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総選挙で大勝した日本の首相はいとも容易に?辞任をしたが、二つの選挙区で落選したこちらの首相はなかなか辞任をする気配がない。この国の首相は、「次の国民政府を誰が率いるか決まったら辞める」などと、他の民主国家では通用しないとんでもないことを言っているが、運命の5月28日の夜、この人は3政党の合意書に辞任の日程まで明記することに「ゴーサイン」を出していたのだという。
28日夜に、ナヤバネスワル(制憲議会場)とシンガダルバル(首相室)、そして、マハラジガンジ(大統領府)で何が起こったのか、その詳細を今日発売のJanaasthaが記事にしている。これが実に面白い。午前1時までナヤバネスワルにいた私も、この記事に出てくるいくつかの場面を目撃した。この記事を読んで、「(午後8時すぎ)マオイストのナラヤンカジ・シュレスタはKantipur TVのインタビューに答えたとき、なぜ、あれほど悲観的な顔をしていたのか」。「午後9時すぎ、統一共産党の反首相派リーダーであるバムデヴ・ガウタム副党首は、なぜ急いで、会議場に入っていったのか(このときの真剣な顔つきは今でも覚えている)」。「午後10時すぎ、スレンドラ・パンデ財務大臣とビム・ラワル内務大臣は、なぜ、制憲議会場を去ってシンガダルバルに向かったのに、すぐにまた戻ってきたのか」などの疑問の答えがわかった。
午後10時すぎ、ネパール首相がヤダヴ大統領に会いに行ったというニュースを聞いたとき、ナヤバネスワルにいた大半のメディア関係者は「首相は非常事態宣言の発令を大統領に要請に行ったのだろう」と話していた。しかし、Janaasthaの記事によると、そうではないのだという。首相が大統領に会いに行ったのは「マオイストを脅かすためだった」というのである。この“劇”は実に効果的に働いて、非常事態宣言が発令されることを恐れたプラチャンダらは、「首相の辞任の時期を明記せよ」というそれまでの要求を捨てて、「時期は明記しなくともよし」と決めたのだという。
Janaasthaの記事を読むと、こうしたネパール首相との動きとは別に、KPオリは統一共産党の議員が首相が辞任しなかった場合、「謀反」を起こすと言い出したために、「“遅れることなしに”辞任する」という言葉を明記した合意書を書いて、午後11時すぎ、プラチャンダに会いに行ったのだという。つまり、マオイストはネパール首相の動きに恐れをなして、100を得るところを50だけ得るにとどまったということである。この首相はこれほど役者とは思ってもいなかった。
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