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今日は、ネパール会議派のギリジャ・プラサド・コイララ党首が亡くなってから13日目。各紙がギリジャ・バブの追悼特集記事を掲載している。なかでも興味深いのは、日刊紙Nagarikに掲載されているチャクラ・バストラのインタビュー記事である。バストラはコイララと姻戚関係にあるだけでなく、コイララ政権で外務大臣を務めた政治家だが、和平プロセスに入ってからは、コイララとマオイストの関係を不満として、コイララ党首と距離を置いてきた。
バストラのインタビューのなかで特に興味深いのは、2001年に起こったナラヤンヒティ王宮事件に関するものである。バストラは当時、コイララが首相を務める政権の外務大臣だったが、彼はこの事件の首謀者はコイララも殺害する計画だったと話している。事件が起こった晩餐会に、コイララ首相も招待される話しがあったが、この事件で亡くなったビレンドラ国王自身が招待することを拒絶したというのである。それだけでなく、事件の翌日、亡くなった国王夫妻らの遺体を荼毘に付すためにパシュパティナート寺院に運ぶサブ・ヤットラで、コイララ首相が乗った車が発砲されたとバストラは話している。そして、当時皇太子だったギャネンドラを利用して、この事件を計画したのはインドとアメリカ政府だったとまで言っている。
内戦中、コイララ党首がインドでマオイストのプラチャンダらと極秘で会見したときの逸話も面白いが、王宮事件に関する証言は衝撃的である。事件のあと、コイララ党首は「王宮事件は“グランド・デザイン”に従って起こったのだ」と繰り返し話したが、この言葉の背後には、あるいはコイララ党首しか知らなかった事実が隠されているのかもしれない。
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2010年04月01日
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