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今日、プラノバネスワルにある小劇場「グルクル」で小さなプログラムがあった。東ネパールの山村に住む美しい女性の不幸な結婚生活を淡々と描いた映画「ヌマフン」で有名になった映画監督ナビン・スッバ(38歳)ら、50人余りの映画関係者が「デモクラティック映画製作者フォーラム」を結成し、結成式と記者会見をかねたプログラムが開かれたものだ。このフォーラムは、「ロクタントラ(民主主義)」をスローガンとして、民主化を求める市民の運動に参加するために結成されたもので、民主化を通じて、映画制作分野での表現の自由を実現することを目的としている。 |
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2005年09月23日
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22日後半の出来事は、現在、この国を支配する軍が、司法を超えて何をしているのかを知る良い機会を与えてくれた。クリシュナ・K.C.(31歳)はマオイストの学生組織ANNIFU(革命)の元副会長で、逮捕された2003年当時は、ラリトプル市のビューロー(党責任者)だった。彼とは会ったことはなかったが、2003年1月に停戦が宣言される少し前から、彼がパタンのイン・チャージで、対話コーディネーターと接触するメインのマオイストの1人であることは聞いていた。第二回「停戦劇」に、彼が関わっていたことも耳にしたことがあった。党内での地位がそれほど高くはなくとも、首都圏で活動するメインの1人として、名前が知られたマオイストだった。K.C.は、第二回対話が失敗におわり、マオイストが停戦を一方的に破棄した直後の2003年9月に、カトマンズ市コテスワルで、週刊紙「ジャナアスタ」の記者とともに逮捕され、それ以降、行方がわからなくなっていた。彼の妻ドゥルガ・K.C.は夫の行方を捜して、国内外のありとあらゆる人権団体に助けを求めたもの、政府側は彼を「逮捕していない」という返答をしたために、訴訟を起こしても受け付けられない状態だった。しかし、今年に入って、国家人権委員会が、K.C.がゴルカ郡の軍施設に留置されていることを公にしたため、彼の妻は再度、夫の身柄を保護する訴訟を最高裁に起こしていた。裁判に出席するために、K.C.は昨日、ヘリコプターでゴルカからカトマンズに移送され、今日、公の前に姿を現した。 |
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「絶対王政」とは何なのかを、表と裏から目の当たりにした1日だった。まずは、22日の前半に経験した「表」の部分から。ギャネンドラ国王夫妻は22日午前10時からラリトプル市のクプンドルからプルチョーク、パタンドカ、マンガルバザールへと行き、さらにそこからジャワラケルのマヘンドラ・ユバラヤに歩いていく予定だった。そのために午後1時までメイン道路は封鎖されると伝えられていた。自宅のあるクプンドルから歩いてヒマラヤ・ホテル前を通ると、100メートルおきに国王を歓迎する赤い横断がはられていた。パタンドカを入ると、国王が通るルートにあたる道路は紙の旗で飾られ、道々で公立校の生徒たちが国旗や花を手に、すでに待機していた。マンガルバザールに行くと、入り口の横にある寺院が報道関係者用として決められており、そこで外国人観光客を含めた人たちが国王の到着を待った。 |
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次は、同じ日に最高裁で起こった、マオイストの再逮捕劇の写真です。詳細は、このあと、追って記事を書きます。 |



