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“四月革命”を成功に導いた19日間連続ゼネストは、2006年の4月6日に始まった。当時の国王政府は、カトマンズ盆地でまず集会禁止令を、4月8日からは外出禁止令を発令して、弾圧を試みた。しかし、キルティプルで市民がまず立ち上がり、カトマンズでも外出禁止令が布かれていないリング・ロードで毎日デモが出るようになった。19日間のゼネストのあいだ、ガンガブやカランキ、トリプレスワルなどで武装警察隊の発砲により26 人が死亡した。この日にちなんで、今日の新聞やFMラジオが4年前の四月革命を特集している。マオイストは今日、各地で集会を行った。カトマンズではプラチャンダが演説。バブラム・バッタライはグルミで、ロルパではアナンタが演説をした。
私も当時のことを昨日のことのように思い出す。7政党は4月8日に各地で集会を予定していた。その前夜、マオイストの人民解放軍がブトワルとタウリハワを同時襲撃。ブトワルに住むジャーナリストの友人が、電話の生中継で様子を伝えてくれた。当時、人民解放軍の4つの師団は“ガンダキ・キャンペーン”の最中で、ブトワルを襲撃するのではないかと予測していた矢先のことだった。ゼネスト2日目の4月7日には、キルティプルが自由区になったという噂が広まった。このころ、知り合いの複数のマオイストが頻繁に電話をしてきたことを思い出す。なかには「カトマンズ市内のタメルにいる」とまで話していた活動家もいた。「カトマンズ盆地を囲む山にいる」と言って、カトマンズのデモの様子を知りたがるリーダーもいた。今だから書けることだが、人民解放軍を含めたかなりの数のマオイストが、カトマンズの周辺を“包囲”しているなと感じたものである。
このときには、デモ隊とともに私もリング・ロード上を歩いて、「間違いなく大きな変革が起こる」と実感した。一方、今日からちょうど20年前、1990年の4月6日にも、カトマンズとパタンを市民のデモ隊を埋めた。この日、私も朝から外出禁止令が出される夕方までデモ隊とともに街を歩いた。二日後の4月8日夜、ラジンパトにあるホテルで、ビレンドラ国王の“民主化宣言”を聞いた。そうか、あれから20年もたつのかと、感慨深い。ネパールが共和制になるとは、あのころは想像もつかなかった。この間の大きな歴史の変化を、渦中にいて目撃することができた幸運に感謝したい。
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