに挨拶をしてきて「私のことを覚えてますか」と聞いてきた。もちろん、忘れるはずもなかった。彼とは2001年の停戦中にビラトナガルで最初に会ったあと、カトマンズでも数回会っていた。マオイストの学生組織ANNISU(革命派)の会長で、党中央委員でもあるレクナス・ネオパニだった。2003年の2回目の停戦中に、カトマンズで開かれたANNISUの総会で会って以来、2年ぶりの再会である。10日ほど前に、彼がインド国境に近いバルディヤで記者会見を開いたことを新聞で読んでいたために、平野部のタライからここまでどうやってきたのだと聞くと、「もちろん、歩いてです」と笑って答えた。ネオパニは昨年、党内結婚したばかりの妻をバラ郡で治安部隊に殺害されている。彼が殺された妻に対する沈痛な思いをつづった手紙を週刊紙「ジャナアスタ」で読んでいたのだが、彼の表情からは悲しみをうかがい知ることはできなかった。

 ネオパニと私たち3人、そして、ロルパ郡人民政府議長の‘チリン’は連れ立って、トゥーロガウンのはずれにある丘の上に建てられたモデル学校に向かった。30分ほど丘を上ると、グリーンの制服を着た子供たちが右手を上げて「ラール・サラーム!」をしながら駆け寄ってきた。全員が握手を求めてくる。ラール・サラームの仕方も握手の仕方もすっかり堂に入っていて、まるで‘ミニ・マオイスト’である。学校は今年の人民戦争開始記念日である2月半ばに開校したばかりで、1年生から3年生までの61人の生徒が学んでいた。生徒の半分にあたる30人は、親が人民戦争の犠牲となって亡くなった子供たちだ。他は両親が人民解放軍のメンバーか、タバンにあるコミューンから通う子供たちである。生徒の9割以上がマガル族だ。コミューンの子供たち以外は、全員が4人の教師とともに、学校のなかにある寮に寝泊りしている。生徒の年齢は5歳から14歳まで。朝礼のあと、最年長の男の子の‘コマンド'の下に、体操が始まった。

写真上は体操をするモデル学校の子供たち
 

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