Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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空爆体験(続き)

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 27日の空爆現場には、私の他にもう一人ジャーナリストがいた。カンティプル・メディアが出版する週刊誌「Nepal」のボジ・ラジ・バタ記者である。首都圏に近いために、あまりメディアには知らせなかったようで、この日のプログラムに呼ばれていたのは私とバタ記者の二人だけだった。あとで知ったのだが、この日のプログラムは首都圏を含む特別地区のコマンダー兼コミッサーの“アナンタ”がカブレで獲得した武器を披露し、襲撃を決行した人民解放軍第三師団ベタン・スムリティ大隊を表彰するためのものだった。つまり、軍事的なプログラムであったわけだ。こうしたプログラムを村の集落の真ん中で開くということが、そもそもの誤りだったと言える。しかも、周囲には何かがあったときに逃げ込むジャングルがない。一帯はオープンな畑で、逃げるとしたら民家しかない。実際に、ほとんどの武装マオイストは民家に逃げ込んだわけだが、一般人や民家に被害が出たのはそのためと言える。

 最も激しかった最初の空爆が始まってすぐ、私の近くにいたバタ記者によると、機関銃による掃射が始まった直後、私のすぐ後ろにいたマオイストのセクション・コマンダーが一人、弾にあたって死亡した。私は掃射が始まってすぐに、一番近くにある家と崖のあいだの1メートルほどの隙間に入り込んで、彼が倒れたのを見ていないのだが、このセクション・コマンダーが最初の犠牲者だったようだ。まさに間一髪のところで命拾いしたことになる。このあとに逃げ込んだ家のなかには、少しして、ベタン・スムリティ大隊のコミッサー“ビスワ”とコマンダー“ジビダ”も入ってきて、最初の爆撃の間中、無線機を通じて指示を出していた。治安部隊が彼らがその家にいることを知ったら、当然、爆弾の攻撃もありえたわけで、今考えると、とんでもない状況にいたわけである。“アナンタ”と、もう一人の中央委員会メンバー“カンチャン”ことアグニ・サプコタもすでに会場近くにいたらしいが、私は彼らに会う暇もなかった。前日から村に来ていたバタ記者が、彼らが会場に着いたときの写真などを「United We Blog!」(http://www.blog.com.np/united-we-blog/2006/03/29/live-from-the-war-zone-thokarpa-aerial-attack/#more-299)に掲載しているのでご一見願いたい。

 最初の爆撃のあと、私は村にとどまったが、バタ記者は逃げるマオイストについていった。昨日、その後の様子を聞いたところ、治安部隊は負傷したマオイストを乗せたバスにも機関銃を掃射したそうである。治安部隊の特別部隊が28日、村に陸路でやってきたが、村にはとどまらずに戻ったと聞く。その後、村に入ったジャーナリストの話によると、すでにこの日にうちに村にマオイストが戻ったそうである。

写真上;最初の空爆が始まってすぐに、会場に一番近い家に逃げ込んだ人民解放軍兵士たち。
写真下;ヘリコプターからの銃撃により壁に無数の弾が当たったバグバイラブ高校事務所。屋根にも無数の穴が開いていた。

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