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ババン村で開かれた「ロクタントリク・プラダルシャン・アビヤン(民主化デモ・キャンペーン)」のメイン・ゲストは、“ビプラプ”“プラバカール”“スダルシャン”の3人だった。最初に演説したビプラプはまず、11月にルクム郡チュンバン村で開かれた党中央委員拡大会議の決定事項を説明し、「武装闘争だけでなく、政治的闘争にも力を入れることを決定した」と、先日、7政党とのあいだで成立した同意について説明した。とくに、「ジャナバド(コミュニズム)」や「プラジャタントラ(民主主義)」という言葉でなく、「ロクタントラ(民主主義)」という新しい言葉を意識して使い、今後は7政党とともにロクタントラのために政治的運動を行うことになったことを明らかにした。次に演説したプラバカールは、マオイストが今後の戦略として、「西(ネパール)は東を見、東(ネパール)は西を見る」という表現を使って、「カトマンズ盆地を標的にする」ことを明らかにした。「背骨を折って頭を攻撃する」という表現も使っていた。背骨とは、カトマンズ盆地に近い地域。頭とは、主要官庁があるシンガダルバルのことだと言う。
集会が始まってまもなく、ビプラプが演説をしているときのことだった。会場がざわざわとしだし、地面に座って演説を聞いていた村人たちが立ち上がりだした。司会をするコマンダーの“アビナース”が「ヘリコプターが来たわけではないので、静かにするように」と何度も呼びかけるが、村人は立ち上がって集会場を去りだした。最後のスダルシャンが演説をするころには、集会場を埋めていた群衆は3分の1ほどに減っていた。どうやら、会場で「ヘリコプターが空襲に来た」という噂が立ったらしい。1週間前に西ロルパのジナバン村で、第5師団が初めて集合したプログラムの現場に王室ネパール軍のヘリコプターが空襲をし、同師団コマンダーの“スニル”らが死亡したばかりである。村人が逃げ出すのも無理はない。あとで聞いた話だが、逃げ出す村人を叱って殴りつけるマオイストもいたそうである。
集会が終わりに近づいて、もう一つのハプニングがあった。何と、国民的人気コラムニストのカゲンドラ・サングラウラや左翼系知識人のハリ・ロカを含むメディア関係者7人のグループが会場に向かっているというのである。彼らはプログラムのことを知らずに、ロルパの状況を“視察”に来たところ、ティラでたまたま集会の事を聞いて駆けつけたのだという。グループのなかには、週刊誌「Nepal」の編集長や週刊誌「サマヤ」の記者、雑誌「Himal」の記者までいた。互いにライバル誌でもあるネパールの3大雑誌の記者が同じグループで来るとは、われわれの常識からしたら考えられない話だが、ネパールではよくあることだ。ネパールのジャーナリストは、1人で取材に来ることはまずない。取材は地元記者1人を連れて、あるいは1人で、を基本にしている私には少々理解に苦しむ行動だが、グループ取材の理由を聞くとたいてい、「安全のために」という答えが返ってくる。
さて、カゲンドラ・サングラウラとハリ・ロカは到着してすぐに、集会で演説をした。サングラウラはマオイストの人民戦争の厳しい批判家としても知られているが、演説のなかでは彼らを批判することはなかった。元ネパール統一共産党の党員で、現在、インドの大学で博士号の過程にいるロカは、村人が立ち上がって帰ってしまい、ほとんどがマオイストとなった群衆に向かって「ラール・サラーム」をした。彼らとはその後、数日間、行動を共にしたのだが、予定外の展開に少々とまどったというのが正直な感想だった。
写真上;人民解放軍の新しい徽章。白いサガルマタの前にAK−47が交差する。
写真下;“空襲”で亡くなった第5師団コマンダーのスニルの写真に花輪をかけるプラバカール。右手に見えるのはマガラト自治区人民政府議長ノサントス・ブラ・マガル
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