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ネパール会議派のギリジャ・プラサド・コイララ党首が今日の正午すぎ、息を引き取った。87歳(ネパール式の数え年。実際は85歳)だった。さまざまなメディアも報道しているが、コイララ党首の死により、1951年の反ラナ革命から続いてきたネパールの政党政治と民主化の歴史、コイララ家の政治の長い一幕が終わったといっていい。コイララ家には、もちろん、娘のスジャータもいるし、甥のシャシャンカもいるし、スシル・コイララもいる。しかし、コイララ家が生み出した政治家のなかで、国家的なリーダーといえる政治家はギリジャ・プラサドが最後と言っていい。
ギリジャ・プラサド・コイララは、良い意味でも悪い意味でも強いリーダーだった。最後まで、ネパール政界で最も影響力をもちながら、人間の好き嫌いが激しい性格のために、党内でコイララを嫌う党員が多かった。コイララほど国民に嫌われた政治家は、あるいはいなかったかもしれない。ガネシュ・マン・シンやダマン・ナス・ドゥンガナなど、コイララに嫌われたために党を離れることになった政治家も少なくない。それでも、息を引き取る寸前まで、政界に強い影響力を持ち続けたのは、彼の政治に対する信念が誰よりも強かったからかもしれない。
コイララ党首にとって不運だったのは、制憲議会選挙のあと、「コイララを大統領に」という密約をプラチャンダが裏切ったことである。この後、コイララのプラチャンダに対する信頼はがた落ちし、最後まで回復することはなかった。あるいは、このときにコイララを大統領にしていたら、ネパールの和平プロセスはもっと順調に行っていたかもしれない。自身の寿命を知ったのだろう。人生の最後の時間を、コイララ党首は娘スジャータの地位確立のために費やした。そのために、党内から批判の嵐を浴びることになり、結果的に党内における影響力を下げることとなったが、彼にとってはコイララ家の後継者を残すことは最も重要な使命であったのだろう。
さまざまな批判はあったが、ギリジャ・プラサド・コイララは、やはり、ネパールで最後の大物政治家だったことは事実である。プラチャンダがどうあがこうと得られない、政治家としての資質(権威)をコイララは持っていた。コイララは“民主化の闘志”だった。
コイララ党首の60年以上におよぶ活動と業績に敬意を示すとともに、冥福を祈りたい。
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2010年03月21日
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