Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

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イメージ 1 一昨日、自宅に駆けつけることができなかったため、昨日は私も“ギリジャ・バブ”に最後のお別れをしに、スタジアムに行くつもりでいた。午前9時、トリプレスワルにある国立スタジアムにギリジャ・プラサド・コイララ党首の遺体が到着したというニュースを聞いてすぐに家を出た。スタジアムまでは我が家から歩いて15分ほどである。すでにタパタリのほうまで一般人の行列ができており、交通規制が始まっていた。家にあった黄色の絹のカターをバッグに入れ、スタジアムの近くにある花屋さんで向日葵を1輪買った。ネパール政府発行の記者証を使って、遺体が安置してある運動場の中ほどまでスムーズに入ることができた。遺体にカターと花を捧げたあと、プレス用の西側席で2時間ほど、知り合いの記者と話しながら会場を見守った。その後、午後3時に、遺体が荼毘に付されるパシュパティナート寺院に向かうために、軍用トラックに載せられて葬送行進とともにスタジアムを出発する前に、再び見に行った。
 
 それにしても、すごい人出だった。2001年6月の王宮事件でビレンドラ国王一家が亡くなったとき、そして、2006年の4月革命のときのデモを思い出させる群集だった。1990年の民主化後、歌手のナラヤン・ゴパル、政治家のガネシュ・マン・シン(NC)、マンモハン・アディカリ首相(UML)、そして王宮事件で亡くなったビレンドラ国王に次ぐ、5人目の国葬である。マダン・バンダリ、ガネシュ・マン・シン、そしてビレンドラ国王一家と、私もネパールに住んだ17年の間に、さまざまな政治家の“葬送”を見てきたが、昨日のギリジャ・バブの葬送は、間違いなく、これまでで最も多くの人が参加したものだった。コイララ党首の政治家としての“偉大さ”を改めて感じた最後だった。
 
 新聞各紙がさまざなま追悼記事を掲載しているが、いずれもコイララ党首が「民主化のための不屈の闘志」であったことを讃えるものである。「ネパールの保護者」がいなくなったことで、この国の将来がどうなるか憂える記事もある。昨日、葬送行進を見に行って、道端で会ったコラムニストのC.K.ラールに「ギリジャ・バブを一言で言うと、どんな政治家だった」と聞いた。少し考えたあと、彼はこう答えた。「決して諦めることのない政治家。そこが、他の政治家と違っていた」。多くの人がコメントしているように、ギリジャ・バブがいなければ、この国は共和制になることはなかっただろう。彼は最後まで王制維持を試みたが、共和制実現に不可欠の貢献をしたこともまた事実である。最後に、昨日の葬送行進でネパール会議派の支持者が叫んでいた言葉をギリジャ・バブに捧げたい。
 
ギリジャ・バブ、アマル・ホース!(ギリジャ・バブよ永遠に!)
シャンティ、ラ、サンミダーン!(平和と憲法を!)
 

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