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毎日、マオイストに関する文献を読み、マオイストに関する文を書き、マオイストに会う日々が続いている。友人と話していても、話題がすぐそちらに向かうために、近しい友人に「あなたもマオイストになったのだろう」とからかい半分、疑い半分で言われることがある。マオイストからも「これだけマオイストに関して取材を続けているのだから、もうマオイストになったらどうか」と言われることがある。確かに、そう言われても仕方がないのかもしれない。しかし、思想だけは変えられないもので、共産主義思想は個人的にはどうしても受け入れることができない。それでも、ネパール会議派や統一共産党のリーダーよりも、マオイストのリーダーが話す言葉のほうがまともな気がするのも事実である。もちろんすべてがというわけではないが、人間的にも総じて政党リーダーよりもマオイストのほうが真面目で正直な印象がある。おそらく動機の強さにもよるのだろう。マオイストのなかには、政治に興味をもった実に強い動機をもった人がいる。現在進行中の和平交渉のマオイスト側対話団長、クリシュナ・バハドゥル・マハラもそうしたマオイストの一人だ。先日、マハラへの何度目かのインタビューをしたが、彼がいかにしてコミュニストになったのか、その詳しい経緯を聞くと、子どもの頃に受けた社会的な不正義が政治の世界に入った動機になった好例だとわかる。マハラはロルパの郡庁所在地リバンにある高校で数学と科学の教師をしていたときに、非常に人気のある教師として知られていた。人民解放軍のコマンダー、パサンやアナンタをはじめとするロルパ出身の40代前半から30代前半のマオイストの大勢はマハラの生徒だった。タバン村を「コミュニストの村」にしたバルマン・ブラ・マガルとともに、マハラはロルパをマオイストの本拠地とした最も重要な人物だ。停戦になったが、まだ、しばらくマオイストにどっぷりと浸かった生活が続きそうだ。 |
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2006年06月10日
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昨夜のプラチャンダのTVインタビューについて、今日、何人かの人と話をする機会があった。ある程度、ネパール政治を知る人にとっては、新しい内容がまったくなかったという点で一致したが、ネパール会議派やUMLなどの他の政党のリーダーとは真剣度がかなり異なるという印象を与えた点では、いい広報になったという人もいた。暫定政権に加わることにあからさまな焦りを見せたことはあまり良い印象を与えなかったようだが、共和制を実現するには下院をすぐにも解散して、マオイストを含めた暫定内閣を作る必要があることは、まぎれもない事実である。バブラム・バッタライもプラチャンダと同席したようだが、ちらとしか姿が映されなかった。議会政党と手をむすぶという戦略は、もともとバッタライが主張した路線だった。プラチャンダは昨年2月1日の直前までは、国王との直接対話を望んでいた。これまでマオイストがとってきた方針は、ほとんどがバッタライが主張した路線だったのだが、ここにきて、どうも、バッタライの権威が落ちたような気配が彼の風貌から感じる。 |
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