Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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 2001年6月1日に、当時のビレンドラ国王一家全員を含む10人の王族が亡くなった、ナラヤンヒティ王宮事件の隠された真相を語る決定版とも言うべき本がまもなく出版される。筆者は、ビレンドラ国王の軍事秘書官を務めていたビベク・クマール・シャハである。シャハは、ビレンドラ国王が殺害されたあと、ギャネンドラ国王の軍事秘書官も務めていたが解任されている。その理由も書かれているそうだ。『私が見た王宮』は約600ページにもおよぶシャハの回顧録だが、その一部を昨日と今日にわたり、日刊紙KantipurとNaya Patrikaが掲載した。これを読んだだけでも、この本がいかに面白いものかが想像できる。
 
 この回顧録のなかで、一番興味深いのは、もちろん王宮事件の真相である。新聞に掲載された記事を読むと、シャハはこの事件は「国内外の勢力が、長い計画に基づいて、ディペンドラ皇太子を煽って起こした陰謀である」と明言している。その勢力とは誰なのかは明記されていないが、国外はインド、国内はラトナ皇太后とギャネンドラ王子(当時の)を含む王宮内の強硬派であることを示唆している。シャハによると、これらの勢力は腐敗した政党に対して強硬な手段にでるようビレンドラ国王に進言していた。しかし、民主的なビレンドラ国王はそれを実行しなかったばかりか、マオイストを政治の主流にもってくるための計画を立てていた。その計画とは、当時の議会を解散して、マオイストを含めた円卓会議を開くというもの。自身は日本の天皇のような政治の力をもたない象徴的な国王になる意向で、マオイスト側に弟の故ディレンドラ王子を送り込んで、彼らの意向をいうかがうことまでした。
 
 一方、ビレンドラ国王は王室ネパール軍を近代化するために、ネパールに武器工場を開設して近代武器の製造をする計画も進めていた。インド政府はこの動きが気に入らず(インド製のINSASライフルが売れなくなるため)、ビレンドラ国王との関係が悪化する原因になったと書かれている。
 
 さらに、2001年の王宮事件の犯人とされているディペンドラ皇太子に関しては、「子供のころから生き物を殺すなど残虐な性格で、女性に弱いところがある」と書かれている。父親の軟弱な態度が気に入らず、叔父とともに強硬な手段を求めていたが、そうした皇太子を「あなたこそ強い国王になれる」と、彼の野心を煽りたてるような人たちがいたとシャハは書いている。
 
 と、この本にはまだまだ面白いことがたくさん書かれているようだ。発売が実に待ち遠しい。
 
 

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