Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 今日、ようやく一区切りついた。緊張の糸がようやく緩んで、今日は夕方、久しぶりに一人で食べたい物を食べに行った。カトマンズで、一人でレストランに行くのは何ヶ月ぶりだろう。このところ、人と会うこともかなり制限していたのだが、明日からは一気にさまざまな人と会うアポが入っている。楽しみである。

 気がついたら、8月も半ば。今月中にやらなければならない仕事もたくさんある。これまでの仕事を新しい形でまとめることも考えている。こうして、いろいろと考えること、やることがたくさんあるのも、ありがたいことだと思う。早くフィールドに行きたいものだが、ダサイン祭の前には無理そうだ。それにしても、雨が少ない。本格的なモンスーンがくることなく終わるのだろうか。夜気は涼しく、すでに秋の気配さえ感じる。

 ネパール軍のカタワル参謀長が今日から、実質的に軍を去った。退役するのは一月先のことだが、すでに、ツァトラ・マン・シン・グルンが参謀長代理に任命されており、カタワルは今日から引退生活に入ることになる。今日のKantipur紙に、スディル・シャルマ編集長がカタワルに関するコラムを書いている。国軍の歴史で、カタワルほど公の場で政治的発言・問題発言をした参謀長はいなかった。前任者のピャルジャン・タパはカタワルを後継者とすることを嫌い、徹底して抵抗をしたが、当時の国王とコイララ首相の押しにより、カタワルが参謀長になったと聞く。しかし、国王の意図を汲むことはなく、カタワルはネパールが共和制になることを阻止することはできなかった。昨年5月に共和制になったとき、カタワルは沈黙を保つことにより、共和制実現に手を貸したというのが、スディル・シャルマの以前からの表現である。私は、これには異論があるのだが(阻止したくとも、できるような状況になかったのが事実だろう)、最後の手段として、王室が“ベビーキング”の提案をもちだしたとき、密かに当時のコイララ首相にこの提案を持っていったのがカタワル参謀長だったと、スディル・シャルマも書いている。マヘンドラ国王に目をかけられ、ビレンドラやギャネンドラの弟分として王室内で育ったカタワルが、共和制を望んだとはとても思えない。

 いずれにしても、カタワル参謀長が去ったことで、和平プロセスが“楽になった”という声が聞こえないでもないが、状況はそれほど容易ではない。マオイストと他政党間の溝は、解決が非常に困難なほどに深まっている。大きなブレーク・スルーがないかぎり、和平プロセスが結論に達することは不可能だろう。中央政界の空気はさまざまな問題で濁りきっており、窒息しそうな様相である。

 

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