Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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コイララ首相の報復

 今日嬉しい電話がかかってきた。昨年12月にルクム郡ルクムコット村に行ったときに、2晩泊めてもらった家の娘さんからの電話だった。息子3人が軍で働いているために、マオイストはこの家族の家・土地などのすべての資産を占拠し、家族が村の外に出ることさえ禁じていた。母親は4年間、息子たちの顔を見ていないと嘆いていた。家には毎日、マオイストが大勢食事をしにきたり、泊まりに来ていた。畑で獲れるものもマオイストに捕られ、自宅にいながらまるで牢獄にいるような生活だった。しかし、今回の停戦で、マオイストは彼らの家と資産を解放。家族は自由に村の外に行くことができるようになったという。娘とともに母親も数年ぶりに村を出て、タライにある大きな町から私に電話をかけてくれた。「もう何も問題はなくなった」という娘の声を聞いて、本当に良かったと思った。

 歴史的な国会宣言が出されるまでの経緯について、今日、とても興味深い事を聞いた。今回の宣言文はコイララ首相の意図にしたがったもので、これはコイララ首相のギャネンドラ国王と国軍に対する報復だったというのだ。実は、他政党が用意した宣言文は、実際に採択されたものよりも、かなりソフトな内容だったらしい。予測した以上に特権を剥奪された国王は、インドのムケルジ大使に「こんなことになるなんて、7政党はどういうつもりなのだ」と迫ったと聞く。しかし、コイララ首相の意図は、ネパールを共和国にすることにはなく、あくまでもセレモニアル王制にすることが目的だという。私が感じたように、あの宣言文は王制を残すためのものでもあり、これ以上の変化はおそらくないだろうと、今日話した専門家も言っていた。さて、コイララ首相は何に報復したかというと、もちろん、当時も彼が首相をしていた2001年6月から7月にかけて起こった一連の出来事に対してである。王宮事件のあと、マオイストが7月にロルパ郡ホレリの警察詰め所を襲撃し、約70人の警官を拉致していった。コイララ首相は国王に警官を取り戻すために軍の発動を要請した。軍はロルパに行ったものの、マオイストとは戦わず、ヌワガウン村で両者は互いに握手をして別れた。しかし、軍はコイララ首相に連日虚偽の情報を流し、あたかも軍がロルパでマオイストと戦っているように見せかけた。このときの軍(つまり、最高司令官である国王の)の裏切りが原因で、コイララ首相は辞任をした。今でも、コイララ首相はラウダ航空疑惑で辞任をしたのだなどという人がいるが、それは事実ではない。コイララ自身が後に、国王と軍の裏切りが辞任の理由だったことを明らかにしている。

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