Kathmandu Journal

東日本大震災の被災者の方たちの復興を祈って

ロルパ取材記

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 今日はバイティカ、ティハール祭最後の日だ。ギャネンドラ国王はナラヤンヒティ王宮事件後、1人だけ残った(2人の姉は事件の犠牲者となった)妹のソバ王女からティカをもらい、コイララ首相は91歳の姉からティカをもらうために今日午後からビラトナガルに行くのだという。2日間滞在して“休養”するそうだが、「ティハール祭が終わった直後にサミット対話」と言う話しはどうなっているのだろうか。コイララは首相になった後にも、機会を見つけては頻繁にビラトナガルを訪れている。もう当地で引退生活を送ったほうがよいのではないかと思ってしまう。

 上の写真は先日ロルパのタバン村に行ったときに撮影したもので、タバン村の“おまわりさん”、つまり、マオイストのジャナミリシア(人民義勇軍)である。さすがに停戦中とあって、武装マオイストは1人も見かけなかったが、タバン村では15人のジャナミリシアは政治キャンペーンをしているところだった。警察がいない同村では、ジャナミリシアが犯罪者を捕まえたりする警察の役目をしている。もっとも、タバン村に住んでいるのは大半がマオイストかその支持者だから、犯罪はほとんど起こらない。ジャナミリシアの制服も新しいものだった。箱型の帽子がそれらしくて興味深い。

ロルパから戻りました

 前回の記事に対して、大勢の方からの励ましのコメントをいただき、ありがとうございました。昨夜、半年ぶりのロルパ取材から戻った。昨年もダサイン祭のあいだはロルパのタバン村で過ごしたが、今回もティカの日を含めた四日間をタバン村で過ごした。今年のロルパはこれまでとはまったく異なる様相で、これはこれでとても貴重な体験をした。昨年はちょうど、タバン村の隣にあるチュンバン村でマオイストが中央委員総会を開いている時期にあたり、タバン村には東ネパールから遠征に来ていた人民解放軍の2小隊の“ビダイ(送別)”の会や人民解放軍兵士のカップルの結婚式を見ることができた。今年のロルパはとにかく“閑散”としていた。南部で人民解放軍の特別部隊が道路改修工事をしているほかは、ほとんど活動をしていないようだった。村人のほとんどがマオイストのタバン村など一部を除くと、ほとんどの村で郡レベル以上の党員に会うこともなかった。“空っぽ”と言っていい状態なのである。ほとんどのマオイストがカトマンズを含めた都市部に“外出中”なのだそうだ。4月の政変以後、こういう状況なのだと村人が言っていた。「留守にしても大丈夫」というマオイストの自信があるせいなのだろうが、それにしても半年前とのあまりにも異なる状況に驚いた。

 カトマンズでは昨日、四か月ぶりにサミット対話が開かれた。「Katipur」紙によると、12月半ばまでに暫定政府を発足させ、来年6月半ばまでに制憲議会選挙を開く、王制については制憲議会の初日に決定するなどの方向で話し合いが進んでおり、早ければ、明日再び開かれる対話で合意が成立しそうである。

写真はタバン村にあるモデル学校の生徒たち。生徒が親に会うために、学校は休校中で、10人ほどの生徒しかいなかった。

 

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 ロルパ取材から帰るといつもそうなのだが、カトマンズの生活になじむのに数日かかる。ロルパで見たこと、経験したことがあまりにも刺激的で、心をあちらに残したまま、体だけカトマンズに戻ってきた感じなのである。特に今回は、長年の望みだった人物へのインタビューを果たすことができ、しかも、この人物が期待していた以上に魅力的だったため、なかなか心が戻らずにいる。この人物だけでなく、今回は、マガラト自治共和国人民政府の教育相クラナンダ・ギリから非常に興味深い話を聞いた。ギリはもともとネパール会議派の支持者だったが、ロルパ郡出身の人として初めて修士号を取得したあと、同郡では名の知れた教育者としていくつかの高校の校長を務めていた。しかし、2年前に、ある事件がきっかけでマオイストになることを決心。集会でそれを宣言してマオイストに入党した。この出来事は全国紙でも報道されたため、私も知ってはいたのだが、今回、彼が入党するに至った詳細な経緯を聞くことができた。詳細をここに書くと長くなるので省略するが、直接のきっかけとなったのは、彼の姉の夫とその息子2人が政府側治安部隊に殺害されたことだった。これまでに大勢の人から似たような話しを何度も聞いてきたものの、彼の話を聞くうちに、私は不覚にも涙が止まらなくなり、顔を上げることができなくなった。カトマンズの人たちのなかには、彼らをまるで狂信者集団のようにとらえる人たちがいるが、それは間違いである。なかには、確かに狂信者のような言動をする人もいるが、彼らの大半は話してみると、ごく普通のネパール人とまったく変わりない。多くの場合、マオイストになるか、ならないかは、彼らが置かれた状況の相違でしかない。カトマンズの政治家が、彼らがなぜマオイストになったのか、その理由をきちんと把握しないかぎり、マオイスト問題は解決しない。

写真;コミューンの前に広がる小麦畑と頂が雪に覆われたジャルジャラ峰。

ロルパから戻りました

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 昨日、取材から戻った。まずは、留守中も定期的にこのブログを見てくださっている方々に感謝をしたい。カトマンズ盆地などで経済封鎖が進行中のあいだ、マオイストの“首都”タバン村で過ごした。道路が封鎖されて市民が困っているニュースや、マオイストがラビンドラ・シュレスタとマニ・タパを党除籍処分にしたニュースをBBCの短波放送で聞いた。一番近い車道から徒歩で少なくとも2日はかかるタバン村で、道路封鎖のニュースはどこか遠くで起こっていることのように感じた。この間、タバン村では元常備委員会メンバーのデブ・グルンや、マガラト自治共和国の“首相”サントス・ブラ・マガルを主賓に、同共和国に属する5つの郡から選手が集まって、初めてのバレーボール大会が開かれていた。タバン村はマオイストだけでなく、バグルン郡やミャグディ郡など遠くから来た大勢の選手たちでにぎわっていた。バレーボール大会の後には、各地から集まったカルチャー・グループの集会があった。外国人として初めて、マオイストのコミューンを訪問することもできた。実は、今回の取材目的は、以前から最も会いたいと思っていたあるリーダーにインタビューをすることにあったのだが、ジャーナリストとして初めて、この目的も達成することができた。このインタビューに関しては、時期が来たときに明らかにしたい。

 ロルパの山はラリグラスの赤い花が満開だった。たまたま数ヶ月ぶりに降った雨のために、ロルパの最高峰ジャルジャラ山は白い雪に覆われていた。今回はできれば、このジャルジャラに登りたいと思っていたのだが、積雪のために、こちらはあきらめた。ロルパには行けば行くほど、その魅力にひきつけられる。最大の魅力は何と言っても、そこに住むマガル族の人たちである。ロルパと彼らの歴史を書くことをライフワークとしたいと思っている。

写真上;タバン村では、治安部隊に焼き討ちされた家々の廃墟跡に作られたバレーボール・コートで、バレーボール大会が開かれていた。

写真下;ラリグラスの花とルクム郡のシスネ峰

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 今日はルクム郡ルクムコット村について。今回の取材では、この村に2泊した。マオイストがロルパのババン村で「民主化人民デモキャンペーン」の最初の集会を開いた4日後の12月14日、同じようなプログラムが今度はルクムコットで開かれた。ビプラプ、プラバカール、スダルシャンの3人の中央委員メンバーが、この集会でも演説をした。ババン村での集会が峰にあるオープンなスペースで開かれたのとは対照的に、ルクムコットでは外から見えないように、くぼ地で開かれた。集まった人もババンと比べると、かなり少なかった。

 ルクムコットでの集会の翌日、“7人”はルクム郡の郡庁所在地カランガへ向けて出発したが、私はもう1日、この村にとどまることにした。ルクムコットには、実は2003年3月にも来たことがある。前回は村の中心部にあるタクリ・カーストの家族の宿に泊まった。母親を小さいときに亡くした18歳の娘が食事を作ってくれた。彼女にまた会えると期待していたのだが、昨年、フムラ郡に嫁いだという。前回会ったとき、娘は教師になる夢を実現するために、10プラス2の学校に通っていた。その夢は実現したのだろうか。それにしても、なぜ、歩いて1週間以上もかかるフムラなどという遠地に嫁がされたのだろう。彼女の兄は王室ネパール軍の兵士だった。貴族カーストのタクリが大勢住むルクムコットには、昔から王室ネパール軍の士官や兵士になる若者が大勢いる。しかし、マオイストがルクムコットにある警察詰め所を襲撃し、警官30人以上を殺害してから、王室ネパール軍や警察に勤める村人は村に戻ることができなくなった。彼女も、兄とは何年も会っていないと話していた。勤務先のピュータンまで、父がたまに会いに行くものの、ダサイン祭にもティハール祭にも家に帰ることができずにいると話していた。マオイストは軍や警察で家族が働いている人たちに、彼らに仕事を辞めて村に戻るよう説得するよう強制している。しかし、ほとんどの人は貴重な現金収入源である仕事を辞めず、村に戻ることができずにいる。彼女は結婚する前に、このお兄さんと会うことができたのだろうか。

 今回、泊めてもらった家の所有者も、彼女の家族と同様、マオイストの人民戦争による被害者だった。この家族は大きな土地に3軒の家を所有し、マオイストの“敵”である地主階級に属することが明らかだった。この家に2泊させてもらうあいだに、私は家の所有者である50代後半の夫婦といろいろな話をする機会があった。彼らには5人の息子がいるが、このうち3人が王室ネパール軍で働いている。「4年以上、息子の顔を見ていない」と母親はあきらめたように話した。マオイストはこの家族の所有物、つまり畑を含む土地、家、そして、畑で獲れる作物すべてを占拠した。夫婦と末娘が今も住んでいるが、毎日、マオイストが大勢やってきては食事をしたり、泊まったりしていく。人のよさそうな父親や明るい末娘の様子を見ていると、彼らの苦労のほどはなかなか見えてこないが、これは、一種の精神的拷問と言っていい。母親は、「どこに行くあてがあるわけでもない。毎日、心では泣いているが、もう涙も出てこない」と言う。

 こうした人たちがネパールに一体、どれだけいることか。村に住めずに、インドや平野部の町に住まざるを得ない人たちの苦労も大変だが、村を出ることができずに、毎日マオイストに強制的に協力させられている彼らのような村人の心の痛みも計り知れないほど深いはずだ。

 さて、突然ですが、明日8日から1週間ほど、再びカトマンズ盆地の外に行くこととなりました。マオイストが停戦を破棄したあとの様子を見てきます。

写真上は、ルクムコットで開かれた集会。
写真下は、この集会で、子供を抱く中央委員“プラバカール”と“ビプラプ”

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