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昨年10月に開かれた映画祭で見逃してしまったペルーのドキュメンタリー・フィルム「State of Fear」を見に行った。パタンのアショク・ホールで上映される予定だったが、官憲側からストップがかかったため、急きょ、パタン・ドカのヤラマヤ・ケンドラで上映された。主催者のカナク・マニ・デチット氏の説明によると、昨年の映画祭での上映があまりに好評だったために、なるべく大勢のネパール人に見てもらうために、ネパール語版を製作したのだという。ネパール語のナレーションから字幕入れまで、すべてボランティアがやったもので、商業上映ではなく、大勢の人にこのドキュメンタリーが伝えるメッセージを知ってもらいたかったのだという。
フィルムは1980年から90年代前半にかけて武装闘争を展開した、ペルーの“マオイスト”センデロ・ルミノソ(輝ける道)と、その制圧を試みる官憲、国軍のあいだにはさまれて苦しむ人たちがテーマである。まずは、人権侵害のパターンが、ネパールとあまりにも酷似していることに驚く。センデロのメンバーに「食事を作れ」と強要される村人。官憲に逮捕されて強姦される無実の学生。「センデロにならなければ、殺すぞ」と脅されて8歳で武器をもつ村人。センデロのメンバーだけでなく、どれだけ大勢の無実な村人が拘束され、殺害されたことか。そして、社会・政治状況が似ているのにも驚く。都会に住む人間と山村に住む人間との埋めようがない経済格差・意識の格差。センデロ・ルミノソがその武装活動を都市部で始めるまでは、山村部の人たちの苦しみになど目も向けようとしない都会の人たち。「テロリスト制圧」を掲げて大統領に就任し、独裁政権を布くアルベルト・フジモリ。「軍事制圧だけが解決の道」であるとして、議会を解散して国家非常事態宣言を発令し、恐怖政治を布く独裁者フジモリ。こうした経緯が、センデロ・ルミノソの党員や彼らの被害者、また国家側の被害者、ジャーナリスト、弁護士、人権活動家らへのインタビューを通じて語られる。山村に住む人たちの話は、マオイストと治安部隊のあいだにはさまれて苦しむネパールの山村に住む人たちの状況と重なり、フジモリの姿はギャネンドラ国王の姿と重なる。
92年にセンデロ・ルミノソのゴンサロ議長がリマ市内で逮捕されたあと、センデロは急激に弱体化。しかし、フジモリ大統領は独裁政治を辞めず、やがて政府内の腐敗が表にでて、政権から追われるはめになる。フジモリ大統領が日本に逃亡したあと、20年間の対立のあいだにセンデロ・ルミノソと政府の両者により犯された人権侵害のケースを調査する委員会が設置される。しかし、新大統領は「人権侵害を犯した両者を罰する」という言葉に反して、センデロ関係者のみを罰し、軍関係者を見逃している。フィルムは、こうした新政権に抗議して街頭運動をするデモ隊に、治安部隊が催涙ガスを放つシーンで始まり、同じシーンで終わる。デモ隊が治安部隊に対して石を投げるシーンや、警官隊が催涙ガスを投げるシーンは、カトマンズで現在展開されている事態と変わらない。
センデロ・ルミノソとネパールのマオイストの間には、実はいろいろな相違点がある。以前、マオイストのリーダーに、「センデロを手本にしているのか?」と聞いたとき、「いや、彼らを反面教師としている」という答えが返ってきたのを思い出す。それでも、両者が置かれている政治的・社会的状況には、あまりにも相似点が多い。特にカトマンズに住む人たちに見てもらいたいフィルムだ。
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