Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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中途半端な憲法記念日

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 今日はネパールの「憲法記念日」だった。1990年4月に民主化されたあとに作成された憲法が公布された日にあたる。国王が行政の実権を握って絶対王政を布いてからは、1990年憲法は「127条」(緊急時に国王に行政特権を与える条項)を除いて‘死んだ’状況にある。したがって、「記念日」を祝う意味もほとんどないのだが、これにちなんだいくつかのイベントが開かれた。人権NGOのHURONは、ナヤバネスワルのビレンドラ国際会議場の西側の道路で、午前6時半から12時間の「サティヤグラハ(非暴力運動)」と称する座り込みプログラムを開催(上の写真)。午前11時ごろに行ってみると、200〜300人くらいの人たちが天幕を張った会場に座り込んでいた。前半と後半に分かれて6時間交代で座り込むのだという。参加者は人権活動家から政党関係者、市民グループのメンバーまでさまざま。ジャーナリストの顔も大勢見かけた。最高裁元判事で、政変直後から絶対王政に対する厳しい批判を公にしてきたラクシュマン・プラサド・アリヤルなど、身体を張って体制批判をしてきた人たちの顔もあった。しかし、私の‘ロルパ病’が抜けていないせいか、かつて権力の側にいた政治家や高給取りの‘NGO活動家’らの見慣れた顔を見たとたん、少々うんざりした気分になって、2,3枚写真を撮ったあとにその場を離れてしまった。午後3時からはシンガダルバルで、首相事務室と内閣の主催で憲法記念日にちなんだレセプションがあった。招待状をいただいたが、時間的に間に合わず、こちらは失礼させていただいた。

 そもそも、ネパールが現在直面している危機の根本的な原因は、1990年の民主化後、新憲法制定委員会に参加した政党が、王室に大きく妥協をしたことにある。「ヒンドゥー国家」であることを憲法に記載したこと。国軍である王室ネパール軍の指揮権を国王に残したこと。国民投票の条項を記載しなかったこと。そして、「127条」として国王特権を残したことなど、政党側は王室からの圧力に屈して、中途半端な‘民主化憲法’を作成した。その結果がマオイスト問題として、また国王の政権掌握という問題として現れたと言える。7政党のなかには、まだ現憲法にこだわるリーダーもいるが、最大政党の一つであるネパール統一共産党は、すでにもともとマオイストが主要要求としてきた、制憲議会を通じた新憲法の制定を要求することを党方針として決定。市民グループも、さまざまな集会で「制憲議会を通じて民主的共和制を実現すること」を運動の目的としていることを明らかにしている。

 ダサイン祭、ティハール祭休みで、すっかりたがが緩んだ7政党は、いまだに運動を開始していない。市民グループの「民主主義と平和を求める運動」は13日にカトマンズでデモを計画している。メディアの注目は最高裁でヒアリングが進行中の「メディア法訴訟」にある。最高裁判事長を含めた3人の判事からなるベンチで、メディア法の公布が違法であるとして、この行使を差し止める訴訟と、政府がカンティプルFMから押収した機器を返却するよう求める訴訟が同時に進行中だ。原告団にネパール弁護士連合が入っていることもあり、名だたる弁護士のほとんどが原告側に立って弁論をしているのだが、最高裁の一番大きな部屋で毎日開かれているヒアリングは、いつもほぼ満席で、各界からの注目のほどを示している。私も何度が聞きに行ったが、有名弁護士の弁論術を聞くだけでも面白い。

 約2週間、インドを訪問していたネパール統一共産党のマダフ・クマール・ネパール総書記が今日帰国する。彼に入れ替わって、今度はネパール会議派のギリザ・プラサド・コイララ党首が明日、ニューデリーに発つ。7政党からマオイストとの対話に関する‘全権’を与えられた2人のインド訪問である。表では何と説明しようと、マオイストのトップ・リーダーと会うことが主な目的であることは明らかだ。帰国したネパール総書記の発言に興味が引かれるところだ。

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