Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 2003年3月に初めてタバンを訪れたとき、この村の雰囲気に対して強烈な印象を受けたことを覚えている。政府とマオイストが2度目の停戦を宣言したばかりで、タバンにジャーナリストが来たのは、アメリカ人の‘マオイスト・ジャーナリスト’リー・オーネストが数年前に来て以来のことだと言われた。外国人が来たのも、実にしばらくぶりのことだという。ロルパの北に接するルクム郡側からタバンに入ったのだが、その2日前、ルクムコット村に来る途中、雪解け水を飲んだせいで喉をやられ、高熱を出していた。ふらふらとしながら丸一日歩き、ようやくタバンに着いたのは夕方で、暗くなりかけていた。トゥーロガウンの入り口にマオイストが建てた‘歓迎ゲート'を入ると、真っ先に目に入ったのはバレーボール・コートで試合をする少年たちと、民家の庭先で、大きな鍋でトウモロコシの‘アト’と牛肉のタルカリを作る少女たちの姿だった。彼らが、ここで集団生活をするマオイストたちであることがすぐにわかった。私と、ルクムコットから同行してくれたガイドは、ゲートに程近い茶店に連れて行かれた。‘ハムロ・サハカリ・ホテル’だった。この店のなかが、実に活気に満ちていた。店を仕切る60歳ほどのマガル族の女性は、店に人が入ってくるたびに右手を上げて「ラール・サラーム!」をしていた。夕方ということもあり、さまざまなマオイストが店に来ては、干し肉を食べたり、お茶を飲んでいた。集落の中央には、治安部隊が焼き討ちした10数軒の家がそのまま残っており、異様な雰囲気をかもし出していた。トゥーロガウンの集落の様子は、これまでに見たどの村の様子とも異なっており、まさに‘秘境'に来たという印象をもったものだ。しかも、大勢の武装マオイストがこの村に滞在していることが見てとれた。最悪の体調にもかかわらず、マオイストが人民戦争を始めたあと、初めての‘独立系ジャーナリスト’としてマオイストの首都を訪れることができたことに、非常に興奮したことを覚えている。

 その後、タバンには国内外のジャーナリストが大勢取材に訪れ、‘マオイストの首都’としてずいぶんいろいろなメディアに紹介された。そのせいもあるのだろう、2年半ぶりに訪れたタバンはずいぶん印象が違った。まず、村の人口が減っている印象を受けた。前回来たときには、ちょうど、人民解放軍のエリート部隊がタバンに常駐しており、大勢の武装・非武装マオイストがいた。しかし、今回はマオイストも村人もかなり少ないようだ。私たち3人はタバンに滞在中の宿泊所として、‘サハカリ・ホテル'に近い大きな民家の2階にある2部屋をあてがわれた。前回来たときに、人民解放軍が‘HQ(ヘッドクォーター)’として使っていた建物だ。今は‘ゲスト・ハウス’として使われているらしい。1階にはタバンのコミューンの女性たちが運営する食堂と店があった。

写真上下はともに、2003年3月にタバンで撮影したもの。上は、集落中央にある治安部隊に焼き討ちされた家。下は、大きな鍋でタルカリとアトを作るマオイスト。

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